坐禅会年月(日)
|
坐 禅 会 の 様 子
|
6.12.15〜7.1.19
|
(6年12月15日)禅を多面的・多角的に捉えられる..
|
(7年1月5日)禅的生き方の究極の姿、利他行へ..
|
(7年1月19日)禅は、現実生活の中で生きて働いてこそ..
|
6.10.27〜6.12.1
|
(6年10月27日)分別と無分別を隔てている境目..
|
(6年11月24日)一元論の唯識哲学、二元論の科学文明..
|
(6年12月1日)「見性」という事実のあること..
|
6.9.1〜6.10.6
|
(6年9月1日)忘れることが真実である..
|
(6年9月29日)機心は、人間性を破壊する要因にもなる..
|
(6年10月6日)自然は神秘的で無限の深みで、迫ってくる..
|
6.7.21〜6.8.18
|
(6年7月21日)一輪の花に全宇宙が表れている..
|
(6年8月4日)人は答えの出ない事態に耐える力を..
|
(6年8月18日)異なった意見や物事を一つの働きとして..
|
6.6.2〜6.7.7
|
(6年6月2日)正しい法を正しく聴く「正聞薫習」を..
|
(6年6月16日)我と大地有情同時成道す..
|
(6年7月7日)今日の業が心に蓄積され、明日の自分に..
|
6.4.21〜6.5.26
|
(6年4月21日)罪悪深重・煩悩熾盛の衆生..
|
(6年5月12日)法身に目覚めることである..
|
(6年5月26日)筆を持って文字を書いてはいけない..
|
6.3.3〜6.4.7
|
(6年3月3日)聞くままに、ただ聞こえている..
|
(6年3月17日)「限りなき開け」を洞察して..
|
(6年4月7日)「峰の色谷の響きも皆ながら」..
|
6.1.21〜6.2.17
|
(6年1月21日)禅を修する狙いの核心は、菩薩道の実践..
|
(6年2月4日)二元論から一元論へのアプローチの仕方を探る..
|
(6年2月17日)音楽が体全身から溢れ出ていて..
|
5.12.3〜6.1.7
|
(5年12月3日)東洋の禅と欧米の最新科学の壮大な融合..
|
(5年12月17日)現象は心を映し出している表象..
|
(6年1月7日)「縁起なる物は無自性空」である..
|
5.10.1〜5.11.19
|
(5年10月1日)物の正体に実体はなく関係性のみが..
|
(5年10月22日)年老いても堂々と生きることが大事である..
|
(5年11月19日)一元論としての空観や唯識と、量子論との融合..
|
5.8.20〜5.9.17
|
(5年8月20日)「在途中不離家舎、離家舎不在途中」..
|
(5年9月3日)繰り返し唱えていると、真意が迫ってくる..
|
(5年9月17日)四苦八苦と釈尊の四門出遊から..
|
5.7.2〜5.8.6
|
(5年7月2日)物事は常に変化し消え去る..
|
(5年7月16日)繰り返し臆念し読誦する..
|
(5年8月6日)比較することが差別に繋がる..
|
5.5.21〜5.6.18
|
(5年5月21日)ゆく川の流れは絶えずして..
|
(5年6月4日)思いを念ずると現象化する..
|
(5年6月18日)見ようとすると真っ暗でみえない..
|
5.4.2〜5.5.7
|
(5年4月2日)「為して為さない」の自然体..
|
(5年4月16日)綿々とはたらいている、はたらきそのもの..
|
(5年5月7日)ただわがまなこの及ぶ処..
|
5.2.19〜5.3.18
|
(5年2月19日)物となって考え、物となって行う..
|
(5年3月5日)衆生救済への誓願が込められた縁日..
|
(5年3月18日)魚と水とがピタッと一致して活きている..
|
5.1.8〜5.2.5
|
(5年1月8日)科学(量子力学)・宗教(禅)の正当性・合理性..
|
(5年1月22日)粒子性と波動性で、常識を超えたはたらきが..
|
(5年2月5日)世界は関係(素粒子の働き合い)でできている..
