<<平成28年6月定例禅会>> 参加者:9名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 ポーランドとオランダ帰りの老師を迎え、いつも通りの3炷の坐禅を行いました。続いて、臨済録の「逢親眷、殺親眷始得解脱・・・」の箇所を提唱して頂きました。本文に先立って、心について語って頂きました。
 概要は「心の本体は、執着を離れたもので、心そのものに生死はない。日常での様々な現象―味・苦しみ等々―は、因縁によって生じるがそれが尽きればなくなる。この現象そのものを表しているのが心である。だから、努力しなくても見えたり聞こえたりする。私たちが無心で生きているからで、無心とは私のない一心であり、仏陀のことである。
 関連した事例では、オランダでの接心で、ある女性から「苦しみは続くのか」と尋ねられたとき、「苦しみ」はあなたのものではなくその奥には仏陀がいると答えると、その女性は「私が仏陀!」と言って感動のあまり泣き出した。」という印象的な内容もありました。

 茶礼では、桐山主宰が自費出版された「禅を生きる―自覚への道―」を参加者全員に贈呈して頂き、まえがきを書かれた老師から、桐山主宰の努力への称賛とともに長野禅会の集大成でもある、とのお言葉を頂きました。有志による老師を囲んでの夕食会では、老師のご無事の帰国と桐山主宰の本の出版祝いの乾杯をしました。 (文責 鈴木)



<<平成28年7月定例禅会>> 参加者:10名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 暑い日でしたが、空調の効いた和室で3炷の坐禅を行いました。その後は、桐山主宰が出版された「禅を生きる―自覚への道―」についての感想を、参加者全員に述べて頂きました。「禅味」に掲載して頂くためです。
 次のような感想が出されました。@本書は、桐山先生が考えるとか書こうとかとしたものではなく、桐山主宰の体の中から迸り出たものをまとめた感じがする。A「空」について書いた他の本を4冊位読んだが、どれも胸に迫るものはなかった。桐山先生の空は「摩訶般若の世界である」となっていて納得できた。唯識は難しいので、これから何回も読んで分かりたい。B呼吸法の基本がよく分かる。分別智や根本智では自分の今ある姿を認め、命に感謝することが大切である。C文章が分かり易く、次から次へと興味がわく。Dとらわれない心を養う、それが坐禅の目的と理解した。E呼吸はなるほどと思ったが、唯識は分かりにくく、戻ったりして読んでいる。師との出会いの大切さが分かる。
 以上をまとめ、長野禅会の感想として「禅味」に掲載して頂く予定です。

 茶礼での、「禅は説明しない、という人もいるが、論理的に言葉で説明もできる。道元は正に説明している。言葉を通して真実をみていくのです」という桐山主宰のお話は印象に残りました。他に長野禅会開単25周年記念事業についても打ち合わせを行いました。   (文責 鈴木)



<<平成28年10月正受庵坐禅会>> 参加者:17名 会場:正受庵(飯山市)

 ★例会レポート
 今年は白隠禅師250年遠諱の節目の年ということで、10月と11月は白隠ゆかりの正受庵で坐禅会を行うこととしました。
 時折秋の涼風が入る由緒ある禅堂で、一般参加者を含め17名で2炷の坐禅を行いました。その後、桐山主宰にこの会場にふさわしく「白隠和尚坐禅和讃」の提唱をして頂きました。伝統ある禅堂と参加者の熱気もあってか、リズムとテンポもよく、桐山白隠かと思わせる力強い提唱でありました。
 本堂では、タイミングよく、正受老人や白隠の直筆の書・画が展示されていました。

 茶礼時に、皆さんに感想を述べてもらいました。落ち着いて気持ちよく坐れた、すっきりと爽やかに坐れて楽しかった、という感想が多かったです。一方、経行を入れるとよい、という声もあったので、次回の11月6日に生かしたいと思います。この日は、更に多くの参加者を迎えての坐禅会になることを、今から期待しています。  (文責 鈴木)



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