<<令和4年9月18日 定例禅会>> 参加者:5名 会場:円成寺

 穏やかな午後の坐禅会でした。ご提唱は、現成公案の「人の悟りを得る、水に月のやどるが如し。・・・天月の広狭を辨取すべし」の個所でした。
 人が悟り得る事とは、どんな水にも月が例外なく映るように、我々が有心(様々な考え事や差別心等)を断絶さえすれば、ありのままの自分(無心となり月が自分である)が見えてくる事である。
 桐山老師は、歩く時は一歩に成り切り、坐禅の時は一呼吸に成り切る事等を挙げ、この感得を促しました。これらの修練を積むことで、時節の長短・大水小水・天月の広狭等の差別意識が消え、日常のなすべき所作も自然にできるようになる、と結ばれました。
 その後の質疑では、地球温暖化の原因が人間の強欲にもあるとか、我々は人と人との関係性の中で生きているとか、自由な意見が飛び交い、ご提唱や道元の心に半歩でも近づけたような気分になりました。  (文責 峰村)



<<令和4年10月2日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 絶好の坐禅会日和でした。ご提唱は現成公案の復習でしたが、一段落ごとに参加者が読み上げ、その段落毎の重要語句を桐山老師が具体的に説く、という工夫がありました。
 「仏道をならふ...」では「自己を忘るる」を捉え、物事を行うときはそのものに成り切って無心・無我で行うことを説かれ、次の「人舟にのりてゆくに...」や「薪灰となる...」では、無心・無我の具体的な在り方を「自分の事なんかどうでもいい!」と叫ぶ横山紘一先生の毎朝の実践や、お金や地位を「すぐ他人と比較する」という我々の日常の悪癖を、感情を籠め臨場感一杯に示されました。
 ご提唱とは単なる言葉ではなく、真相・真実を直伝する強い力であることを改めて感じました。
 その後の質疑は、参加者の関心事ゆえに、ご提唱を深く理解する上でも、また各自の疑義を解く上でも大事な時間となりました。



<<令和4年10月16日 定例禅会>> 参加者:4名 会場:サンライフ長野

 穏やかな午後の坐禅会でした。ご提唱に先立ち、桐山老師の体験談が語られましたので、略記します。
 「ありがとう地蔵堂」に設置する手摺の資材の発注をめぐって業者と押し問答になりました。このとき、自分が無我・無心になって思い違いや非礼を詫びることで、相手の心を和らげその上感謝の言葉を頂いたというもので、日常における「無我」の在り様を具体的かつ教訓的に示して頂きました。
 ご提唱は、現成公案の「人のさとりをうる...天月の広狭を辨取すべし」の箇所でした。水に映る月を事例に悟りの素晴らしさや確かさを説いているが、「一滴の水にも宿る」とは、端的に言えば、私達は誰もがもう既に悟っている。ただこのことに気付いていないだけである。そのことを真に気づき、発見するためには、参禅やテキスト読誦等による深い三昧を修して、無我・無心の境涯を言葉の理解だけでなく自らの経験として体得することであると、結ばれました。
 11月3日の正受庵坐禅会の開催に向けて、諸準備の確認をして散会しました。     (文責 峰村)



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