穏やかな午後の坐禅会でした。ご提唱は、現成公案の「人の悟りを得る、水に月のやどるが如し。・・・天月の広狭を辨取すべし」の個所でした。
人が悟り得る事とは、どんな水にも月が例外なく映るように、我々が有心(様々な考え事や差別心等)を断絶さえすれば、ありのままの自分(無心となり月が自分である)が見えてくる事である。
桐山老師は、歩く時は一歩に成り切り、坐禅の時は一呼吸に成り切る事等を挙げ、この感得を促しました。これらの修練を積むことで、時節の長短・大水小水・天月の広狭等の差別意識が消え、日常のなすべき所作も自然にできるようになる、と結ばれました。
その後の質疑では、地球温暖化の原因が人間の強欲にもあるとか、我々は人と人との関係性の中で生きているとか、自由な意見が飛び交い、ご提唱や道元の心に半歩でも近づけたような気分になりました。 (文責 峰村)
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