<<令和5年7月2日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:サンライフ長野

 梅雨の合間の暑い日でした。始めに桐山老師から臨時理事会の報告がありました。
 釈迦牟尼会の今後の在り方を左右する厳しい議案の論議の末に、古民家再生事業計画に応募申請する方向で一応の決着をみたとのことです。まだ不確定部分はありますが、本会の新たな事業・運営の展開を見守りたいと思います。
 次に、桐山老師のこれまでの考えや歩み、更に仏教統一という革新的な展望などを本にまとめて世に問うという構想が示され、会員にも提案をして欲しいと話されました。
 ご提唱は、「慈悲の瞑想」(スマナサーラ著)から引用した偈頌(法句経)がテキストでした。第1章は「私は幸せでありますように」と題され、怒り・嫉妬・等が私たちを苦しめるので、この感情・妄想が心に起こらないように精進し、慈しみの思考になるようにと書かれています。続けて、物事は常に変化し消え去ると観察し、過去に囚われず未来に執着しないようにし、今ここでするべきことに集中します、となっています。これは桐山老師が繰り返し語ってこられ、かつ声に出して唱念することで、量子力学の波動から学んだように、現実化されていくと強調され、今回も輪読・読誦させて頂きました。第2章以下も同様で、実践的には、「今ここでなすべき事に集中する」に尽きるが、これを継続する事でありのままの事実を発見でき、これこそが悟りの光であると励まして下さいました。      (文責:峰村)



<<令和5年7月16日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:円成寺

 梅雨明けを思わせる暑い日でした。桐山老師からは自分の考えなどは棚上げにして、無心で聴聞する事の大切さをお話しして頂きました。草取りでもカラオケでもそれに没頭する事が肝心だが、すぐ余計なことを考えてしまうのが我々の常である、無心の境涯を得るには、坐禅が最も効果的であると説いて頂きました。これを補強するのが提唱や読書などで得られる言葉の力であることも、大リーガーの大谷選手や栗山監督の実践例を通して教えて頂きました。坐禅(行)で得た無心の境涯を禅籍などの読書(学)や提唱で確認して、生き方として確信していく(行学一如)事が修行の肝になります。
 ご提唱は、「慈悲の瞑想」をテキストに、第3章から説いて頂きました。「全ての生命は自分の父・母・兄弟であると思えるように精進する」の個所は、全ての生命には人間だけでなく山も川も石も地球も宇宙も含まれる事、「全ての生命の幸福や繁栄を祈る」という事は慈しむ心、所謂菩薩道である事を説いて頂きました。自他一如の心に到達するのは難事ですが、日々に精進し育んでいく事、と努力の仕方まで示されている法句経に感心させられます。桐山老師が真言(法句経や正法眼蔵等)を繰り返し臆念し読誦しなさい、と言われる所以がここにあると了解できました。
 諸連絡等では、11月3日(祝)の正受庵坐禅会の開催が可能になったことから、これに向けての諸手続きや諸準備に入ることを確認して散会しました。          (文責:峰村)



<<令和5年8月6日 定例禅会>> 参加者:5名 会場:サンライフ長野

 暑さの中でも真剣な坐禅が出来ました。桐山老師のご提唱は、前回に続いてアルモブッレ・スマナサーラ氏の「慈悲の瞑想」でした。皆の読みが深まってきたようで、質問が出されました。
 チャプタ8の「同等慢」のところで、皆と同じことが何故いけないのかという疑問です。そこで、その部分を交代で読誦し合い話し合いました。比較することが差別に繋がるのではないか。或る人と同じであることを良しとすると、それ以外の人は除外し差別したことになるから「同等慢」も良くない等々が出されました。
 また、自分は高慢で同等慢で、卑下慢でどうしようもないという懺悔に似た意見に対して、桐山老師からは、先ずそのような自分であることが自覚できることが第一であり、高慢な人は自分が高慢であることを自覚できていないから、その苦しみから離れることができないと指摘していただき、励まされました。
 続いて「皆、業を相続します」のところを読誦し合い、桐山老師からは業(カルマ)から発展して唯識についてのお話がありました。唯識で自らの心の構造が明らかに捉えられると、苦しみが起こってくる理由や仕組みが分かってくるので、自らの安心・安住への糸口になるというお話が心に残りました。



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