<<令和4年3月13日 定例禅会>> 参加者:9名 会場:サンライフ長野

 陽気のよい午後、久しぶりの坐禅会が開催できました。
 ご提唱は、桐山老師宅に保管されていたお地蔵様や他の仏様を安置してお祀りするためのお堂が完成したお話から始まりました。
 この経緯を導入として、金剛界(自他一如を右回りの逆卍で図示)と胎蔵界(唯識のアーラヤ識を左周りの卍で図示)のお話へと展開がなされ、我々の意識や生き方の根幹にかかわることが二つの図(二枚の曼荼羅図も援用)で視覚的に示されました。
 露骨な自我意識の故に、現今の酷い戦争も起きていることが一目瞭然で分かりました。これをなくすためにも、坐禅と(ありがとう禅を含む)読経は大事で、自他一如の体験(空を掴む)することの大切さが、いつも以上に熱意を込めて語られました。
 本日の提唱予定だった「現成公案」(道元)も、この金剛界の話と重なっていることが示されましたが、時間切れで詳細は次回となりました。
 帰り際、「対面での坐禅会は、きちんと坐われ声も出せたので、すっきりして気持ちがよかった」という複数の会員の声が、心地よく聞かれました。           (文責 峰村)



<<令和4年3月27日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:円成寺

 紅梅の咲く穏やかな午後、円成寺で坐禅会を開催しました。
 ご提唱は、昨今のウクライナ状勢から始まりました。戦争の愚かしさは人間のエゴ(自我)に根差していますが、決して他人事ではなく自分たちの心の中にあるエゴと向き合うことの大切さを示している、と皆の関心のある時局と結び付けて話をされました。
 エゴは払っても払っても消えないが、常に反省し懺悔することで、苦しみを抱えながらも乗り越えることができる、と坐禅の継続と関連させ会員を励まされました。
 ご提唱本題の「現成公案」は、冒頭の数行に仏教の全てが要約されているとして、ここを重点的に述べられました。
 「諸仏の仏法なる時節・・・諸仏あり衆生あり」は、私たちの日常の姿であり、「万法ともにわれにあらざる時節・・・生なく滅なし」は、私たちが無我無心になったときに分かる事態であり、「仏道もとより・・・迷悟あり生仏あり」は、無心を経験した後に表れる自他一如の世界で、眼前のものが生き生きと表れてくる世界である、また、「しかもかくのごとく・・・おふるのみなり」は、あらゆる物事は相互に関係しあって生きている重重無盡縁起(華厳経)であるが、無常の働きそのものを示していると、骨子を簡明に説かれました。この具体的で詳細な展開は、次節以降になるとのことでしたので、次回も楽しみです。
 この後、茶礼に代わる座談会では、各人の思いや近況である、「死」・「無意識」・「利行」・「生者必滅会者定離」・「漢詩と実相」等々が提出されましたが、桐山老師の対機説法のようなお話により、各人がそれぞれに意味を深めたり納得したりしながら解散しました。



<<令和4年4月10日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:サンライフ長野

 桜満開の午後、開催いたしました。
 ご提唱は、坐禅開始前の会員同士の話題から巧みに入りました。私たちの日常で何かに夢中(無心)になっていると、自分でも思ってもみなかった力(無意識の力)が自ずと発揮されること、例えば、マラソンランナーが走りの中でランナーズハイになること、また無心で提唱した録音を後で聴くと話した本人も驚くようなことが話されていて勉強になることなどは、「現成公案」の「万法ともにわれにあらざる時節」の具体的姿である、という具合です。
 この文の前の冒頭「諸仏の仏法なる時節」では、「隣の三尺」(雪片付けでの、お隣への思いやりという斉藤さんの新聞掲載記事)やロシアのプーチンの言動、また桐山老師自作の金剛界曼荼羅における自他対立(いさかいや戦争)・自他一如(なごみや平和)の図と重ねて、私たちの日常の言動の具体を分かり易く示されました。
 次の「仏道もとより豊倹より跳出る・・・」は「至り得て帰り来たらば別事なし」の境涯で、そのためには一度「真空」を通過することが大事で、坐禅での三昧(成り切り)の大切さを示されました。更に「しかもかくのごとく言えども、花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる」が一番大事なところで、目前の状況をさらりと捉え(自我に捕らわれず、自在に)「さて、草取りをするか」と悠然として生きることが、坐禅に取り組んでいる私たちの目指すものであると結ばれました。          (文責 峰村)



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