★例会レポート
いつもの様に三炷の坐禅の後、桐山主宰から講話をして頂きました。今回は、8・9月に行った坐禅基礎講座に参加された方々のうち、所さんと中村さんにも出席して頂き、新しい息吹が吹きこまれたよい坐禅会となりました。また、山田さんからは、「仏道を成就し大悟した人が亡くなった後、生まれ変わったときどうなるのか」という質問が出されました。多くの人の関心事でもありますので、桐山主宰のお答えを中心に記します。
「生まれ変わる」という輪廻思想は、仏教以前の時代からインドで発展した考えです。人生は苦であるから、苦しみのある人間には二度と生まれ変わらないことを理想として修行をします。身分差別の厳しいカースト制度の下で、前世の行為の結果が現世であり、現世の業によって来世が定まると考えられていましたから、輪廻から解脱したいと思うのは、自然の情だったでしょう。従って、輪廻を解脱して悟った人は、苦の人生から逃れられるので、生まれ変わることはないことになります。
ところで、釈尊から出発する仏教は、人生の苦(生老病死の四苦・八苦)を解決することが最大の目標です。人生の苦は、自我を立て物事を二元的にみるところから始まります。自己があると他と対立したり葛藤したりするから苦しみが出るのです。苦しみの元となる自我を滅し、私心をなくし無心になることで、苦しみがなくなっていくのです。そのためには坐禅をすることが一番です。坐禅は自我を滅し、私心のない無心を目指すものだからです。お釈迦様も死後のことは、無記としてコメントしていません。曖昧なことは否定もしないが説明もしないのです。更に言えば、死後の世界は、人間の想像の世界であり、「死後どうなるか」という問いは、生と死を二元的にみる不安や怖さから出るのです。
坐禅をして自我を滅していけば、物事を一元的に捉えられるようになるので、生と死とを対極にある二つのものから、生死一如として一つのものとして考えられるようになっていきます。不安で怖いという死の捉え方や、生まれ変わるという考え方自体が変化していくのです。坐禅を続けてみて下さい。そうすれば、正しい考えが得られます。
★茶礼会
今回、初参加の所さんと中村さんの自己紹介がありました。続いて、桐山主宰と山田さんの問答を受け、人は死んだらどこへいくのか、について様々な意見が出されました。また、無心とは私心がないことであるとか、赤ちゃんは無心であるが、いつごろから無心でなくなるのか、それは言葉を覚えたときからなのだろか、とかと話が盛り上がりました。 (文責 鈴木)
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