コロナウィールスで世間は騒然としているので、老師には来ていただかない方が良いということになり、その旨連絡申し上げて、私たちだけの会になりました。従って「ありがとう禅」について老師に許可をいただくことはできませんでしたが、それは次回ということになり、2月の時と同じように1炷の坐禅の後、「ありがとう禅」の練習をし、私が提唱させていただきました。
内容は、最近他人の過ちが許せない人が多くなってきたこと、ネットの炎上等では人が見ていないとなると悪辣なことを平気で言う、これが人間のおぞましいところです。私の心にもこのような事があるのですが、坐禅の目的は自らの至らない、ありのままの姿を見ることができるようになることです。
何十年も坐禅の修行をやっても真実を掴むことはなかなか難しく、少しばかり坐禅をやったことを鼻にかけ、かえって自我を膨らめて、プライドばかりが強くなり、鼻持ちならない禅者が多くなってきました。
読経、般若三昧、マントラ、ありがとう禅などで、声の力を借りて三昧を深くすることができれば、無我無心から本来の自分に立ち返ることができるのではないか。ありがとう禅をできるだけ取り入れて各人の修行が本物になるようにしよう。 (文責 桐山)
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