坐禅会模様をレポートした、"地区禅会だより"を紹介します! 禅味
本会は釈迦牟尼会の地方支部であるので、この
坐禅会レポートは機関誌「禅味」に"地区禅会
だより"として掲載されています。
(「禅味」は、釈迦牟尼会の"機関誌"であり、昭和30年3月に創刊されて現在570号を超えています。)
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坐禅会年月()
坐  禅  会  の  様  子
6.1.21〜6.2.17
(6年1月21日)禅を修する狙いの核心は、菩薩道の実践.. (6年2月4日)二元論から一元論へのアプローチの仕方を探る.. (6年2月17日)音楽が体全身から溢れ出ていて..
5.12.3〜6.1.7
(5年12月3日)東洋の禅と欧米の最新科学の壮大な融合.. (5年12月17日)現象は心を映し出している表象.. (6年1月7日)「縁起なる物は無自性空」である..
5.10.1〜5.11.19
(5年10月1日)物の正体に実体はなく関係性のみが.. (5年10月22日)年老いても堂々と生きることが大事である.. (5年11月19日)一元論としての空観や唯識と、量子論との融合..
5.8.20〜5.9.17
(5年8月20日)「在途中不離家舎、離家舎不在途中」.. (5年9月3日)繰り返し唱えていると、真意が迫ってくる.. (5年9月17日)四苦八苦と釈尊の四門出遊から..
5.7.2〜5.8.6
(5年7月2日)物事は常に変化し消え去る.. (5年7月16日)繰り返し臆念し読誦する.. (5年8月6日)比較することが差別に繋がる..
5.5.21〜5.6.18
(5年5月21日)ゆく川の流れは絶えずして.. (5年6月4日)思いを念ずると現象化する.. (5年6月18日)見ようとすると真っ暗でみえない..
5.4.2〜5.5.7
(5年4月2日)「為して為さない」の自然体.. (5年4月16日)綿々とはたらいている、はたらきそのもの.. (5年5月7日)ただわがまなこの及ぶ処..
5.2.19〜5.3.18
(5年2月19日)物となって考え、物となって行う.. (5年3月5日)衆生救済への誓願が込められた縁日.. (5年3月18日)魚と水とがピタッと一致して活きている..
5.1.8〜5.2.5
(5年1月8日)科学(量子力学)・宗教(禅)の正当性・合理性.. (5年1月22日)粒子性と波動性で、常識を超えたはたらきが.. (5年2月5日)世界は関係(素粒子の働き合い)でできている..
4.11.20〜4.12.18
(4年11月20日)身心に法いまだ参飽せざるには.. (4年12月4日)石一個・紙一枚でも宇宙の全てを背負い.. (4年12月18日)直下も一滴も、しかあるとしるべし..
4.9.18〜4.10.16
(4年9月18日)水に月のやどるが如し.. (4年10月2日)無心・無我の具体的な在り方.. (4年10月16日)自らの経験として体得する..
4.8.7〜4.9.11
(4年8月7日)自己を忘れて無我を捉える.. (4年8月21日)生死に関する大切なところ.. (4年9月11日)生の時は生、死の時は死のみ..
4.6.5〜4.7.17
(4年6月5日)真実在は一つ.. (4年7月9日)ありのままの事実をそのままに.. (4年7月17日)目を親しく舟につくれば..
4.4.24〜4.5.29
(4年4月24日)花は愛惜に散り.. (4年5月8日)万法ともに我にあらざる時節.. (4年5月29日)迷いと悟りとは表裏一体である..
4.3.13〜4.4.10
(4年3月13日) 金剛界と胎蔵界.. (4年3月27日)心の中にあるエゴと向き合うことが大切.. (4年4月10日)「万法ともにわれにあらざる時節」の具体的姿..
3.11.21〜3.12.19
(3年11月21日)野狐に陥り、野狐を脱する.. (3年12月5日)因果や因縁の大切さを.. (3年12月19日)指1本を立てることが、何を意味するのか..
3.10.3〜3.11.7
(3年10月3日)因果は一つである.. (3年10月17日)因果の道理歴然として.. (3年11月7日)山本・飯島両老師をお迎えして..
3.8.22〜9.20
(3年8月22日)概念を離れた自己を発見し直感せよ.. (3年9月5日)唯識を通して人間の苦悩や喜びなど.. (3年9月20日)「不落因果」と言って野狐身に..
