<<平成31年2月定例禅会>> 参加者:9名 会場:サンライフ長野

 穏やかな節分の日、般若心経を読み下し文と漢文とで唱えた後、3炷の坐禅を実施しました。その後、桐山主宰にご提唱をして頂きました。会員が話題にした関心事を糸口にし、これを各自に問い返しつつ、禅の核心に迫る手法で話が展開されました。
 例えば、仏様と菩薩様とではどちらが偉いか等に関わっては、各自が観音菩薩(衆生本来仏なり)であることを本当に自覚できているかどうかと、また、坐禅が深まると音が聞こえなくなるか等に関わっては、音は絶え間なく自然に耳に入っているが自意識的に聞こうとしていない(無眼耳鼻・・・無色声香)かどうか、つまり、音と自分とが一つになっているかどうか、という具合です。
 更に進めては、他人への悪口は結局自分への悪口になること等で自他一如の真実や、川渡りの譬え話(花魁を背中に背負った禅僧は引きずらないが、心に背負った禅僧は引きずる)で物事に囚われないことの大切さ等を、分かり易く説かれました。

 茶礼では、桐山主宰から3月20日の天慶禅師の講演会への参加呼びかけを含む「Zenのこころでつながるヨーロッパと日本」及び「世界のための日本のこころセンター」について説明がありました。
 併せて、長野坐禅会(3日)・歎異抄講演会(8日)・不二接心会(15日〜)・理事会(24日)等についても報告がありました。また、「釈迦牟尼会百周年史」骨格案が示され、長野禅会での対応や協力の説明もありました。更に、長野禅会の安定的財政運営のための会費については、継続して協議していくことになりました。(文責 鈴木)



<<平成31年3月定例禅会:無得龍廣老師出講>> 参加者:7名 会場:サンライフ長野

 桃の節句の日、3炷の坐禅を実施しました。東京マラソンの影響による遅参というハプニングにも拘らず、山本老師には独参とご提唱とを泰然として行って頂きました。
 ご提唱の前段では、趙州無字や倶胝竪指にも触れながら、仏の命――ドーンという音が自分を含めた一切――に目覚めれば、一切の現象に固有の名前など無く、欠けたところも無いので求めるところも無い、と説かれました。
 後段は臨済録「大徳...擔鉢嚢屎擔子傍家走求佛求法・・・失是非一時法放卻」の箇所のご提唱でしたが、頭であれこれ分別する以前の世界が私たちの本来の世界だと分かれば、穢・浄も凡・聖も死・生も皆名前だけなのだから、求めたり迷ったりするなどの無駄をしてはいけないと説かれ、前段にも通じていました。

 茶礼では、山本老師の初夏のオランダ・ポーランド行きに絡み、欧州の方々の熱心な参禅態度等が話題になりました。どこの国の人でもお茶の味はお茶で、本質的な物に名前や違いはないと、ご提唱の内容にも繋がるものとなりました。また、地域の会合のため遅参された桐山主宰からは、本年度も正受庵での坐禅会を11月3日(日)に開催したいので協力をお願いしたいとの提案があり、順次準備をして推進していくことになりました。
 山本老師を囲んでの有志の夕食会では、老師の「丹田呼吸は、年齢に関係なく頭脳を喜ばせ、感性を若返らせる」というユーモアある体験談で盛り上がりました。(文責 鈴木)



<<平成31年4月定例禅会>> 参加者:8名 会場:サンライフ長野

 いつも通り3炷の坐禅を実施しました。会場のサンライフ長野の庭の桜は二分咲きくらいで、気持ちの良い日の坐禅となりました。
 その後、桐山主宰の提唱は、般若心経の文語体の読み下し文を用いて行われ、三昧に関わるお話が中心的な内容でした。
 概要を略記します。森本稚堂先生考案の般若心経の読み下し文を読むと、心経の思想つまり書かれていることの意味が分かること、意味が分かるとお経の中身と自分の普段の行動とがピタッと一致してくること、これが三昧につながるのではないか、と話されました。
 続けて、昨今、おかしな事件が様々起きているが、三昧の経験がないことに多くの原因があるのではないか、禅を習慣化して何事にも一所懸命に打ち込んで三昧になり切れば、過去の苦しみも乗り越えられ、生活を向上させることもできる。だから、文語体の読み下し文の素晴らしさを感じ取るためにも、これを暗唱して欲しいとも話されました。

 茶礼では、桐山主宰から、天慶老師の講演会(3月20日)のこと、理事会(3月24日)で今秋11月3日の正受庵坐禅会の開催が承認されたこと、推進中の釈迦牟尼会100周年史のこと等の報告がありました。これを受けて、早速に正受庵坐禅会のチラシの検討に入りました。参加者の募集方法や初心者へのきめ細かな対応など課題はいくつかありますが、秋の開催に向けて力を合わせていくことを確認しました。   (文責 鈴木)



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