<<令和5年8月20日 定例禅会>> 参加者:8名 会場:円城寺

 酷暑の日でした。桐山老師のご提唱は、お孫さんとのメールのやり取りという身近なお話から始まりました。
 内容は、桐山老師が作った料理の写真の送受信に絡むもので、料理はレシピなしで程よく作ることがプロセス主義になるというものです。レシピ通りに作ることは結果主義になるということで、桐山老師のプロセス主義という考えを日常生活に即して分かり易く語られました。
 禅語では「在途中(プロセス)不離家舎(結果)、離家舎不在途中」とも言う。昨今は結果主義で進めることが多く結果だけに追い込まれて窮してしまい、自殺・いじめなどが多発することになる、目の前の為すべきことを大事にして大らかに生きるためにも、プロセス主義で生きる事が大切である、と説かれました。
 本題は、「慈悲の瞑想」の続きで、「エゴの錯覚」の個所でした。他より優れていると感じる高慢も、他より卑しいと感じる卑下慢も、他と同等だと思う同等慢さえも、我(が=エゴ)のはたらきから起こり、争いが絶えないことになる。これをなくすにはどうすればよいか、というところで「心は大地のように」に戻り、大地のようにはなかなか生きられないが、宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩のように「そういう人に私はなりたい」と念じながら生きること、生活の中で活かしていくことが大事で悟りに繋がっていくと、励まして頂きました。「大地には力がある」というまとめの言葉は、実際に大地を活用して農業に生きる桐山老師の実践的実感だと思い、肝に銘じました。
 諸連絡では、11月3日の正受庵坐禅会に向けて諸準備を進めていくことを確認し合いました。                 (文責 峰村)



<<令和5年9月3日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 9月に入っても猛暑でした。桐山老師のご提唱は、食事の前に奥様と「慈悲の瞑想」を唱えているということです。これによって奥様も元気が出てこられたということです。桐山老師ご自身も、坐禅中に「慈悲の瞑想」や「現成状公案」などを心の中で唱えることがあるそうです。繰り返し唱えていると仏教の真意が迫ってくるようであり、公案に参じていない会員にも推奨されました。
 ご提唱は「慈悲の瞑想」チャプター9、「苦しみの世界で苦しみ無く」のところでしたが、今回は読誦に加え質疑応答という形で進められました。会員からは、「一切の現象は苦である」と書いてあるが本当にそうだろうか?との疑問が出され、桐山老師は人生における四苦(生老病死)を真に自覚できたら苦でなくなるとした上で、他の会員の意見も求められました。何人かが所感を述べた後、老師からの「一切は無常であり、自分というものはない」という説明に対しては、「自分はないと言われても、現に俺は居る、無位の主人公が自己で自分とは違う・・・?!」・「無常といっても何億年単位なら分かるが、百年足らずの間では・・・無我ではなく有我という在り方もあるのでは?」・「無常と苦と無我は同じことか?・・・楽しいときには自分はない!」などと、各自が老師と対話するようでもあり、同時に各自が自問自答するようでもある深い密な時間が流れました。
 このような時間を通して、桐山老師の日頃の教え―全てのものは消え去るという無常観、また山は私のこころの影像であるという唯識の考え方が各自の中で熟成・消化していくように、有意義な会になりました。     (文責峰村)



<<令和5年9月17日 定例禅会>> 参加者:9名 会場:円城寺

 9月後半とは思えない猛暑でした。ご提唱は、久し振りに参加された島田さんへの配慮や会員の復習も兼ね、11月の正受庵坐禅会の予告を含め、禅のもつ魅力から始まりました。
 中でも、行学兼備の苧坂光龍老師の「西洋の科学文明を本物にする禅の力」という卓見や、現代科学の最先端をいく量子論は難解だが、禅の視点から全部説明がつくという確信的展望は、現今及び未来に対して禅のもつ大きな魅力や可能性を改めて示すものでした。
 本題の「慈悲の瞑想」についても、この著者のスマナサーラという人物の紹介や、内容は阿含経典等が出典になっているというお話、また、人生の四苦八苦も釈尊の四門出遊(老人・病人・死人・修行者に出会って苦諦に目を開く)に因を発しているという丁寧な解説のあと、読誦・輪読に入りました。
 第1章では、過ぎ去ったことに執着しない・将来のことをくよくよ心配しない・今ここでするべきことに集中することを、第2章では、他者に対して優しい言葉で接することや差別しないことなどを、日常の言動から具体的に説いて頂きました。つい自分が正しいと思い込んで、相手を攻撃したり見下したりすることが多々ありますが、そうならないように「自分の心に言い聞かせる」というところは、各人とも反省しきりでした。
 「慈悲の瞑想」を声に出して繰り返して読誦することで心が平安でいられると励まして頂きました。     (文責:峰村)



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