<<令和4年11月20日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 肌寒さを感じる午後の坐禅会でした。ご提唱に先立ち、2冊の本の紹介がありました。
 1冊目のアメリカ人作家の「宇宙船地球号」では、人口80億人に迫ろうとしている地球上で、限られた資源の争奪戦などしている場合ではないこと、2冊目の会員の吉澤さんが写経の精神で書き上げて手作り製本した「正受庵」では、酒井盤山老師(元正受庵住職)が残った飯を捨てた弟子を叱責したことに触れ、「物の大切さ」や「禅の大切さ」を説かれました。また、酒井盤山老師の話から、正受老人の遺偈「坐死」に及び、これは禅の真髄や生き方を、つまり生きているありのままの自分とはどういうことかを、遺偈というスタイルで示している、と強調されました。
 ご提唱は、現成公案の「身心に法いまだ参飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。・・・」の個所でしたが、今までの提唱や体験等で解説なしでも分かるでしょう、お互いに足りないところを自覚して励んでいきましょう、と簡潔に切り上げられました。
 11月3日に実施された正受庵坐禅会については、各地の参加者から長野禅会へ寄せられた称賛・激励の言葉に意を強くし、更に充実・発展させていく方向を確認して散会しました。



<<令和4年12月4日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 穏やかな初冬の坐禅会でした。ご提唱に先立ち、三昧体験が語られました。桐山老師は、この時期に干し柿作りをしますが、一杯の柿の実を目で選んで手で取り、へたをとり皮むき機にかけ、むき終わった柿を外して別の箕に入れる。これを何百・何千とひたすら繰り返していると、いちいち考えなくても、目・手・身体が協働してはたらくので無心となり心が澄んでくる、とおっしゃるのです。日常での単純作業(草取りなど)を進んで行うことで、このような三昧に入りたいと思いました。
 ご提唱は、「現成公案」の「法未だ参飽せざるには・・・直下も一滴もしかあると知るべし」の個所でしたので、強調点を記します。
 海はただ丸く見えるだけだが、無心になって見れば、宮殿にも飾りにも見える。海徳―海には生命が溢れて無限の世界が広がっている―であるように、目前の石一個・紙一枚でも宇宙の全てを背負い、生命が溢れた(石徳・紙徳として)存在しているのだから、これを日常での各自の自分の生き方として観じ取って欲しいと、説かれました。



<<令和4年12月18日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:円城寺

 小雪の舞う寒い日でしたが、久し振りに新しい参加者である中村さんをお迎えしての開催となりました。
 ご提唱は、「現成公案」の「身心に法いまだ参飽せざるには・・・直下も一滴もしかあると知るべし」で、前回と同じ個所でした。
 これは全参加者への配慮で、初めて聞く人には、テキストの語句を現今の日常語に置き換えて、意味が分かるように話され、また、再聴の人には、「直下も一滴も、しかあるとしるべし」の語句に注目し、山・海・水の一滴さえも無心で捉えることの大切さを、理論物理学の素粒子論まで用いて説明されました。
 その無限のはたらきやすばらしさに気づけば、自分自身の修行が全く足りていないことを自覚できると説かれました。両者に分かる共通の事例として、桐山老師のご子息やボクシングの井上選手の具体的な言動を取り上げて、自他の優れた力や物事に執着しないことや、おごりの無い自由な生き方の大切さを示して頂きました。
 今年のまとめとして1年間を顧み、正受庵坐禅会の再開や桐山老師の下での長野禅会の順調な開催など、会員相互の結束と協力を確認し合い、新年の再会を期して散会しました。



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