<<令和3年11月21日 定例禅会>> 参加者:8名 会場:円成寺

 穏やかな晩秋、定例の坐禅会を行いました。
 ご提唱は、百丈野狐の続きで、この則の「不落」・「不昧」は「空」や「因果」とともに難題でしたが、桐山老師はご自身の体験談を用いて説明されました。
 自家用車で東京へ向かう道路がひどく渋滞し、予定していた講習会に出席できないかも知れないと考えたとき、焦りに焦って心身が錯乱しパニック状態(野狐に陥った)になったこと、野狐でありつつもふっと一息入れ我に返ってこの状態を有休に話せば済むこと(一転語)ではないかと気づいたとき、それまでのパニックが嘘のように消えた(野狐を脱した)という内容でした。
 日常生活で各種の難題に遭遇(野狐に落ちる)したとき、目の前の難題から逃げずに文字通りに正対(即今の自己に徹する)ことで、難題から離れる(野狐を脱する)ことができるというのが眼目だったと思います。
 「不落(落ちる)」も「不昧(脱する)」も言葉に引っかからずに、これに成り切って一隻眼を獲得(言葉や概念を超越)すれば、不落も不昧もともに正誤や聖俗を超えた風流(清々しく満ち足りている)であるということを教えて頂きました。        (文責 峰村)



<<令和3年12月5日 定例禅会>> 参加者:10名 会場:サンライフ長野

 穏やかな初冬、久し振りの初参加者、岡谷市の大河原さんを迎えての坐禅会となりました。大河原さんは、坐禅経験はあるとのことでしたが、本格的な坐禅をするために長野禅会を訪れたという決意をお聞きし、会員も気を引き締めて坐に臨みました。
 ご提唱は百丈野狐の続きでしたが、初参加者への配慮もあり、提唱の意味や性格・中国での禅の起こりや流れ・百丈野狐のあらすじ等、復習もかねて丁寧になされました。
 本則の因果や因縁の大切さを、祖師方の言葉と我々の日常での事例を重ねて語られました。白隠の「因果一如の門開け」では即今に原因と結果が一つあって表れていることを、例えば、大学へ入学したいという目標(結果から見れば過去)は、今の頑張り(即今の現在)によって、これに見合った結果(目標から見れば未来)となり、これ以外にはない、つまり過去・現在・未来は一つであると示します。
 また、道元の「因果の道理 歴然として私無し」では痛いときは、ただ(無条件に)痛いから痛い(真相)のである、それなのに自分の頭で考えた基準で物事を考える(分別心)から、因果の真相から離れてしまう(益々痛く苦痛・苦悩する)ことになる、と示します。
 この則はこれで終わりにしたいという桐山老師のお言葉を、各自なりに胸に抱いて散会しました。



<<令和3年12月19日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:円成寺

 小雪の舞う真冬日(最高気温が氷点下)、ご住職のご厚意により3台のストーブで予め温められた円成寺本堂で、恒例の坐禅会を行いました。
 ご提唱は、今回から無門関の第3則「倶胝竪指」に入りました。初回ということで、先ずこの則のあらすじを中心に語られました。主な登場人物は3人で、それぞれが指を1本立てるという場面を通して、禅の核心に迫るという則です。
 指1本を立てるということがどういうことを意味するのか、桐山老師はご自身の体験や百丈禅師の「独坐大雄峰」、またこれに関連する「万法帰一」及び釈尊の有名な「天上天下唯我独尊」の言葉を紹介しながら、導入への関心を高めて下さいました。本格的な展開は次回以降になるとのことです。
 独参に関して、特筆すべきことがありましたので記します。大河原さんは、前回が初参加でいきなり独参を行いましたが、これに勇気付けられたのか、これまであまり入室のなかった他の会員の入室もあり、禅会や坐の密度が高まった感じがしました。この熱意の高まりを受けて、寒い冬場の坐禅会もこれまで通りに開催するということを確認し、月に2回の開催となった記念すべき年の坐禅会を終了しました。    (文責 峰村)



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