|
4.11.20〜4.12.18
|
(4年11月20日)身心に法いまだ参飽せざるには..
|
(4年12月4日)石一個・紙一枚でも宇宙の全てを背負い..
|
(4年12月18日)直下も一滴も、しかあるとしるべし..
|
4.9.18〜4.10.16
|
(4年9月18日)水に月のやどるが如し..
|
(4年10月2日)無心・無我の具体的な在り方..
|
(4年10月16日)自らの経験として体得する..
|
4.8.7〜4.9.11
|
(4年8月7日)自己を忘れて無我を捉える..
|
(4年8月21日)生死に関する大切なところ..
|
(4年9月11日)生の時は生、死の時は死のみ..
|
4.6.5〜4.7.17
|
(4年6月5日)真実在は一つ..
|
(4年7月9日)ありのままの事実をそのままに..
|
(4年7月17日)目を親しく舟につくれば..
|
4.4.24〜4.5.29
|
(4年4月24日)花は愛惜に散り..
|
(4年5月8日)万法ともに我にあらざる時節..
|
(4年5月29日)迷いと悟りとは表裏一体である..
|
4.3.13〜4.4.10
|
(4年3月13日) 金剛界と胎蔵界..
|
(4年3月27日)心の中にあるエゴと向き合うことが大切..
|
(4年4月10日)「万法ともにわれにあらざる時節」の具体的姿..
|
3.11.21〜3.12.19
|
(3年11月21日)野狐に陥り、野狐を脱する..
|
(3年12月5日)因果や因縁の大切さを..
|
(3年12月19日)指1本を立てることが、何を意味するのか..
|
3.10.3〜3.11.7
|
(3年10月3日)因果は一つである..
|
(3年10月17日)因果の道理歴然として..
|
(3年11月7日)山本・飯島両老師をお迎えして..
|
3.8.22〜9.20
|
(3年8月22日)概念を離れた自己を発見し直感せよ..
|
(3年9月5日)唯識を通して人間の苦悩や喜びなど..
|
(3年9月20日)「不落因果」と言って野狐身に..
|
3.7.4〜3.8.1
|
(3年7月4日)一日も一刻も無駄にせず、精進を..
|
(3年7月18日)修行で、因果を超えて自在に生きられるのか..
|
(3年8月1日)賞をまたずして、道を求むる人..
|
3.5.16〜3.6.27
|
(3年5月16日)生きて働く実在は言葉を超えたところに..
|
(3年6月6日)物事を身体全部を使って、確実に捉える..
|
(3年6月27日)正受庵で正受老人の仏道・清貧に徹した生き方を..
|
3.4.4〜3.5.2
|
(3年4月4日)正念が邪念を凌駕するように行う..
|
(3年4月18日)心路を絶し、隠れている仏心を観ずる..
|
(3年5月2日)独参者が4人となり、坐禅会に一段と活気が..
|
3.2.21〜3.3.21
|
(3年2月21日)ゆったりと安定した深い呼吸..
|
(3年3月7日)息を育てるということ..
|
(3年3月21日)理屈をつけず、素直に受け入れる..
|
3.1.10〜3.2.7
|
(3年1月10日)無楽紘龍老師ご指導の、禅会がスタート..
|
(3年1月24日)円成寺をお借りしての、禅会がスタート..
|
(3年2月7日)お経は耳で唱える=周りと合わせる=自他一如..
|
2.10〜2.12
|
(2年10月)坐りつぶれる..
|
(2年11月)認識(分別)以前の心(命)に目覚める..
|
(2年12月)令和3年からの坐禅会新体制の発表..
|
2.3〜2.9
|
(2年3月)声の力を借りて三昧を深くする..
|
(2年7月)罪悪深重煩悩熾盛の衆生..
|
(2年9月)自他一如の心を体現する呼吸法..
|
1.10〜2.2
|
(元年10月)原因と結果は別々のものではなく..
|
(2年1月)一事に集中して三昧になる..
|
(2年2月)声を出して繰り返し唱える..
