★例会レポート
五月晴れの気持ちの良い日に、いつもの通り三炷の坐禅を行いました。坐禅の後、桐山主宰から「今日は観音経を唱えることにしましょう」と提案がありました。以下は、読誦の前の桐山主宰のお話です。・・・お経は、何百回と読誦すれば、おのずと意味も解ってきます。私たちが毎回唱えている白隠の坐禅和讃も、仏教の神髄を言っています。何回も唱えれば、その都度、新しい発見があります。ただ、慣れ親しむということはよいことなのですが、反面いけないこともあります。慣れてくると新しい感覚が失われ、単なる機械的なお題目になってしまうことがあるからです。初めて坐禅をしたときの新鮮な気持ちや、初めてお経を読んだときの緊張感を思い出しながら始めましょう、と注意があった後、観音経の読誦が始まりました。
偈文のところからです。・・・世尊妙相具 我今重問彼 仏子何因縁 名為観世音・・・
要所要所で、難しい意味の解説もして頂きながら、読誦を終えました。観音経が一層身近に感じられるように思いました。
★茶礼会
二人の方からお菓子等の差し入れがあり、楽しい茶礼となりました。話題の一部をご紹介します。@アメリカ大リーグのダルビッシュ投手が、ノーヒットノーランのチャンスを前回に続いて今回も逃してしまったことは、後一人を打ち取れば達成できると思った瞬間に、「しめた」というような私心が働いてしまったのではないか。しかし、こういうチャンスを2回も持ったということは奇跡に近いことではないか。A目標を決め、根性で諦めず、集中して努力していくのも私たちの意志であり私心の働きであるが、私たち人間が自分の力でできることは、ほんのわずかで限定されており、残りの99.9パーセントは自分の力ではどうにもならないことだと思われる。B自分の力ではどうにもならないことが多いが、それを救ってくれるのが観音様の慈悲の力や文殊様の智慧の力であると、お釈迦様は教えてくれている。C阿弥陀様も必ず救ってくれると言っているのだから、それを信じ安心して、我々は日々、お経を読誦し、坐禅に精進しなければならない。 (文責 鈴木) |