<<令和元年10月定例禅会>> 参加者:10名 会場:サンライフ長野

 穏やかな秋の午後、初参加の坂井さんも交え、いつも通り3炷の坐禅を実施しました。
 その後、桐山主宰のご提唱がありましたので略記します。
 白隠和尚坐禅和讃の中の「因果一如の門開け」の一節を取り上げてのお話しでした。原因と結果は別々のものではなく一体である。明るいことは暗いことであり、暗いことは明るいことである。生きることは死ぬことであり、死ぬことは生きることである。この言葉は矛盾であるが、分かり易い事例で言えば、私(桐山)は今日の提唱(未来)のために資料を作ったが、忘れて(現在)きた。即今の今をおろそかにして、未来のことしか考えずに急いだという原因が、持って出ることを忘れたという結果になった。忘れたという現在の結果は、その時の即今を疎かにしたという過去の原因と一つである、という事例である。
 我々の日常はこれらの繰り返しで、失敗ばかりしている。「因果一如の門開け」とは、即今の今を大切にするところに開ける。このような日常の事例を幾つか挙げ、因果一如を分かり易くお話しされました。

 茶礼では、桐山主宰から出席者全員に現在の心境を本音で語って欲しいとの提案があり、様々な意見や質問がありました。「坐禅で新たな心境を得たい」「腹式呼吸ができない」「悟りとは?」「自分の身体が自分のものではないことを実感する」等々、それぞれが坐禅に真剣に取り組むが故の心情が吐露されました。また、11月3日の正受庵坐禅会の開催に向けての日程や準備品等が、参加者によって検討・確認されました。    (文責 鈴木)



<<令和2年1月定例禅会>> 参加者:12名 会場:サンライフ長野

 同時に4人の初参加者を迎え、新春の活気も感じられる坐禅会のスタートとなりました。初めての方へのガイダンスの後、初心の皆さんも含め、気持ちの引き締まる坐禅ができました。
 続いて桐山主宰からのご提唱でしたが、初心者がこれからも継続して参加できるように配慮しつつ、今後の活動方向等も含め分かり易く話して頂きました。
 内容の核心は、私達の普段の生活や心のあり様をごまかさずに見つめ、自分だけではなく周りの人たちも幸せになるにはどうすればよいか、でした。
 実践の具体としては、目の前の仕事や.趣味等の一事に集中して三昧になること、失敗や憎しみ等の感情を引きずらず自分に嘘をつかないこと、坐禅・読経・素読・マインドフルネス(ありがとう禅)等々を繰り返すこと、などが挙げられました。坐禅が一層深まるように、ありがとう禅の実修も行いました。

 茶礼では、初参加者からの質問の後、全員が新年の決意も込めた自己紹介を行いました。初参加者からは、坐禅やありがとう禅のひと時が気持ちよかった、満足したという肯定的な意見が出され、今後も続けたいという前向きな声も聞かれました。古参の方々からは、現在の近況報告に加え、新たな挑戦の言葉も聞かれ、意義のある茶礼になりました。
 私たちは、釈尊の教え「空」を釈尊のやり方「坐禅」でつかみ、安心を得て生活等に活かそうとしていますが、幾多の先人の命懸けの努力を肝に銘じて、精進したいと思います。感想を記すことは気がひけますが、講話での図示は概ね好評でした。ただ、私自身の反省では、「空」や「命」は生きて働いていますので、静止画で示すことの困難さを感じました。

 有志7名で新年会を行いましたが、話題は労働者の過酷な実態や賃金格差・中村哲氏や熊沢容疑者の事件・日本の政治や経済(新自由主義・規制緩和の失敗・弊害)等の根幹にまで及び、型通りの「党首討論会」の遥か上を行く盛り上がりをみせました。これを正すには、坐禅に打ち込み禅的生活を広めることが肝要、と落着しました。   (文責 峰村)



<<令和2年2定例禅会>>> 参加者:9名 会場:サンライフ長野

 いつものように2炷の坐禅のあと、今日は桐山主宰の「ありがとう禅」の説明の後、西山禾山老師 の「般若三昧」に続いて「ありがとう禅」を行いました。
 ありがとう禅は般若三昧と、やり方は全く同じで、「南無甚深般若波羅密多」と唱えるところを「ありがとう」と10分間ほど繰り返し唱えます。念仏、祈り、感謝、懺悔、等を融合したような形で、声を出して繰り返し唱えることによって深い三昧に至ることができるということです。
 これは昨年、8月の基礎講座で「ありがとう」という言葉の大切さが話題になり、町田宗鳳師の提唱している「ありがとう禅」をやってみようということになり、3月の定例禅会に龍廣老師が来られるので許可を得てから、正式に取り入れようということになりました。

 茶礼では、「ありがとう禅」を実践した感想を、全員が語りました。「『ありがとう』という言葉自体がよい」「『般若三昧』と同じように声に出すことがよい」「高い声と低い声とがコーラスのようで良かった」「心の底から『ありがとう』と言った経験がなかったのでショックだった。今迄の『ありがとう』は軽かった」「心地よかった」「坐禅より、ありがとうと唱えるありがとう禅の方が良い」等々、異口同音によかったことが述べられました。長野禅会の特色が、また一つ加わっていくことになりそうです。  (文責 峰村)



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