<<令和6年9月1日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 迷走台風10号の襲来が判明し難い中での坐禅会でした。
 ご提唱に先立ち、久恒さんの「最近、数息観でひとーつーと言っているとひとーつーを忘れてしまう」というような不安・疑念に対し、桐山老師から「忘れることが真実である。呼吸や息を忘れることは、執着心(捉われ)から離れるチャンスでもある。忘れたら忘れたでよいから、自分の呼吸を続けて下さい」と他の会員にとっても励ましになる回答を頂きました。
 本題は、11月の正受庵坐禅会で予定されている提唱題「西欧の科学文明を本物にする禅」に向けて、これまでお話しされた項目(量子論・AI・言葉等)ごとの復習・確認でした。具体的には、量子論でのアインシュタイン(相対性理論)とニールスボーア(相補性の理論)との論争では、粒子は矛盾する二つの性質(粒子性と波動性)をもつが、東洋思想(禅・一元論)に注目したボーアは「相反する異なった物事をそのままにして置くことができたので、そっくりそのまま物事の真相を捉えることができたのですと。また、驚異的なスピードで進化するAIは、我々にメリットや希望(確度の高い天気予報・自動運転等)も与える一方でデメリット(虚偽情報の作成・拡散等)もある。現時点では驚異的な速さで広がるAIの進化に不安も恐れもあるが、人間とAIとの適正な学び合いや使い方の進化によって、人間とAIが共生する未来への道が開かれるのではないかと思われる、と結ばれた。
 禅は相反する二つの事柄を対立ではなく、そのまま統合的に捉えることができるからである。「西欧の科学文明を本物にする禅」(苧坂光龍老師)の言葉や、量子論の矛盾を東洋思想に触発された「相補性の原理」(ボーア)で解消した事実に学び、我々も行学を継続していきたい。桐山老師は参加者に問いつつご提唱をされるので、提唱自体が白熱した議論の場ともなるという新スタイルです。



<<令和6年9月29日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:円城寺

 彼岸入りの日でした。始めに、直日が上田閑照先生の著作から引用して「純なる生命の働きを観ずるように坐禅に励みましょう」と言った事を受け、桐山老師が「縁起と空」の論考を上田先生にみて頂き、「捉え方がとても良い」と認めて頂いた事や、「限りなき開け」(無限の世界)を洞察して目に見えない世界と目に見える現実の世界とを同時に見る事が大事である、と教えられた事などが語られました。
 次に、EUで生成AIの開発に向けての規制が議会で可決された事から、活発な意見交流がなされ、AI活用の利便性やAI自身が意志をもつ事の危険性などが出されました。この議論を踏まえ、桐山老師は、文明の利器を動かす根底には半導体・量子論・数学等の概念的な思考が働いているが、実在するものではないこと。便利な機械類は、より速くより大量に効率よく物を作るが、その反面で老荘の機心(功利主義的な心)によってストレス・引きこもり等を引き起こし、人間性や人間の生き方を破壊する要因にもなり、生活上で恩恵をもたらす西洋の科学・技術と、無我無心で本当に人間らしく生きる一元論の東洋の心・禅的生き方とを、両側から観察する心が必要である。これが光龍老師の言われる「欧米の科学文明を本物にする禅の力」の具体であると結ばれました。
 この総括を受けて、会員からはAIや核の使用は人間の葛藤する心の問題・ドラえもんの「どこでもドア」という理想と現実の境界を往復することの大切さ・富の偏在する先進国でホームレスの人を殺害する荒廃した人心・日常は決して当たり前ではなく感謝の心が必要な事など、東洋(慈悲心)と西洋(機心)の両輪の噛み合う実在の世界が、各人の関心面から語られ、深まり合いが感じ取れました。機心と慈悲心との調和などの残された問題などは、現代に生きる我々自身に付きまとう課題であり、引き続き学んでいきたいと思います。



<<令和6年10月6日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 穏やかで快適な一日でした。
 桐山老師のご提唱は、パソコンでの入力方法から始まりました。キーボードからペンへ、次いでキーボードのブラインドタッチを経て音声での入力も可能となった。音声入力では間違いもあり、修正を要するものの、すごい時代になった。
 しかし、これらの基にある生成AIやチャットGPTの使用は始まったばかりで、人権や差別などが絡む倫理や道徳上の問題が出てきている。AIを作るのも使うのも人間であるから、倫理観をもった人間が作成し、禅の視点をもった人間の立場から使うことが大事である。この禅の視点をもつことの具体例を示されました。
 一つ目は、老師とともに修行をされた村田雅也さんからの通信で、「人生は苦難の連続だが、これを乗り越えて生きていくことに、生きる力や楽しみを感じていく人がいる。この人はどんな事柄もチャンスとして捉え、生き直していく」・「自然は神秘的で無限の深みをもって、善悪や生死に関わりなく私たちに迫ってくる」などである。
 二つ目は、老師自身のご体験から「高齢になると、ゆっくり丁寧に生きるようになるので、今まで感じなかったことを感じるようになる。ゆっくり食べるとこれまで味わったことのない味を感じたり、ゆっくり経行すると足の裏から畳の感触や地球の動きも感じたりする。
 三つ目は、アドラー心理学にも関わり、未来のことを予測しつつ今ここを同時に捉えて生きることは相補性の原理(ニールスボーア)であるが、禅の考え方と重なっている。共に禅修行や生き方の要です。
 終わりに、11月の正受庵坐禅会や坐禅基礎講座の進捗状況等を確認して散会しました。



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