<<令和5年4月2日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 桜満開の午後でした。桐山老師のご提唱は、「現成公案」の「うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく・・・・見成これ何必なり」まででしたが、これをWBCで活躍した大谷選手の生き方などを通して分かり易く語って頂きました。
 彼が世界屈指の選手になったのは、世界最高の選手になるという目標を中心に、それに向けて何を為すべきかを文字で曼荼羅図のように書き、それを懸命な努力でクリアしていったからです。
 一つ一つの目標(為すべき事)を真正面に据え、我を忘れ無心で打ち込む行為は禅そのものです。彼が球場でゴミを拾うのも、人気取りなどという打算ではなく、禅で言う「為して為さない」(利他行)の自然体です。
 その後にテキストに入りました。以水為命・以空為鳥・以鳥為命・以魚為命・・・では、言葉・理屈が先にあるのではなく、水・魚・空・鳥がはじめから一つの命になって躍動しているように、我々も目前の物事と一体(人境一如)になって自在に生きることの大切さを説かれ、また得一法通一法・遇一行修一行では、目の前の一つ一つの事に丁寧に打ち込むこと自体が仏道修行である事が語られました。
 身体を動かすことの重要性・禅修行の在り様・我々の生きている現実(修証一如)を丁寧に説いて頂きました。



<<令和5年4月16日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:円成寺

 皐月を感じさせる新緑がきれいな日でした。桐山老師のご提唱は、スマフォやパソコンの話から始まりました。スマフォでのライン利用で、お孫さんたちと近況報告や情報交換が簡単にできることや、パソコンでのネット利用で、世界からのニュースを受信したり、逆に自分の考えも世間に向けて発信できたりすることの便利さやすごさが語られました。これらの利用で、禅会の新たな可能性についても言及されました。オンラインによる遠隔地間の公案修行は、対面ではない故の制約があるとしても、今後の課題として前向きに検討し実現していく必要性があることも確かな事です。
 テキストは、現成公案の「麻谷山宝徹禅師、あふぎを使う・・・」から最後まででした。本テキストでのご提唱の集大成として、「真実は、理屈(言葉)にではなく、綿々とはたらいているはたらきそのものに成り切って、ありのままに生きる事にある」とまとめられた後は、読誦が繰り返されました。
 この後、桐山老師は地区の所用のため早退されましたが、会員だけで一人一言の時間をもちました。話題は、法話を聴いての伝達報告・量子論におけるパラレルワールド・坐における結跏趺坐・非思量の捉え・坐禅と言葉のバランス等でした。桐山老師が在席ならば、即座に的確なご指導がなされたと思いますが、会員だけの相互の意見交換にも自由な闊達さが見られ、意義を感じられる場となりました。これまでの桐山老師からの薫陶や励ましが利いた成果ではないかと思います。



<<令和5年5月7日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:サンライフ長野

 新緑が雨に洗われる午後でした。桐山老師のご提唱は、「現成公案」の総まとめ的な内容でした。
 これまでのお話には、極微世界では時間・空間を自由闊達に飛び交う量子の動きから、我々の身心も量子によって構成されている故に融通無碍・自由自在に生きられるのではないか、というような内容でした。
 今回は、逆に極大な世界である宇宙の広大さに視点を向け、光速というとてつもない速さで飛んだとしても、地球の属する銀河から別の銀河に到達するのに何万年もかかるという無限大の宇宙を想像することで、 人間の極微なちっぽけさを自覚できるならば、我欲による人間同士の争いや戦争などは全く取るに足らないものになるのではないか、というお話でした。
 道元禅師の「ただわがまなこの及ぶ処、しばらくまろに見ゆるのみなり」は世界の広大さを、「直下も一滴もしかあると知るべし」は世界の極微さを想像できないでいる私たちに、 物事を視覚・聴覚だけでなく鋭い感性で想像し捉え日常生活に活かしなさいと諭している、 また、三祖(そうさん)の「信心銘」 での極大・極小を詠んだ一句を紹介しての桐山老師のご提唱に、一同心の解放感を頂きました。
  諸連絡では、6月18日の正受庵坐禅会開催は可能であることが判明し、当日の日程・役割分担等を確認しました。11月3日については、茅葺き工事の進捗に合わせて推進することになりました。



戻る活動案内(目次)に戻る     戻るトップページに戻る 前頁へ前のページへ 次のページへ次頁へ