<<平成28年3月定例禅会>> 参加者:8名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 穏やかな早春の日に、老師をお迎えし定例の3炷の坐禅を行いました。続いて、「臨済録」のご提唱をして頂きました。
 「道流、出家児は且く学道を要す。(中略)裏に向かい外に向かって、逢著すれば便ち殺せ。仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、(後略)」という箇所です。
 初めてこの「殺せ」の言葉を聞くときは、だれもが「どきっ!」とします。老師は、ここを「肉体を実際に殺生するのではなく、物事に執着せずに本質を掴むことである」とされ、続けて、「大切なことは無心に返ること、無心とは私心がないことであり仏心である」と話されたので、納得できる思いがしました。

 続いての茶礼では、会員から「即今の自己」や「父母未生以前の本来の面目」等について質問がだされました。老師からは「トン」と机を叩く音から全てのものが生まれるなど、丁寧にお答え頂きましたが、禅の本質にかかわる内容なので、頭での理解とともに坐禅を通して体得していきたいとも感じました。
 老師を囲んで有志の夕食会をもちました。老師から、「5月に4回目となるポーランドでの接心に行くが、今年が分水嶺になるかも知れない。」というお話があり、新たな展開も予感されるので、お土産話が今から待ち遠しくなりました。   (文責 鈴木)



<<平成28年4月定例禅会>> 参加者:7名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 桜が美しいこの日に、いつも通りの3炷の坐禅を行いました。続いて、桐山主宰から「アーラヤ識説」と題した講話をして頂きました。
 概略は、仏教の教えは、『縁起しているものは空である』という中観派の思想が中核のようである。この思想は自己や万物を対象にしているが、「アーラヤ識説」ではその対象を心にまで広げて説いている。従って、この両者の思想を学ぶことによって、仏教の教えをより広くより深く理解できることになる。このアーラヤ識説では、我々が日常で経験する全てのことは、深層無意識であるアーラヤ識に種子として記録・蓄積され、然るべき機縁により意識や行為として顕在化してくる。だから、努力して善の種子をアーラヤ識に満たしていけば、自らを変化・向上させ、更に自我意識を超えていつかは悟りの智慧に到達できるということです。
 この講話の内容は、いずれ「禅味」に発表されることになると思います。

 続いて、窓外のピンクの桜花を目で楽しみながら、春を感じる菜の花のお浸しをお茶請けに、緑茶を舌で味わいながら、心豊かな茶礼のひとときをもちました。今年の坐禅基礎講座のパンフ「誰にでもできる坐禅」が早くも出来上がっていて、紹介されました。今年は昨年の反省を生かし、回数を3回に増やし、3回目は山本老師にご出席頂く予定との事で、一層の充実した講座が待たれます。  (文責 鈴木)



<<平成28年5月定例禅>> 参加者:9名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 新緑が美しく気候のよい日に、いつも通りの3炷の坐禅を行いました。続いて、桐山主宰から「禅と唯識」と題した講話をして頂きました。
 概略は、自我意識には先天的なものと後天的なものがある。自我意識は克服されなければならないが、後天的自我意識は修行によって比較的容易に克服できる。先天的自我意識は厄介で克服には多少時間はかかるものの、深層自我意識に薫習されていた「正聞薫習種子」や禅経験の種子が呼び覚まされて克服できる。
 以上のことを、ご自身の癌体験をもとに、道元の「三時の業報の理」(順現報受・順次生受・順後次受)を援用しながら、我々にも分かるように日常の言葉でお話し頂きました。

 続いて、茶礼を行い、@桐山主宰の講話の感想、A長野禅会25周年記念事業について、B桐山主宰が出版する本の感想文について、を話し合いました。@では、(第八)識の転変である四智円明(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)の文字を善光寺の御開帳の回向柱でみたこと、Aでは、臨済宗ゆかりの禅寺等で老師のご都合のよい時期に行いたいこと、Bでは、長野禅会のできるだけ多くの会員が関わること、等が確認されました。                     (文責 鈴木)



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