寒波襲来の季節でしたが、比較的穏やかな日に、いつも通り3炷の坐禅を実施しました。
その後、私(峰村)が講話をさせてもらいました。タイトルは「禅と生活〜科学技術の発展の中で〜」です。内容の概略は、@私達の心の在り様が、生活の便利さや効率のよさと引き換えに、窮屈になっていること、Aこの背景を探っていくと欧米文明やこの根底に二元論哲学があること、B二元論的な存在論や時間論から生まれる科学技術の恩恵に浴しつつ、心の豊かさのためには一元論を原理とする禅思想や坐禅が不可欠であること、を白隠の坐禅和讃等を引用しながら述べるつもりでした。しかし、うまくできませんでした。
茶礼では、白隠が言う「因果一如とはどういうものか」という質問が出されました。桐山主宰が「物を食べる(因)とおいしい(果)でしょ。おいしいからまた食べたくなる」と原因と結果が別物ではないことを、日常の事例で分かり易く話して下さいました。また、「修行すれば自殺はしなくなるか」という問いには「条件さえ揃えば、誰もがそういうことになる。だから自殺(悪)の条件をできるだけなくし、良いこと(善)を積み上げていくことが大切である」と結ばれ、茶礼のひと時が坐禅と同様に充実していました。
(文責 峰村)
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