|
1.5〜1.7
|
(元年5月)人智を超えたいのちの働き..
|
(元年6月)「空」の大乗仏教的展開..
|
(元年7月)私が見たり聞いたりするのではなく..
|
31.2〜31.4
|
(31年2月)仏様と菩薩はどちらが偉いか..
|
(31年3月)一切の現象に固有の名前無し..
|
(31年4月)般若心経の読み下し文を読む..
|
30.10〜31.1
|
(30年10月)すべて自己を離れた他力..
|
(30年12月)坐禅三昧・坐禅になりつぶれる..
|
(31年1月)横隔膜を意識した呼吸を..
|
30.5〜30.7
|
(30年5月)歎異抄「弥陀の誓願」..
|
(30年6月)オランダの接心へ..
|
(30年7月)オランダで歌曲「菩提樹」を..
|
30.2〜30.4
|
(30年2月)科学技術の発展の中で..
|
(30年3月)五輪と「求道」精神..
|
(30年4月)見っ放し・体を脱ぎ捨てる..
|
29.11〜30.1
|
(29年11月)25周年記念&出版記念懇親会..
|
(29年12月)正受庵一泊坐禅会が成功裏に..
|
(30年1月)禅とマインドフルネス..
|
29.6〜29.9
|
(29年6月)無心、時空を超えた働き..
|
(29年7月)ロスアンゼルス禅センター訪問..
|
(29年9月)一泊坐禅会のプレ坐禅会..
|
29.3〜29.5
|
(29年3月)主と客の4通りの関わり方..
|
(29年4月)即今只今の自己実現..
|
(29年5月)回光返照の退歩を..
|
28.12〜29.2
|
(28年12月)阿頼耶識を浄化..
|
(29年1月)原ぬるに夫れ道本圓通..
|
(29年2月)読書百遍、意自ずから通ず..
|
28.6〜28.10
|
(28年6月)苦しみはあなたのものではなく..
|
(28年7月)「禅を生きる―自覚への道―」..
|
(28年10月)飯山「正受庵」での坐禅会..
|
28.3〜28.5
|
(28年3月)逢著すれば便ち殺せ..
|
(28年4月)アーラヤ識説では..
|
(28年5月)禅と唯識..
|
27.12〜28.2
|
(27年12月)色即是縁起即是空..
|
(28年1月)円環縁起図..
|
(28年2月)空と唯識思想..
|
27.9〜27.11
|
(27年9月)全ては一つ心である..
|
(27年10月)プラスイメージを経験、蓄積して..
|
(27年11月)腹式呼吸の丹念な継続..
|
27.6〜27.8
|
(27年6月)自己の本性に目覚めよ..
|
(27年7月)「生死」という核心に..
|
(27年8月)唯識思想の素晴らしさに..
|
27.3〜27.5
|
(27年3月)随処作主 立処皆真..
|
(27年4月)教育が、禅での開眼を契機に..
|
(27年5月)縛っているものから自由に..
|
26.10〜27.1
|
(26年10月)輪廻からの解脱、仏教..
|
(26年11月)命はひとつであり..
|
(27年1月)無限の不可思議なる世界..
|
26.5〜26.7
|
(26年5月)「観音経」の読誦は..
|
(26年6月)老師、今年もポーラント摂心に..
|
(26年7月)再々度の「縁起と空」..
|
26.2〜26.4
|
(26年2月)「シューニャ」を、「空」と漢訳..
|
(26年3月)現象が現象を認識する..
|
(26年4月)即今、只今の自己に徹し..
|
25.11〜26.1
|
(25年11月)「平常無事」の無は..
|
(25年12月)三つの「花」と無心..
|
(26年1月)縁起により完全無欠に..
|
25.8〜25.10
|
(25年8月)浄土思想と禅...
|
(25年9月)臨済録「内不住根本..」
|
(25年10月)弥陀の誓願...
|
25.5〜25.7
|
(25年5月)坐水月道場 修空華万行..
|
(25年6月)老師、ポーランド、オランダで接心..
|
(25年7月)作曲、「歎異抄」3部作..
