<<平成28年12月定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 初冬の穏やかな午後、2炷の坐禅をいつも通りに実施しました。峰村さんも十分とは言えない体調でしたが、出席されたので長野禅会としてもうれしく思いました。
 坐禅の後、桐山主宰のご提唱があり、「即今の自己」や「唯識」を基に今の思いを語って頂きました。要旨は「日常に起こる様々なことや思い(花が咲いてきれいだ、あの男には昔いやなことをされた等々)が、全て潜在意識である阿頼耶識に熏習され、人格を形成しているので、良いに付つけ悪いにつけ、機縁に乗じてそれが無限に出てきて行動を決定していく。この因縁からなかなか離れられないが、意識して即今の自己(ありのままの自己)になり切り、ポシティブな思いや行動によって、阿頼耶識を浄化していくことができる。」
 また、「病を得ることは真に生きることである。自分も病気等で『死』に近いところまで行き苦しんだが、それを乗り越えたとき、木も石も輝いて見え、生きていることが本当に素晴らしいことと思えた」などでした。

 茶礼では、正受庵坐禅会の反省(日程的に余裕をもったものにしたい等)と長野禅会の今後の展望(会員の勧誘等)について話し合いました。     (文責 鈴木)



<<平成29年1月定例禅会>> 参加者:9名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 雪が降り続く新春初坐禅会では、新入会員を交え2炷の坐禅を実施しました。その後、桐山主宰に道元禅師の「普勧坐禅儀」のご提唱をして頂きました。
 「原ぬるに夫れ、道本圓通争でか修証を假らん・・・中略・・・豈修行の脚頭を用うる者ならんや」までです。
 「道元禅師は真の禅を求めて、師の明全禅師と共に中国に渡った。日常生活の中に真実があり、その実践が禅であると悟って帰国した。『原ぬるに夫れ道本圓通〜』とは、見るもの・聞くもの全てが仏の顕現であり、もともと完全無欠に申し分なく働いているとしか言いようがない。明々白々の事実である。大本の教えは自由自在に展開している。だから修行や工夫など全く必要ないとも言える。坐禅をして悟りを開くなどということも必要ないし問題にならない。それは『当處』を離れないところにある。ここが大事。我々はすぐ当處=即今(今・此処・自分)を離れて過去や未来に飛んでいってしまう。過去のことを悔やみ、未来を心配して悩むことになり、当處を離れてしまう・・・・。」限られた紙幅で表現しきれませんが、仏道の核心に迫る堂々とした提唱でありました。

 茶礼では、初参加の方もいたので、久し振りに全員が自己紹介をしました。新年の出発にあたり、今年の長野禅会の展望(長野禅会創立25周年事業に桐山主宰の出版記念祝賀も加味する)等も出され、希望のある初坐禅会となりました。   (文責 鈴木)



<<平成29年2月定例禅>> 参加者:8名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 今年の2度目の坐禅会では、2炷の坐禅をいつも通りに実施しました。続いて桐山主宰から、先月の続きの「普勧坐禅儀」の提唱をして頂きました。前回と同じ内容の「普勧坐禅儀」にルビをふってあるものが配布され、みんなで読誦しました。これを暗唱できるくらいに何十回も読むと、意味も自ずと分かってくるから、努力して欲しいと励まされました。
 今回は、「然あれども・・・恁麼の事を努めよ」の箇所でしたが、前回の「道本圓通」へ戻りながら重ねる、という手法がとられました。ここが核心だからです。「塵埃」「払拭」の箇所では、五祖弘忍から法を継ぐ時の慧能と神秀の偈をプリントで示され、その違いを示して頂くことで、我々自身の禅への向き合い方を教えて頂きました。詳細は、桐山主宰のブログ等で発表される予定ですので、省略します。

 茶礼では、長野禅会の本年度の計画について、次のことが確認されました。長野禅会創立25周年記念事業として、@老師のご都合も伺い、秋ごろの実施にしたい、A正受庵での坐禅を一案とするが、日程・募集等の具体については今後検討する、B費用の積み立てや運用については、今後検討する、です。その他の事では、坐禅中の「魔境」が話題になりました。  (文責 鈴木)



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