3.7.4〜3.8.1
(3年7月4日)一日も一刻も無駄にせず、精進を.. (3年7月18日)修行で、因果を超えて自在に生きられるのか.. (3年8月1日)賞をまたずして、道を求むる人..
3.5.16〜3.6.27
(3年5月16日)生きて働く実在は言葉を超えたところに.. (3年6月6日)物事を身体全部を使って、確実に捉える.. (3年6月27日)正受庵で正受老人の仏道・清貧に徹した生き方を..
3.4.4〜3.5.2
(3年4月4日)正念が邪念を凌駕するように行う.. (3年4月18日)心路を絶し、隠れている仏心を観ずる.. (3年5月2日)独参者が4人となり、坐禅会に一段と活気が..
3.2.21〜3.3.21
(3年2月21日)ゆったりと安定した深い呼吸.. (3年3月7日)息を育てるということ.. (3年3月21日)理屈をつけず、素直に受け入れる..
3.1.10〜3.2.7
(3年1月10日)無楽紘龍老師ご指導の、禅会がスタート.. (3年1月24日)円成寺をお借りしての、禅会がスタート.. (3年2月7日)お経は耳で唱える=周りと合わせる=自他一如..
2.10〜2.12
(2年10月)坐りつぶれる.. (2年11月)認識(分別)以前の心(命)に目覚める.. (2年12月)令和3年からの坐禅会新体制の発表..
2.3〜2.9
(2年3月)声の力を借りて三昧を深くする.. (2年7月)罪悪深重煩悩熾盛の衆生.. (2年9月)自他一如の心を体現する呼吸法..
1.10〜2.2
(元年10月)原因と結果は別々のものではなく.. (2年1月)一事に集中して三昧になる.. (2年2月)声を出して繰り返し唱える..
1.5〜1.7
(元年5月)人智を超えたいのちの働き.. (元年6月)「空」の大乗仏教的展開.. (元年7月)私が見たり聞いたりするのではなく..
31.2〜31.4
(31年2月)仏様と菩薩はどちらが偉いか.. (31年3月)一切の現象に固有の名前無し.. (31年4月)般若心経の読み下し文を読む..
30.10〜31.1
(30年10月)すべて自己を離れた他力.. (30年12月)坐禅三昧・坐禅になりつぶれる.. (31年1月)横隔膜を意識した呼吸を..
30.5〜30.7
(30年5月)歎異抄「弥陀の誓願」.. (30年6月)オランダの接心へ.. (30年7月)オランダで歌曲「菩提樹」を..
30.2〜30.4
(30年2月)科学技術の発展の中で.. (30年3月)五輪と「求道」精神.. (30年4月)見っ放し・体を脱ぎ捨てる..
29.11〜30.1
(29年11月)25周年記念&出版記念懇親会.. (29年12月)正受庵一泊坐禅会が成功裏に.. (30年1月)禅とマインドフルネス..
29.6〜29.9
(29年6月)無心、時空を超えた働き.. (29年7月)ロスアンゼルス禅センター訪問.. (29年9月)一泊坐禅会のプレ坐禅会..
29.3〜29.5
(29年3月)主と客の4通りの関わり方.. (29年4月)即今只今の自己実現.. (29年5月)回光返照の退歩を..
28.12〜29.2
(28年12月)阿頼耶識を浄化.. (29年1月)原ぬるに夫れ道本圓通.. (29年2月)読書百遍、意自ずから通ず..
28.6〜28.10
(28年6月)苦しみはあなたのものではなく.. (28年7月)「禅を生きる―自覚への道―」.. (28年10月)飯山「正受庵」での坐禅会..
28.3〜28.5
(28年3月)逢著すれば便ち殺せ.. (28年4月)アーラヤ識説では.. (28年5月)禅と唯識..
27.12〜28.2
(27年12月)色即是縁起即是空.. (28年1月)円環縁起図.. (28年2月)空と唯識思想..
27.9〜27.11
(27年9月)全ては一つ心である.. (27年10月)プラスイメージを経験、蓄積して.. (27年11月)腹式呼吸の丹念な継続..
27.6〜27.8
(27年6月)自己の本性に目覚めよ.. (27年7月)「生死」という核心に.. (27年8月)唯識思想の素晴らしさに..
27.3〜27.5
(27年3月)随処作主 立処皆真.. (27年4月)教育が、禅での開眼を契機に.. (27年5月)縛っているものから自由に..
26.10〜27.1
(26年10月)輪廻からの解脱、仏教.. (26年11月)命はひとつであり.. (27年1月)無限の不可思議なる世界..