|
25.2〜25.4
|
(25年2月)得一法、通一法なり..
|
(25年3月)臨済録「大徳、三界無安..」
|
(25年4月)風性常住、無処不周なり..
|
24.11〜25.1
|
(24年11月)21周年、老師来長100回..
|
(24年12月)うを水をゆくに、ゆけども..
|
(25年1月)新春坐禅会「茶禅一味..」
|
24.8〜24.10
|
(24年8月)法いまだ参飽せざるには..
|
(24年9月)基礎講座に参加された方が..
|
(24年10月)生死なしを真に理解..
|
24.5〜24.7
|
(24年5月)万法に照らされて在る..
|
(24年6月)ただ、ひとーつ、と唱え..
|
(24年7月)灰は灰、薪は薪で..
|
24.2〜24.4
|
(24年2月)人舟にのりてゆくに..
|
(24年3月)そのままの命をいただいて..
|
(24年4月)布施であり、発菩提心で..
|
23.11〜24.1
|
(23年11月)一喝は一喝である..
|
(23年12月)まさしく諸仏なるときは..
|
(24年1月)根本は丹田呼吸法にある..
|
23.8〜23.10
|
(23年8月)自動車の音になってしまえ..
|
(23年9月)毒語心経が円了し..
|
(23年10月)諸法の仏法なる時節..
|
23.5〜23.7
|
(23年5月)木々も、葉も凛として..
|
(23年6月)自分という我にとらわれては..
|
(23年7月)禅定に裏付けられた真言..
|
23.2〜23.4
|
(23年2月)即今の自己が..
|
(23年3月)元から具わっており..
|
(23年4月)満開の桜を感じながら..
|
22.11〜23.1
|
(22年11月)吐く息は丹田に、吸う息は..
|
(22年12月)釈迦牟尼会、九十周年に..
|
(23年1月)完全無欠、かけがえのない..
|
22.8〜22.10
|
(22年8月)眼をすえ、敵陣に切り込んで..
|
(22年8月)呼吸法の大切さを..
|
(22年8月)打坐、般若三昧、経行、体操..
|
22.5〜22.7
|
(22年5月)恒例の「般若三昧」..
|
(22年6月)曼荼羅も茶碗も宇宙の真実..
|
(22年7月)有無の諸相を離れて..
|
22.2〜22.4
|
(22年2月)人生の「苦」、「修羅場」..
|
(22年3月)三昧を得る方法として..
|
(22年4月)西山禾山老師による..
|
21.11〜22.1
|
(21年11月)行い全てが三昧である..
|
(21年12月)無常を観ずる心..
|
(22年1月)期待するのは、我であり..
|
21.8〜21.10
|
(21年8月)ダンマが顕わになる..
|
(21年9月)故知般若波羅蜜多..
|
(21年10月)正装にて威儀を正し..
|
21.5〜21.7
|
(21年5月)右脳だけになって..
|
(21年6月)縁が尽きれば..
|
(21年7月)ブッダの仏教を求めて..
|
21.2〜21.4
|
(21年2月)究竟涅槃..
|
(21年3月)インターネットを通して..
|
(21年4月)これぞまさに禅味..
|
20.11〜21.1
|
(20年11月)遠離一切顛倒夢想..
|
(20年12月)作仏を図る、修行する..
|
(21年1月)セロトニン、坐禅の丹田呼吸..
|
20.8〜20.10
|
(20年8月)美しくも深遠な無常観を..
|
(20年9月)そのままで離れる..
|
(20年10月)仏法の要諦、般若三昧..
|
20.5〜20.7
|
(20年5月)一輪の花にも..
|
(20年6月)伝統文化の継承..
|
(20年7月)上虚下実、喝―ツ..
|
20.2〜20.4
|
(20年2月)当処すなわち蓮華国..
|
(20年3月)ご提唱、無智亦無得..
|
(20年4月)行く川の流れは絶えずして..
|
19.12〜20.1
|
(19年12月)坐禅会後、忘年会に..
|
(20年1月)新春初坐禅会..
|
|