<<平成27年3月定例禅会:無得龍廣老師出講>>参加者:9名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 季節も春めく、弥生に入りました。老師をお迎えし、3炷の坐禅を行いました。その後、老師から前回の続きの臨済録十七のご提唱をして頂きました。

 ご提唱での臨済録の内容は、「仏道を求める人は、自らを信じて、決して外に向かって求めてはならない。どこででも自らが真の主人公になれば、その場がそのまま真実となるのだ(随処作主 立処皆真)。」の箇所で、臨済録の中でも重要なところの一つです。
 この内容を分かり易くするために、老師から先ず「名張禅会の藤野居士が立派な最期を遂げられた、坐禅をすると立派に死ねる(真の主人公)」というお話をして頂きました。
 また、川崎での少年による虐殺事件のことにも触れられました。老師は「我々は両親から生まれると思っているが、実は我々の真の命は、一心(バーンという音である「このもの」)から生まれている。両親もまたこの一心から生まれているのである。我々のこの命には、全てのものが初めから完全に具わっており、欠けたものは何もない。だから、外に向かって求めてはならない。完璧に具わっているこの命を粗末にしてはならない。(少年の虐殺は不可)」とおっしゃいました。

 ここで、改めて学んだことは、本当の自分に目覚めることについてです。我々は両親からではなく、一心から生まれるということも、耳新しく驚きでした。「真の主人公」も「我々は一心そのものから生まれる」も、これを実感するためには深い溝を超えなければなりませんが、超えさせてくれるのは綿密に継続する坐禅の他にはなさそうです。   (文責 鈴木)



<<平成27年4月定例禅会>> 参加者:10名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 満開の桜に見守られながら3炷の坐禅を行いました。桐山主宰の講話の中で、長野禅会のホームページを見て、送っていただいたメールの紹介がありましたので報告いたします。
 (以下メール文)....桐山さんこんにちは。山本老師と淡水寮で一緒にすごしました橘田と申します。
 昭和43年に教員になってからも武蔵野の道場へは参禅に行っていました。東京を離れて郷里に帰ってからは、ご無沙汰しております。
 今日、恵雨会でネットを検索していましたら、桐山さんのブログがヒットしました。何かの縁だなと思い、メールしました。今、芦田恵之助先生の実践に学ぶ、「いずみ会」の事務局をしています。桐山さんのご活躍を知り、元気がでました。一言ご挨拶まで。
 「いずみ会」 芦田恵之助先生は国語教育の大家で、桐山主宰が、「宮本常一の世界」というタイトルで、禅味に3回にわたって、掲載していただいた文章の中で、芦田 先生の教育が禅による開眼を契機に飛躍的に深まったという事実を取り上げたもので、全文がホームページに掲載してあります。芦田先生の教育理念が、戦前から今も学び受け継がれているのです。

 ★茶礼
 本年度の「誰にでもできる坐禅」のパンフレットができあがりました。
 桐山主宰が5月に老師のお供をして、ポーランドに摂心に行かれるので、無事 のお帰りと報告を楽しみにしているという話が出ました。  (文責 鈴木・桐山)



<<平成27年5月定例禅会>> 参加者:11名 会場:サンライフ長野

 ★例会レポート
 5月晴れの気持ちのよい日に、3炷の坐禅を行いました。桐山主宰が老師と共にポーランドの禅会に参加されお留守でしたので、峰村が講話をさせて頂きました。

 講話では、坐禅には私たちの生活や心を縛っているものから自由になる力があるが、それを三つの場面(言葉や文字・顛倒夢想・唯嫌揀択)で考えてみました。うまくいきませんでしたが、長年坐禅に親しんでいる会員が各自の体験を語って下さることで、つながったように思いました。
 結論的にいうと、どの場面においても私心を無くしていくことで、躍動する万物と一体となり自由に生きられる、ということでしょうか。     (文責 峰村)



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