初冬の穏やかな日でした。ご提唱に先立ち、三昧についてのお話がありました。柿の皮をむき続けること、竹刀やバットの素振りを続けること、田んぼを鍬で耕し続けること、など単純な作業を根気よく続けると、ある時点から快適な気持ちになってくることがある、とご自身の三昧経験を踏まえて具体的に語られました。台所仕事でも散歩でもそのことになり切って、心が澄んだ状態になるように禅と日常生活とを結びつけて示されましたので、そのように実践したいと気持ちを新たにしました。
本題では、これまでのご提唱「量子論と禅」の精度・確度を更に上げ、「相補性の原理」(ニールス・ボーア)を核に綿密に説かれました。近年の量子論で解明しようとしている諸説は、東洋の禅の世界でははるか以前に説かれていることであり、「相補性の原理」やパラレルワールドなども縁起観や華厳思想によって説明できる、ということを噛んで含めるように丁寧にお話しされました。
具体的には、一つ一つの物事には我がない、だから全てのものごとは自分である、互いに補い合いながら成立している、これある故に彼あり、これ滅するが故に彼滅す、畳があるから建物がある、建物があるから人が住む・・・・地球・宇宙がある、という具合です。
このように世界は相補性や依存性で成立していますが、禅で直観的体験的に捉えた虚妄かつ矛盾的世界の真相に、論理的分析を旨とする量子論でも素粒子(電子・光子等)の粒子性と波動性の矛盾的在り様を認めるなどして世界の真相・全貌に迫りつつあることを、桐山老師は懸命に展開されます。東洋の伝統的禅思想と欧米の最新科学思想との壮大な融合に向けての一歩が、確実・着実に進んだように感じました。
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