<<平成26年2月定例禅会>>参加者:9名 会場:サンライフ長野
 ★例会レポート
 2月なのに、麗らかとなった日に、いつも通り三炷の坐禅を行いました。その後、桐山主宰から、前回の「空(くう)」の講話の補足のお話しをして頂きました。その概要を記します。
 「空」としての智慧の教えは中国に伝わり、さらに日本に伝わって、禅の中心思想となっている。お釈迦様の生きたインドの時代は、輪廻思想が支配的で、前世の悪業によって報いを受け、奴隷は奴隷として生涯を過ごすという不合理な考え方で、カースト制度を維持するための思想であったとも言える。
 お釈迦様は「一切の衆生は如来の智慧徳相を具有する」という真理を具現するべく、「縁起」の法を示された。ものごとには必ず原因があり、そのように成るべくして成っているということである。また皆が公平に生きられるように、良いことをすれば必ず良い事が巡ってくるという思想である。
 縁起とは、全ての事物は関係性で成り立っているということである。そのものとしての固有の実体は無く、あるのは関係性、いわゆる相互依存関係のみである。そして縁起する関係性のことを「空性」と漢訳されたことによって、仏教思想が飛躍的に発展したと言えるのではないか。空は、サンストクリット語の「シューニャ」(うつろで実体がない)を、「空」と漢訳され、約束ごととして空と決めただけである。しかし、全てを包み込んでいる紺碧の大空は、まったくの虚無ではなく、在ってしかも無い「中道」の具現であるとも言えるのではなか。素晴らしい翻訳である。
 縁起するものは「空」である。人知を超えた絶妙の関係性や働きによって、無限に展開している状況を「智慧」と表現した。つまり、縁起するものは空であり、空なるものは智慧である。智慧が如現した状態を「如来」というのである。
 ものごとに実体がないという「縁起観」を説いたお釈迦様の思想は、当時の仏教界には容易には理解されなかった。仏教に大日如来とか阿弥陀如来とか、多くの如来を登場させた。その上、お釈迦様まで、釈迦如来として偶像化され、信仰の対象としていくのは、縁起や空を分かり易くするために創造されたものであるとも言えるが、必ずしも仏教の本道ではない。
 空や縁起の思想は、中国で禅思想として開花したのであるが、それは「般若の智慧」であり「心」であるというように、現実の人間の生き方に直接結びついたものになった。
 坐禅によって、空や縁起の考え方に納得できれば、閉じていた私心が開かれ、縁に従った、闊達で自由な生き方ができるようになる。
 ★茶礼会
 数人の会員からの差し入れがあり、お茶請けの豊富な席となり、話題も豊富になりました。そのいくつかをご紹介します。福島の原子力発電所の事故問題については、優秀と思われる科学者の説明が、我々市民に納得のいく説明になっていないのではないか、健康への不安に対してどのように対処すべきかを明確に答えていないのではないか、また、最近のSTAP「刺激惹起性多能性獲得」細胞を見つけた小保方晴子研究ユニットリーダーは、素晴らしくノーベル賞受賞者候補になるかも知れない、更には、オレオレ詐欺にあう人が沢山いるが、我が子を助けたいという母性本能にスイッチが入り、だまされてしまうことになる、等々です。最後に、桐山主宰からは、問題山積の社会だが、町のピアノ購入のための寄付金を依頼したところ、皆様に温かな協力をして頂き、世の中まんざらでもないなというお話があり、気持ちの良いまとめとなりました。
(鈴木記)


