「何となく いいことありそうな 元日の朝 晴れて雲なし」(石川啄木)という感じの、穏やかな正月の午後に、新春初坐禅会と銘打った坐禅会でスタートしました。
桐山老師のご提唱は、本物でかつ科学の発達した現代にも通じる宗教・禅の正当性や合理性(霊感やオカルトの悪用で脅かし金品を巻き上げるものではないこと、迷信ではなく最先端の科学でも説明がつくこと)などを、「量子論と禅」・「時間は存在しない」・「世界は関係でできている」等の書籍を援用しながら説く予定でした。
しかし、時期を失してはできない仕事(干し柿の粉ふきのための作業)や行事(どんど焼き)が重なってしまい、万全の準備ができませんでした。
このように日常で起こる様々な障害を、道元の「典座教訓」に倣って、真の禅的思考や行為に転換したことを明快に語って頂きました。我々もなすべき事が重なった時に、「いつやるのか」・「誰がやるのか」という問いや葛藤が生じますが、「今やる」・「自分がやる」と決意し実践することは、禅での「己事究明」そのもののであり大切な事であることを、桐山老師の実践例で示して頂きました。併せて、西洋科学(私たちの日常がすでに西洋化している)を本物にするのは禅の力であることも教えて頂き、新年に相応しいスタートになりました。
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