新緑の眩しい好日に、2炷の坐禅を実施しました。
その後、桐山主宰に先月の続きのご提唱をして頂きました。内容は歎異抄の「弥陀の誓願」・「十余ヶ国の境を越えて」・「善人なおもて」のお話と楽曲鑑賞でした。
歎異抄を徹底的に読み込んだ桐山主宰は、持ち前の感性の鋭さや人間性の豊かさから、日々の我々の生き方を問いつつ、弥陀の誓願が禅でいう般若の智慧と同じであることや教育をすることがそのまま禅であるということ等を、確信をもって説かれていました。
また、CDの音楽鑑賞に先立って、桐山主宰が作曲された一部をアカペラで歌われましたが、そのリズミックな情感と魂の底から出る迫力はプロの歌に勝るとも劣らない鬼気が迸っていました。
我々は、退職校長会での講演に先立って拝聴する恩恵に浴した訳ですが、退職校長会の方々もきっと感動し堪能すると思われます。
茶礼では、ご提唱の「善人なおもて」が話題となり、いろいろな意見が出されました。「仏道をならうというは自己をならうなり、自己をならうというは自己を忘るるなり」という道元の言葉を援用した桐山主宰から、自力が残っているうちは救われない、禅も他力である、とまとめて頂き改めて禅や仏道の核心に迫る茶礼となりました。 (文責 鈴木)
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