<<平成30年2月定例禅会>> 参加者:8名 会場:サンライフ長野

 寒波襲来の季節でしたが、比較的穏やかな日に、いつも通り3炷の坐禅を実施しました。
 その後、私(峰村)が講話をさせてもらいました。タイトルは「禅と生活〜科学技術の発展の中で〜」です。内容の概略は、@私達の心の在り様が、生活の便利さや効率のよさと引き換えに、窮屈になっていること、Aこの背景を探っていくと欧米文明やこの根底に二元論哲学があること、B二元論的な存在論や時間論から生まれる科学技術の恩恵に浴しつつ、心の豊かさのためには一元論を原理とする禅思想や坐禅が不可欠であること、を白隠の坐禅和讃等を引用しながら述べるつもりでした。しかし、うまくできませんでした。

 茶礼では、白隠が言う「因果一如とはどういうものか」という質問が出されました。桐山主宰が「物を食べる(因)とおいしい(果)でしょ。おいしいからまた食べたくなる」と原因と結果が別物ではないことを、日常の事例で分かり易く話して下さいました。また、「修行すれば自殺はしなくなるか」という問いには「条件さえ揃えば、誰もがそういうことになる。だから自殺(悪)の条件をできるだけなくし、良いこと(善)を積み上げていくことが大切である」と結ばれ、茶礼のひと時が坐禅と同様に充実していました。                                 (文責 峰村)



<<平成30年3月定例禅会:無得龍廣老師出講>> 参加者:8名 会場:サンライフ長野

 春めいた暖かな日に、山本老師ご出席の下、2炷の坐禅を実施しました。その後、老師に臨済録のご提唱をして頂きました。「道流真仏無行真法無相・・・向叢林中牀角頭交脚坐」の所です。概略は、「真の仏や仏性には姿や形はなく、我々の心の中にある。それなのにあれこれ思い描いて苦や悩みに陥っている。無心(私のない心)になれば、苦悩が苦悩のまま、何ともない。苦悩も仏の命の働きであるから、因縁が消えれば苦悩も消える。天地がひっくり返っても、正しい命は不動である。無心になることが大事である。」です。

 茶礼では、五輪で活躍した選手たちの心境等が話題となりました。スケートの小平奈緒選手がオランダまで武者修行に行った「求道」精神やライバルの韓国選手と讃え合う心からの交感、高木美帆ら三選手が強豪オランダ勢を破った一糸乱れぬ隊列は、いずれも禅の呼吸や精神に近いのではないか、等々です。
 その後の老師を囲んでの夕食会では、所用のため遅参した桐山主宰も加わり、五輪の続きから話が人間の業や道元の時間論まで広がって大いに盛り上がり、楽しいひと時となりました。          (文責 鈴木)



<<平成30年4月定例禅会>> 参加者:10名 会場:サンライフ長野

 桜が三分咲きの気持ちの良い日に、いつも通り3炷の坐禅を実施しました。
 その後、桐山主宰に「禅と音楽」と題するご提唱をして頂きました。内容は歎異抄に関わるお話と楽曲鑑賞でした。
 桐山主宰が教職に就いた頃は、長野県の各校で職員研修として、哲学や文学等の古典の読み合わせが盛んに行われており、その一つが歎異抄でした。また、桐山主宰の作曲した歎異抄が、プロの声楽家によって演奏されCDにもなるということです。このような事が機縁になって、県の退職校長会から「禅と音楽」に関わっての講演を依頼されたとのことです。
 講演に先立って、教育界で古典(正法眼蔵・歎異抄・善の研究等)の精髄が先輩から後輩へと継承される「師資相承」とも言うべきところを熱っぽくお聞きしました。時間の都合で、歎異抄の核心部分や禅との関連等にふれての続きは5月ということになりました。(文責:峰村)

 茶礼では、初めて参加された井口さんの感想発表の後、会員の日ごろの疑問―見っ放しとはどういうことか、体を脱ぎ捨てるとはどういうことか―等々が話題となり、禅的生活に取り組んでいる会員の皆さんの真剣さが伺えました。        (文責 鈴木)



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