★例会レポート
季節も春めく、弥生に入りました。老師をお迎えし、3炷の坐禅を行いました。その後、老師から前回の続きの臨済録十七のご提唱をして頂きました。
ご提唱での臨済録の内容は、「仏道を求める人は、自らを信じて、決して外に向かって求めてはならない。どこででも自らが真の主人公になれば、その場がそのまま真実となるのだ(随処作主 立処皆真)。」の箇所で、臨済録の中でも重要なところの一つです。
この内容を分かり易くするために、老師から先ず「名張禅会の藤野居士が立派な最期を遂げられた、坐禅をすると立派に死ねる(真の主人公)」というお話をして頂きました。
また、川崎での少年による虐殺事件のことにも触れられました。老師は「我々は両親から生まれると思っているが、実は我々の真の命は、一心(バーンという音である「このもの」)から生まれている。両親もまたこの一心から生まれているのである。我々のこの命には、全てのものが初めから完全に具わっており、欠けたものは何もない。だから、外に向かって求めてはならない。完璧に具わっているこの命を粗末にしてはならない。(少年の虐殺は不可)」とおっしゃいました。
ここで、改めて学んだことは、本当の自分に目覚めることについてです。我々は両親からではなく、一心から生まれるということも、耳新しく驚きでした。「真の主人公」も「我々は一心そのものから生まれる」も、これを実感するためには深い溝を超えなければなりませんが、超えさせてくれるのは綿密に継続する坐禅の他にはなさそうです。
(文責 鈴木)
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