穏やかな晩秋、定例の坐禅会を行いました。
ご提唱は、百丈野狐の続きで、この則の「不落」・「不昧」は「空」や「因果」とともに難題でしたが、桐山老師はご自身の体験談を用いて説明されました。
自家用車で東京へ向かう道路がひどく渋滞し、予定していた講習会に出席できないかも知れないと考えたとき、焦りに焦って心身が錯乱しパニック状態(野狐に陥った)になったこと、野狐でありつつもふっと一息入れ我に返ってこの状態を有休に話せば済むこと(一転語)ではないかと気づいたとき、それまでのパニックが嘘のように消えた(野狐を脱した)という内容でした。
日常生活で各種の難題に遭遇(野狐に落ちる)したとき、目の前の難題から逃げずに文字通りに正対(即今の自己に徹する)ことで、難題から離れる(野狐を脱する)ことができるというのが眼目だったと思います。
「不落(落ちる)」も「不昧(脱する)」も言葉に引っかからずに、これに成り切って一隻眼を獲得(言葉や概念を超越)すれば、不落も不昧もともに正誤や聖俗を超えた風流(清々しく満ち足りている)であるということを教えて頂きました。 (文責 峰村) |