<<令和5年12月3日 定例禅会>> 参加者:8名 会場:サンライフ長野

 初冬の穏やかな日でした。ご提唱に先立ち、三昧についてのお話がありました。柿の皮をむき続けること、竹刀やバットの素振りを続けること、田んぼを鍬で耕し続けること、など単純な作業を根気よく続けると、ある時点から快適な気持ちになってくることがある、とご自身の三昧経験を踏まえて具体的に語られました。台所仕事でも散歩でもそのことになり切って、心が澄んだ状態になるように禅と日常生活とを結びつけて示されましたので、そのように実践したいと気持ちを新たにしました。
 本題では、これまでのご提唱「量子論と禅」の精度・確度を更に上げ、「相補性の原理」(ニールス・ボーア)を核に綿密に説かれました。近年の量子論で解明しようとしている諸説は、東洋の禅の世界でははるか以前に説かれていることであり、「相補性の原理」やパラレルワールドなども縁起観や華厳思想によって説明できる、ということを噛んで含めるように丁寧にお話しされました。
 具体的には、一つ一つの物事には我がない、だから全てのものごとは自分である、互いに補い合いながら成立している、これある故に彼あり、これ滅するが故に彼滅す、畳があるから建物がある、建物があるから人が住む・・・・地球・宇宙がある、という具合です。
 このように世界は相補性や依存性で成立していますが、禅で直観的体験的に捉えた虚妄かつ矛盾的世界の真相に、論理的分析を旨とする量子論でも素粒子(電子・光子等)の粒子性と波動性の矛盾的在り様を認めるなどして世界の真相・全貌に迫りつつあることを、桐山老師は懸命に展開されます。東洋の伝統的禅思想と欧米の最新科学思想との壮大な融合に向けての一歩が、確実・着実に進んだように感じました。



<<令和5年12月17日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:円城寺

 前日の温かさが一転した寒い日でした。ご提唱は「相補性原理(U)」でした。私たちが真に生きる事とは、「禅を生きる」事なのですが、この内容の一つをイチロ―選手がバットやグローブを大切に扱うという実例で示して頂き、人や物を大事にし、慈しむという事の具体の姿を教えて頂きました。
 仏教や禅の言葉で言えば、自他一如・物我一如であり、縁起観や空観になります。ここを最先端科学の量子論も援用するので分かって欲しい、という桐山老師の真意・熱意が伝わってきました。
 量子力学の父と言われるニールス・ボーアの相補性原理は、仏教哲学や唯識論で説いている事柄(物事は虚妄なるもの・現象は心を映し出している表象・物は無いというわけでもない等々)を量子論の側から迫るものです。全ての物事は相反する二つの側面があり、互いに補い合って一つの実在として成立しているので、禅の「自他一如」と全く同じに解釈できる。因果律に相補性を加えて、現存する各要素に働く関係性を明らかにしていくと、各要素は相互依存の関係で成立していることが明らかになり、「縁起なるものは無自性・空」という仏教の中心思想と合致します。
 原因と結果の間にも相互依存性が見られ、因果律自体が相補性原理の一部と見做せる。量子論における相補性の原理は、近代科学の面から実在に迫る画期的なもので、更に禅の立場から科学文明を俯瞰すると、その虚構性が明らかになり、西欧の科学文明を本物にする禅の力が愈々発揮されることなる。とまとめられました。
 次にスマナサーラ氏の「慈悲の瞑想」を皆で読誦し、各章の文言を各自の心の在り様と重ね合わせて話し合ったり、本日の量子論と関連づけて解説をして頂いたりしたので、ご提唱の理解が一段と深まりました。                                     (文責 峰村鉄男)



<<令和6年1月7日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 七草粥の穏やかな日でした。ご提唱は「量子論と禅」の続きで、量子論での中核的な「相補性の原理」(ニールス・ボーア)や関係性の原理(カルロ・ロヴェッリ)に着目して行われました。
 量子論は、全てが確定し予測できる古典物理学の世界を越え、予測困難な素粒子の世界に入っていて、矛盾の捉えなど画期的な発見や理論が見られますが、同時に不確定性原理的な要素を捉え切れずに混乱している現状もあります。
 光龍老師の西洋の科学文明を本物にする禅の立場から、この量子論がもつ諸課題を解明しつつ、科学と東洋思想の融合を図ろうとするのが桐山老師の眼目です。
 西洋の科学(近代合理主義)は主客対立の二元論であり、「我思う」の「我」が中心となり、物事が相対化されて実在から遠く離れたものになります。一方東洋の思想の根幹は主客合一された一元論であり、無心なるが故に全ての物事は縁起し、世界の真実相が顕わとなります。
 従って禅の視点から量子論の世界をみると、「縁起なる物は無自性空」であること、さらに「相反する二つの依存関係としての縁起(龍樹)」であること等が明らかになります。さらに道元禅師の「自他一如」や、陰陽道や朱子学の「道」をもって西洋科学技術を受け止めようとした佐久間象山の考え方にも言及し、「相補性の原理」や「関係性の原理」の中に仏道・禅の思想を見出し、量子論を再評価することができるというわけです。
 なお、最新科学の最先端であるAIについては、多くの危機的課題を指摘され、早急な開発規制をする必要性を強調されました。特に利益優先の企業や国家間の覇権争いによって核兵器開発と同じような失敗を2度と繰り返さないように、・・・と。     (文責:峰村)



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