<<令和5年1月8日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:サンライフ長野

 「何となく いいことありそうな 元日の朝 晴れて雲なし」(石川啄木)という感じの、穏やかな正月の午後に、新春初坐禅会と銘打った坐禅会でスタートしました。
 桐山老師のご提唱は、本物でかつ科学の発達した現代にも通じる宗教・禅の正当性や合理性(霊感やオカルトの悪用で脅かし金品を巻き上げるものではないこと、迷信ではなく最先端の科学でも説明がつくこと)などを、「量子論と禅」・「時間は存在しない」・「世界は関係でできている」等の書籍を援用しながら説く予定でした。
 しかし、時期を失してはできない仕事(干し柿の粉ふきのための作業)や行事(どんど焼き)が重なってしまい、万全の準備ができませんでした。
 このように日常で起こる様々な障害を、道元の「典座教訓」に倣って、真の禅的思考や行為に転換したことを明快に語って頂きました。我々もなすべき事が重なった時に、「いつやるのか」・「誰がやるのか」という問いや葛藤が生じますが、「今やる」・「自分がやる」と決意し実践することは、禅での「己事究明」そのもののであり大切な事であることを、桐山老師の実践例で示して頂きました。併せて、西洋科学(私たちの日常がすでに西洋化している)を本物にするのは禅の力であることも教えて頂き、新年に相応しいスタートになりました。



<<令和5年1月22日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:円成寺

 寒い日でしたが、本堂前では紅梅が咲き始めていました。桐山老師のご提唱は、先ず会員の読誦についての質問に答えることから始まりました。肝要なことは、読誦の回数ではなく、読みつぶれて三昧になる事の大切さを、古今東西の実例(三密加持のマントラ口業・釈迦牟尼会での読経・欧米人の祈りとしての讃美歌・ありがとう禅等)を示しながら、懇切に説かれました。
 次は、量子力学と禅について語られました。禅では道元の現成公案などでも、我々の常識からみれば、逆説・不可思議な事柄が各所に見られますが、最先端科学の量子力学を用いれば全て説明がつく上に、力ももらえるという画期的なお話でした。
 私たちの身体を含め全ての物や現象は分子・原子よりも更に小さな素粒子(電子・クオーク・光子=フォトン)でできていて、電子は原子核の周りを回り、軌道を跳んだり消えたりと予測不能ですし、フォトンに至っては矛盾する二つのはたらきである粒子性と波動性とを合わせもっている、ということです。
 素粒子は我々の常識を超えたはたらき(過去へ遡る、有りながら無い等)を平然と行います。身体は物質ですから、この素粒子のはたらきに左右されます。
 また意識や感情という心のはたらきも、この波動としての素粒子のはたらきが関わっているということになります。そうだとすると、道元禅師の言われる松は時である・山が私である・物心一如・身心一如・自他一如等々も納得されてきます。私たちが心で「だめだ」と思うと、身体までもだめになり衰弱することを経験していますが、これが量子力学で理論的に証明されると希望も出てきます。
 「できる」と心で思えば、実際に実現さえされるということですから。道元の言う逆説や不可思議も、「なるほど」と了解されてくる素敵なご提唱でした。



<<令和5年2月5日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 立春に相応しい温かな午後でした。
 桐山老師のご提唱は、前回の「量子論と禅」を更に深めるものでした。仏道や禅の教えである縁起や自他一如などを、光龍老師の「欧米の科学文明を本物にする禅の力」を念頭に、最先端科学である量子論から迫る形で語られました。龍樹は「縁起なるものは空である」と言い、物事の実体を否定し、その関係性を伝えていますが、量子論でも実験結果や高等数学から「世界は関係(素粒子の働き合い)でできている」(理論物理学者カルロ・ロヴェッリ)と結論付けています。
 また、道元は「同事を知るは自他一如なり」(菩提薩唾四摂法)と言い、同事は自分と相手とが違わないこと(自他一如)であると言いますが、これは量子論の世界でも言えるということです。量子論の基礎になっているスリット実験では、光は人が観測している時は粒子として、観測しない時は波動として観測されるという矛盾をどのようにとらえるかが大きな問題になっています。
 欧米で二元論を元として追究されてきた量子論も、更に綿密に進めると、禅の捉える一元論に限りなく接近し、遂には「本物の科学文明」が現成していくように思われます。また禅が捉えている世界が科学的にも説明がつくことを、量子論を用いて説かれましたが、この捉えに勝る道元の直観力に参じ無限の世界を観じて欲しいと、「現成公案」の「法いまだ参飽せざるには・・・直下も一滴もしかあると知るべし」を、参加者に繰り返し読誦させて下さいました。
 これは禅の三昧(無心)への入り口で、菩薩行(同事からの利他行)に繋がることを体験的に確信していらっしゃるからです。



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