<<令和6年10月27日 定例禅会>> 参加者:5名 会場:円成寺

 本当の秋らしい穏やかな一日でした。
 桐山老師のご提唱は、直日が坐禅開始時に話した「分別と無分別」を受けて、分別と無分別とを隔てている境目の壁は、目の前の事に丁寧に集中することで自然に崩れ去っていくという、絶妙なお話から始まりました。向こうに何かがあり、こっちに私があると思っているが私には煩悩や欲があり、そのため駆け引きや奪い合いが起こり行き詰る。これを打開するために坐禅をするのです、と。
 本題は、出版予定の著書の基本構想でした。主な内容は、@今まで量子論やAIについての基本・長所・短所等を踏まえ、予想される脅威等を探ってきたが、これを使う人間の側に問題があることが鮮明になってきたこと。A量子力学に東洋思想を採り入れたニールスボーアが「相補性の原理」という哲学によって実在に近づいたように、我々も禅の心によって再度理解を深めていく必要がある。B嘗て皆で話し合ったときに、唯識のような難しいことで無く、二元論としての科学から説き起こした方が良いという意見だったが、桐山老師は禅の背景にある認識論は「唯識」だと考えられるので、禅を生きるUでは、この唯識(一元論)から説き起こしたいと言われたこと。禅は相反するものを排斥せず、全体を俯瞰してそっくりそのまま捉えることができる一元論であること、などです。以上は、桐山老師が何時でも何処でも気づいたときにできる音声入力よる記録のプリントを元にして語られた事で、参加者にも意見を求められました。
 主な意見は、予見(未来)することは今ここに集中することに反しないか、俯瞰はなお誰かの眼で見ているので何元論になるのか、など禅の基本に関する疑念でしたが、相互の意見交換で分かったものもありましたが、禅の実践によるしかないという課題として残ったものもありました。しかしながら質疑を含むご提唱は、現代に相応しい対話を取り入れた進取的で挑戦的なスタイルだという感じがします。



<<令和6年11月24日 定例禅会>> 参加者:5名 会場:円成寺

 今回は幹事の峰村先生がご都合で参加できないため、直日は田中さんに、待者は久恒さんにやっていただきました。
 提唱は「禅を生きるU」の出版予定原稿を皆で読み合う形で進められ、前半の一元論の唯識哲学と、二元論としての科学文明の違いを明らかにして、ニールス・ボーアが生涯かけて追究した「相補性の原理」について話し合いました。その過程で問題となったことは、曖昧さの大切さと、曖昧さに耐える力が必要であると意見が出され、ハイゼンベルクの不確定性原理に通ずる問題ですから、重要なテーマとして次回までにまとめてくることになりました。  (文責 桐山)



<<令和6年12月1日 定例禅会>> 参加者:4名 会場:サンライフ長野

 提唱は「禅を生きるU」の出版予定原稿の「悟り大陸の探検」の部分の読み合わせして、問題点を話し合いました。
 臨済禅の大成者である大慧禅師の見性について、「大悟18回、小悟その数を知らず」という言葉から、「見性」という事実のあることを、桐山老師の経験や岡田利次郎老師の言葉から、リアルに説明していただき、確認することができました。
 また見性は人によって様々の姿があるから、是でなくてはいけないと言うことでは無い、自らの見性経験を大切にして、悟後の修行に邁進するようにと激励されました。次回はシュミレーション理論を読み合わせします。  (文責 桐山)



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