梅雨明け10日と言うように、暑い日でした。
ご提唱は、桐山老師ご自身の初期の参禅体験から始まりました。無字・隻手の音声・南泉斬猫等の公案に取り組んだが、いずれも公案と一体になることが求められたこと、華厳経で言う一即一切―一輪の花に全宇宙が表れている・花は宇宙で自分は宇宙と一体等々―を自己の境涯において実現すること、などが語られました。これは無字の公案に取り組んでいる者のみならず、全ての修行者に禅の原点を改めて示して頂ける内容でした。
次に「生成ATについて」という資料をもとに、双方向から意見を出せるような会員による自由協議の提唱が行われました。人間が科学・技術を用いて作った機械・兵器などは、人間の思いを実現するための手段であり人間の支配下にあった。しかし、AIが自ら学ぶ力や自己増殖する力を具えたことによって、人間がAIに支配される可能性が見え始めている。この危惧・危機をどうすべきか、という問いが出てきた。これに対し、ニールス・ボーアの相補性の原理は東西の両思想を互いに認め合うという視点で構築されている。桐山老師からは、相補性の原理における相反する二つの概念は、二つを纏めて融合するとか統合して、新しい概念理念を作り出すと言うことではなく、それぞれに独立して互いに支え合うものとして、その関係性において捉えることであると指摘して頂きました。
また、AIはスキルであり、それを使うのは人間であるから、人間の言葉によってAIに指示することがどこまで行っても必要であるという意見も出され、議論は伯仲しました。また、マインドフルネスの逆輸入は東西における禅の活用事例の一つとして捉えることができる、などの意見も出されました。いずれも禅のもつ力に着目しての発言であったように思われます。
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