穏やかな節分の日、般若心経を読み下し文と漢文とで唱えた後、3炷の坐禅を実施しました。その後、桐山主宰にご提唱をして頂きました。会員が話題にした関心事を糸口にし、これを各自に問い返しつつ、禅の核心に迫る手法で話が展開されました。
例えば、仏様と菩薩様とではどちらが偉いか等に関わっては、各自が観音菩薩(衆生本来仏なり)であることを本当に自覚できているかどうかと、また、坐禅が深まると音が聞こえなくなるか等に関わっては、音は絶え間なく自然に耳に入っているが自意識的に聞こうとしていない(無眼耳鼻・・・無色声香)かどうか、つまり、音と自分とが一つになっているかどうか、という具合です。
更に進めては、他人への悪口は結局自分への悪口になること等で自他一如の真実や、川渡りの譬え話(花魁を背中に背負った禅僧は引きずらないが、心に背負った禅僧は引きずる)で物事に囚われないことの大切さ等を、分かり易く説かれました。
茶礼では、桐山主宰から3月20日の天慶禅師の講演会への参加呼びかけを含む「Zenのこころでつながるヨーロッパと日本」及び「世界のための日本のこころセンター」について説明がありました。
併せて、長野坐禅会(3日)・歎異抄講演会(8日)・不二接心会(15日〜)・理事会(24日)等についても報告がありました。また、「釈迦牟尼会百周年史」骨格案が示され、長野禅会での対応や協力の説明もありました。更に、長野禅会の安定的財政運営のための会費については、継続して協議していくことになりました。(文責 鈴木)
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