<<平成26年3月定例禅会:無得龍廣老師出講>> 参加者:8名 会場:サンライフ長野
 ★例会レポート
 山本老師をお迎えして、二炷の坐禅を行いました。その後のご提唱は、臨済録の十四、「問、如何是仏魔。師云、・・・中略・・・若達真正見解圓明、方始了畢。」の箇所でした。ご提唱の前段部分を略記します。
 私たちが唱える「南無甚深般若波羅密多」の、「甚深」とは根本からのものをいい、「若波羅密多」とは元からの命が働いていることをいう。現象が現象を認識するのである。年を取った大人の人間が何故「南無甚深般若波羅密多」を唱え、数息観をやるのか。一つ、二つと念じている。お客が来れば挨拶をする。人間とロボット(コンピューター)の違いは何か。コンピューターは種々の技や計算はできるが、コンピューター自身のことは分からない。人間は、一つと唱えれば、元からの命が働いているので、考えなくても世界と一つになれる。音がすれば、元からの命が働いているので、聞こうと思わなくても自然に聞こえてくる。よく無心と言うが、心が無いのではなく、私心がないのである。私心のない見るもの(現象)が、そのもの(現象)を見ているのである。見聞覚知はそのまま見聞覚知であり、行住坐臥はそのまま行住坐臥である。雑念とは何かといえば、そのものがそのまま分かるということである。雑念が浮かんでくるのは、ちゃんと心が働いているからである。私・我を立てるから囚われてしまうのである。パチンと音が鳴る、そのパチンという音が私自身である。ものごと全てが、あるがまま円満に働いている智慧に目覚めること、それが坐禅である。
 ★茶礼会
 茶礼では、老師に参加者の現在の心境を聞いて頂きました。○5〜6年坐禅をやってきて、ようやく馴染んできたように思います。○結構長くやっています。日常生活の中で雑念を相手にしないようにやっていますが、なかなかうまくいかないです。○何十年もやっていますが、身に入らないことが多いです。○雑念が出てきて十までいったことがないです。雑念を消していきたいと思います。宜しくお願いします。○坐禅会に出席して一年位になります。過日ある仏教会に出席して、日本の家には仏壇等があり、家の中で祈る所があるが、そういう国は少ないのではないかと聞きました。坐ることによって、祈ることについても、深く考えるようになりました。○昨年から時々参加させてもらい、自宅で坐禅をやった日にはすっきりするように思いますし、体が柔らかくなるような気がします。○坐禅をすると、気がつかなかったことに気が付き、新しい発見があります。女性の出席者も数人いるので、お茶の準備や片づけ等も、誰にも言われずにスムーズに実施されていて気持ち良いです。
 ★夕食会
 茶礼後、老師を囲み夕食会を行いました。若い女性が参加してくれ、楽しく時間を過ごすことが出来ました。皆様に感謝です。        (鈴木記)


<<平成26年4月定例禅会>> 参加者:11名 会場:サンライフ長野
 ★例会レポート
 桜が満開の日、ゆったりとした気持ちで、いつもの通り三炷の坐禅を行いました。その後、桐山主宰から講話をして頂きましたので、要点を略記します。
 お釈迦様の法は記録として残っているが、坐禅は記録として残っていない。仏教では、法話を聞いて坐禅を体験していく。法話や講話は、能書きであり実物ではないので、言葉を手掛かりとして、坐禅によって実物を捉えていくことである。
 私は、今日の講話で何を話そうかと、以前から書き留めてあったノートを見たが、家を出る時にそのノートを置き忘れて来てしまった。何があったかよく思い出せない。でも、忘れたことを心配ばかりしても仕方がない。大切なことは、今この場所の条件にピッタリ合った、適切な講話にすべきことです。
 今日は峰村さんが東京ウィークエンド接心に参加していて、それを切り上げて、駆けつけていただき、「老師がみなさんによろしくとのことです」と言われました。また、久しぶりに西沢さんがお見えになり、さらに常連の方々全員が揃って、いつもと違った響きがあります。そのような沢山の条件が整ったところでの講話は、ただ原稿に忠実な話しだけでは場違いということになってしまうのです。皆さんのお顔を見て、丁度その時に最も必要な話をする。これから良い話ができるかどうかわかりませんが、即今の自己を生きるということです。ノートを忘れたら忘れていればよい。病気になったら、そのまま病気になっていればよい。病気から逃れようとジタバタするから、苦しむことになる。即今、只今の自分に徹し切って生きることができれば、それが縁起であり、空である。
 お釈迦様は、全てが自己であると言われた。私たちが呼吸をする空気や酸素一つをとってみても、酸素は私たちが排出する二酸化炭素を、植物が太陽光を採り入れて光合成をして出している。その植物は大地の上で育っている。このように、私たちは宇宙の全てのものとつながって生きている。酸素だけでなく、宇宙のありとあらゆるものは、全てそっくりそのまま、私として動いている。そして、それは「いま」「ここ」で生きる「自分」としてはたらいている。そこの所を、即今の自己として感覚的につかまえることが大切である。坐禅をすると、能書きが本物になる。
 今朝のことです。私の地域で、水路の共同掃除が行われた。89歳になるTさんが、ある箇所の汚れが気になったのか、他の人が過ぎて行った後も、一人黙々と泥を掬い上げていた。儲かるわけでもないし、褒められるわけでもない。ただ一心に全力を尽くしていたが、あのようになれればよいと思った。あのTさんに、即今の自己に生きる姿を見た思いがする。全てに全力を尽くすには、全てに感謝する心が必要である。感謝すれば、喜びにつながる。この世に生を受けた不思議さに感謝すること、それが喜びや感動につながり、即今の自己に目覚めることである。
 ★茶礼会
 茶礼では、桐山主宰の講話をもとに、大いに盛り上がりました。「坐禅をすると、トイレの掃除が苦にならなくなる」のは、感謝の言葉(頭での能書きの理解)を体で感じる(本物)ようになるからでしょうか。その他、「学習塾はなぜ必要か」など話題も教育・政治等々、多岐にわたり、桜も満開、話も満開で心の和む幸福なひと時でした。                     (文責 鈴木)

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