3月も半ばを過ぎましたが、肌寒い小雨の日でした。
ご提唱は、桐山老師の奥様が亡くなられたことに関係して、生死にまつわるお話でした。まだ、奥様の逝去を受け容れない日が続き動揺しているとの心境を吐露されながらも、生死を深く洞察された禅者としての姿勢を示して頂きました。具体的には、「人は適当な時に死ぬ義務がある。・・・孤独と絶望こそ人生の最後に味わって死ねばいい境地なのだ。・・・この二つの感情を体験しない人は、多分人間として完成しない」(曽野綾子)や、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし・・・」(修證義)の言葉を、ご自身の直近のご体験と重ねて紹介して頂きました。また、奥様が生前に車椅子での生活を余儀なくされるような状態になった時に、「今ほどしあわせな時はない」と近所の方々に語っていたという事を、感謝して人生の最期を迎えたいというご自身の願望を込めてお話しになりました。私たちは、親や兄弟が死んでもなかなか本気で死について考えられない、あるいは時とともに癒されていくのか、段々と心が平穏になってきます。しかし、伴侶の死に直面したらうろたえるのか、憔悴するのか、更に、自分自身が死に直面したら周囲に感謝できるのか、もがきあがくのか、という事などを考えさせられる究極のご提唱でした。
奥様のご冥福並びに桐山老師のご健勝をお祈りしつつ、拝聴致しました。終わりに、6月15日の正受庵坐禅会の計画案を確認して散会しました。 (文責 峰村)
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