26.5〜26.7
(26年5月)「観音経」の読誦は.. (26年6月)老師、今年もポーラント摂心に.. (26年7月)再々度の「縁起と空」..
26.2〜26.4
(26年2月)「シューニャ」を、「空」と漢訳.. (26年3月)現象が現象を認識する.. (26年4月)即今、只今の自己に徹し..
25.11〜26.1
(25年11月)「平常無事」の無は.. (25年12月)三つの「花」と無心.. (26年1月)縁起により完全無欠に..
25.8〜25.10
(25年8月)浄土思想と禅... (25年9月)臨済録「内不住根本..」 (25年10月)弥陀の誓願...
25.5〜25.7
(25年5月)坐水月道場 修空華万行.. (25年6月)老師、ポーランド、オランダで接心.. (25年7月)作曲、「歎異抄」3部作..
25.2〜25.4
(25年2月)得一法、通一法なり.. (25年3月)臨済録「大徳、三界無安..」 (25年4月)風性常住、無処不周なり..
24.11〜25.1
(24年11月)21周年、老師来長100回.. (24年12月)うを水をゆくに、ゆけども.. (25年1月)新春坐禅会「茶禅一味..」
24.8〜24.10
(24年8月)法いまだ参飽せざるには.. (24年9月)基礎講座に参加された方が.. (24年10月)生死なしを真に理解..
24.5〜24.7
(24年5月)万法に照らされて在る.. (24年6月)ただ、ひとーつ、と唱え.. (24年7月)灰は灰、薪は薪で..
24.2〜24.4
(24年2月)人舟にのりてゆくに.. (24年3月)そのままの命をいただいて.. (24年4月)布施であり、発菩提心で..
23.11〜24.1
(23年11月)一喝は一喝である.. (23年12月)まさしく諸仏なるときは.. (24年1月)根本は丹田呼吸法にある..
23.8〜23.10
(23年8月)自動車の音になってしまえ.. (23年9月)毒語心経が円了し.. (23年10月)諸法の仏法なる時節..
23.5〜23.7
(23年5月)木々も、葉も凛として.. (23年6月)自分という我にとらわれては.. (23年7月)禅定に裏付けられた真言..
23.2〜23.4
(23年2月)即今の自己が.. (23年3月)元から具わっており.. (23年4月)満開の桜を感じながら..
22.11〜23.1
(22年11月)吐く息は丹田に、吸う息は.. (22年12月)釈迦牟尼会、九十周年に.. (23年1月)完全無欠、かけがえのない..
22.8〜22.10
(22年8月)眼をすえ、敵陣に切り込んで.. (22年8月)呼吸法の大切さを.. (22年8月)打坐、般若三昧、経行、体操..
22.5〜22.7
(22年5月)恒例の「般若三昧」.. (22年6月)曼荼羅も茶碗も宇宙の真実.. (22年7月)有無の諸相を離れて..
22.2〜22.4
(22年2月)人生の「苦」、「修羅場」.. (22年3月)三昧を得る方法として.. (22年4月)西山禾山老師による..
21.11〜22.1
(21年11月)行い全てが三昧である.. (21年12月)無常を観ずる心.. (22年1月)期待するのは、我であり..
21.8〜21.10
(21年8月)ダンマが顕わになる.. (21年9月)故知般若波羅蜜多.. (21年10月)正装にて威儀を正し..
21.5〜21.7
(21年5月)右脳だけになって.. (21年6月)縁が尽きれば.. (21年7月)ブッダの仏教を求めて..
21.2〜21.4
(21年2月)究竟涅槃.. (21年3月)インターネットを通して.. (21年4月)これぞまさに禅味..
20.11〜21.1
(20年11月)遠離一切顛倒夢想.. (20年12月)作仏を図る、修行する.. (21年1月)セロトニン、坐禅の丹田呼吸..
20.8〜20.10
(20年8月)美しくも深遠な無常観を.. (20年9月)そのままで離れる.. (20年10月)仏法の要諦、般若三昧..
20.5〜20.7
(20年5月)一輪の花にも.. (20年6月)伝統文化の継承.. (20年7月)上虚下実、喝―ツ..
20.2〜20.4
(20年2月)当処すなわち蓮華国.. (20年3月)ご提唱、無智亦無得.. (20年4月)行く川の流れは絶えずして..
19.12〜20.1
(19年12月)坐禅会後、忘年会に.. (20年1月)新春初坐禅会..     

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