<<令和3年10月3日 定例禅会>> 参加者:9名 会場:サンライフ長野

 秋晴れの好日、コロナ対策をとりながら坐禅・独参・提唱を行いました。
 ご提唱は、前回の提唱「野狐禅」に端を発する「因果」に関わる内容でした。独参者や参加者の興味・関心を重視し、大燈国師遺誡の「胸間に掛在せずんば忽ち因果を撥無し」や白隠の坐禅和讃「因果一如の門ひらけ」等を援用しつつ、因果は一つであるからこれを大切にして生きることの重要性を説かれました。
 続いて、菩提薩埵四摂法を全員で輪読しました。提唱中の輪読は初めての試みでしたが、聴講者が受け身ではなく主体的に真剣に読むというワークショップ型の提唱になっていて、大きな意義を感じました。
 桐山主宰から輪読個所に関わって、「他への利行は、結局は自分を利することになる」と自他一如が因果一如にも繋がっていると諭して頂き、これを体感する実践法の一つとして「慈悲の瞑想」(「怒らない 落ち込まない 迷わない」幻冬社刊)の一節を繰り返し読誦するように、プリントを配布して頂いて散会しました。



<<令和3年10月17日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:円成寺

 秋冷を感じ始めた日、いつもの日程で坐禅会を行いました。
 桐山老師のご提唱は、参禅者の顔ぶれをみて関心事を汲み取り、本題へと繋げていきました。
 具体的には、「『即今・当所・自己』も結局は言葉でしょ」と言う会員の声からは、「事の真相に近づいている」と、「会費の過不足を事前に心配するより、とにかく実施してみては」という会員の声は、「禅的生き方の好例を示すもの」、という具合です。
 これらの例を呼び水に、「百丈野狐」の則に繋げ、偉大な釈尊も禅の達人良寛も、死という因果から逃れられないと真実を本則に重ね、因果因縁の法を明示され、その上で不落因果で何故に野狐に堕し、不昧因果で何故に野狐から脱するのかという局面を、「大凡因果の道理歴然として私無し」(道元)の「私無し」の言葉や、黄檗が百丈に一掌を与えた行為などから、言葉を超えた命の働きそのものを洞察してほしいと結ばれ、会員の残された疑念は宿題として、次回に解明するとされました。
 次回11月7日は、山本・飯島両老師をお迎えしての坐禅会になることを確認して散会しました。          (文責 峰村)



<<令和3年11月7日 定例禅会>> 参加者:11名 会場:サンライフ長野

 小春日和のような好日、山本・飯島両老師をお迎えして定例の坐禅会を行いました。
 ご提唱は、山本老師の退任のご挨拶―本会の伝統・飯島老師への継承・坐禅を継続することの難しさと素晴らしさ・桐山老師の下での長野禅会の発展への期待等―から始まりました。
 ご提唱の本題は、坐禅は正念(命の根本の働き、ひと〜つと言えばひ・と・つ以外に何もない)に目覚めることの大切さを、瑞巌和尚の「巌喚主人」や徳山和尚の「複子を挟む」の事例を用いて、易しく説いて頂きました。中でも「今が一番で、眼がどんどん開けてくる」というご自身のお話は、禅の深さ及び後生を激励する表明として感動的でした。
 その後、「ありがとう禅」を両老師にも知って頂くために、桐山老師の解説と全員での唱法を行いました。
 更に会場を変え懇親会を開きました。桐山老師からは両老師へ感謝と期待を込めて記念品を添えながらの挨拶を、山本老師からは会員への励ましを、飯島老師からは師家受諾の経緯や決意等を、篤く語って頂きました。また、各自の一言挨拶では適切で励ましのコメントも飛び交い、それぞれが満ち足り且つ決意を新たにして帰路につきました。     (文責 峰村)



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