落ち着いた秋の風情の中、3炷の坐禅を実施しました。その後は、桐山主宰のご提唱でした。6月に行われた長野県退職校長会での講演の記録が会報に掲載されたので、それを中心にしたお話でした。
演題は「歎異抄を歌う」で、併せて仏教の要点に迫る内容でした。歎異抄は親鸞の言行を本にしたものですから、浄土真宗の教えが説かれています。これが禅とどういう結び付きがあるかを、桐山主宰の教職時代の研修等にまで遡り、音楽や坐禅の師匠との出会いやその後のご自身の厳しい修行・実践を通して、一つになっていく過程が克明に語られています。
とりわけ、「山・川・自然のあらゆるものや現象、そして心の中の煩悩や苦しみ・喜びまでもが、すべて自己を離れた他力なのです。」という箇所は、桐山主宰の禅体験と「縁起・空」等の学識とが一つに結び付いた名文言だと思います。
私達の坐禅での修行が、桐山主宰のこのお話も含めた毎回のご提唱によって、一層深まることに改めて感謝と期待をもった一日でした。
その後、桐山主宰に先月の続きのご提唱をして頂きました。内容は歎異抄の「弥陀の誓願」・「十余ヶ国の境を越えて」・「善人なおもて」のお話と楽曲鑑賞でした。
茶礼では、茶礼では、11月4日の正受庵坐禅会が無事に進行できるように、差定・ポスター・掲示物等々の検討・確認を行いました。
次に、所さんの「運転中の運転以外の考え」の質問が二つの三昧に関係していること、この事から、物事を総体的に捉える「観」と一点に集中して捉える「見」とのバランスが日常生活の多くの場面でも大切であること等が、発展的に話題となりました。
また、長年に亘って童話を書いている斎藤さんの最近作が「真に寄り添う人間」を表現されていることも話題になり、二つの話題は共に禅のはたらきの素晴らしさに繋がっていることが確認できました。(文責 鈴木)
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