<<令和6年3月3日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:サンライフ長野

 桃の節句の日でした。ご提唱は、般若心経の「無眼耳鼻舌身意」はいつも読誦しているが、これを各自の言葉で言うとどうなるか、というところから始まりました。無眼・無耳・無鼻・・・となる心経で、例えば風がふいて「ヒューヒュー」と音がしている状況を想定します。ヒューヒューという音はしますが、これを自分の意志で聞くのではなく、「聞くままに また心なき 身にしあれば 己なりけり 軒の玉水」の道歌のように無心で受け止めることが、般若心経が示している事です。苧坂光龍老師は「聞きつぶれる・そのものに成り切る」と言われ、岡田利次郎先生は「聞こうとして聞かない・ただ聞こえている」 と仰いました。知識・概念ではなく、経験として捉えることの重要さや深さを説かれました。
 次に、桐山老師が発行予定の著書の原稿を、事務局が整理した文案で検討しました。老師からは「欧米の科学文明を本物にする禅の力とは何か」ということを明らかにする事や、科学文明は二元論であり、これを本物にするためには禅や唯識の一元論の力が不可欠であるという、是正の方向を示して頂きました。
 会員からは、素粒子の二面性や観測問題などの意見、数学的概念的なことはできるだけ簡略にしたほうが良い、「はじめに」の言葉が大変良く分かるので良い等の意見が出されました。量子論はよく分からないという人には、相補性の原理のところを読むようにというご指導がありました。また、鈴木大拙の「機心」の資料が配布されましたが、時間の都合で取り扱えず、次回にお話し頂く事になりました。言葉を聞いて理解し伝えることの難しさを思い知らされました。



<<令和6年3月17日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:円城寺

 彼岸入りの日でした。始めに、直日が上田閑照先生の著作から引用して「純なる生命の働きを観ずるように坐禅に励みましょう」と言った事を受け、桐山老師が「縁起と空」の論考を上田先生にみて頂き、「捉え方がとても良い」と認めて頂いた事や、「限りなき開け」(無限の世界)を洞察して目に見えない世界と目に見える現実の世界とを同時に見る事が大事である、と教えられた事などが語られました。
 次に、EUで生成AIの開発に向けての規制が議会で可決された事から、活発な意見交流がなされ、AI活用の利便性やAI自身が意志をもつ事の危険性などが出されました。この議論を踏まえ、桐山老師は、文明の利器を動かす根底には半導体・量子論・数学等の概念的な思考が働いているが、実在するものではないこと。便利な機械類は、より速くより大量に効率よく物を作るが、その反面で老荘の機心(功利主義的な心)によってストレス・引きこもり等を引き起こし、人間性や人間の生き方を破壊する要因にもなり、生活上で恩恵をもたらす西洋の科学・技術と、無我無心で本当に人間らしく生きる一元論の東洋の心・禅的生き方とを、両側から観察する心が必要である。これが光龍老師の言われる「欧米の科学文明を本物にする禅の力」の具体であると結ばれました。
 この総括を受けて、会員からはAIや核の使用は人間の葛藤する心の問題・ドラえもんの「どこでもドア」という理想と現実の境界を往復することの大切さ・富の偏在する先進国でホームレスの人を殺害する荒廃した人心・日常は決して当たり前ではなく感謝の心が必要な事など、東洋(慈悲心)と西洋(機心)の両輪の噛み合う実在の世界が、各人の関心面から語られ、深まり合いが感じ取れました。機心と慈悲心との調和などの残された問題などは、現代に生きる我々自身に付きまとう課題であり、引き続き学んでいきたいと思います。



<<令和6年4月7日 定例禅会>> 参加者:5名 会場:サンライフ長野

 桜の花が開き始めた穏やかな日でした。
 始めに、直日が「山笑う」(春の季語)の息吹に呼応して坐禅に励みましょう」と言ったことを受け、桐山老師が「峰の色谷の響きも皆ながら わが釈迦牟尼仏の声と姿と」(道元の道歌)を引用しながら「笑っているのは自分である」と自他一如のお話をされ、これを糸口に本題「縁起と空」に入られました。
 釈尊は自我を離れることで、全てが真の自己である(自他一如)という事実に目覚めたこと、つまり無我・空に目覚め、同時に空の背景に連綿と流れ広がる縁起に気づかれたこと、この縁起・因縁の法則によって我々の命を含めた万物は変化流転するので、固定した実体はないこと、従って存在するものは在ってしかもないとしか言いようがないこと、などが述べられました。
 また、空の立場に立てば、全ての実在は相反する二つの依存関係(上下・長短・苦楽・・・)としての縁起によって成立していることが分かり、どちらか一方のみに囚われることがなくなるので、苦しみ即楽しみと捉え、自由自在に生きられる筈である、と展開されました。
 この縁起と空という仏教の核心(大元に四法印=諸行無常・諸法無我・涅槃寂静・一切皆苦)に戻ってのお話によって、これまで「量子論と禅」で語られた諸相・諸説(ボーアの相補性の原理やカルロ・ロヴェッリの関係性の原理など)の意味と位置付けが、判然としたように思いました。
 続いて、「慈悲の瞑想」を輪読し解説して頂きましたが、とりわけ第9章は「苦しむ世界で苦しみ無く」の内容で、ご提唱とのつながり(自我・無我など)があり気持ちを新たにすることが出来ました。終わりに、6月16日の正受庵坐禅会の基本的推進方向を確認して散会しました。



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