寒波のせいか、やや肌寒い日でした。桐山老師のご提唱は、坐禅会で会員が熱心に取り組み、その言動が家族や周りの人に伝わっていくエネルギーには恐るべき力がある、というお話から始まりました。
正しい法を常に確認しながら、つまり坐禅を基準におきながら物事を考えていく、例えば、周りの人の利害は自分の利害であり、他人の喜びは自分の喜びであるというように考える。道元は自他一如と言い、岡田利次郎先生は「全てのものは自分です」と言う。そのためには、正しい法を正しく聴くことが大事で、これを唯識では正聞薫習という。
正しい師匠の言葉や行いを繰り返し見聞することで、よい香りがあれば衣に自然に沁み込むように、自分の身心に薫習させていくのである。また、禅には「随身」という言葉もあるが、師匠に謙虚に従ってその一挙手一投足に学ぶ。山本老師は、経机を「コンコンコン」と叩き、この音に従っていけばよいと言われた。この音は日本人にも西洋人にも無条件で分かる。
日本が良くて西洋が悪いということもまたその逆もなく、双方が互いに補い合っている。ニールス・ボーアが「相補性の原理」で述べたことは、このような事である。日常において相反するような矛盾や不合理的な出来事に出会った時に、そっくりそのまま全体を捉えることができるかどうか、つまりは自分を無にする真剣な坐禅や、これを基準にした我々の生き方に帰着するように思いました。
終わりに、「山の音」会の演奏会(6/9)を桐山老師の課外提唱と位置付けたり、正受庵坐禅会(6/16)の役位分担等を確認したりして散会しました。
|