<<令和6年6月2日 定例禅会>> 参加者:7名 会場:サンライフ長野

 寒波のせいか、やや肌寒い日でした。桐山老師のご提唱は、坐禅会で会員が熱心に取り組み、その言動が家族や周りの人に伝わっていくエネルギーには恐るべき力がある、というお話から始まりました。
 正しい法を常に確認しながら、つまり坐禅を基準におきながら物事を考えていく、例えば、周りの人の利害は自分の利害であり、他人の喜びは自分の喜びであるというように考える。道元は自他一如と言い、岡田利次郎先生は「全てのものは自分です」と言う。そのためには、正しい法を正しく聴くことが大事で、これを唯識では正聞薫習という。
 正しい師匠の言葉や行いを繰り返し見聞することで、よい香りがあれば衣に自然に沁み込むように、自分の身心に薫習させていくのである。また、禅には「随身」という言葉もあるが、師匠に謙虚に従ってその一挙手一投足に学ぶ。山本老師は、経机を「コンコンコン」と叩き、この音に従っていけばよいと言われた。この音は日本人にも西洋人にも無条件で分かる。
 日本が良くて西洋が悪いということもまたその逆もなく、双方が互いに補い合っている。ニールス・ボーアが「相補性の原理」で述べたことは、このような事である。日常において相反するような矛盾や不合理的な出来事に出会った時に、そっくりそのまま全体を捉えることができるかどうか、つまりは自分を無にする真剣な坐禅や、これを基準にした我々の生き方に帰着するように思いました。
 終わりに、「山の音」会の演奏会(6/9)を桐山老師の課外提唱と位置付けたり、正受庵坐禅会(6/16)の役位分担等を確認したりして散会しました。



<<令和6年6月16日 定例禅会>> 参加者:9名 会場:正受庵

 初夏の風が入る穏やかな日に、飯島老師をお迎えしての禅会でした。
 午前の提唱は、私(峰村)が「それって洞窟それとも穴蔵」という題で担当させて頂きました。洞窟は、「洞窟の比喩」(プラトン)からの借用ですが、遠いギリシャの話ではなく現在の私たちの姿でもあります。影(暗さ)ではなく本物(明るさ)を見よう、洞窟から出ようとしてうろたえています。一方で穴蔵は、白隠が正受老人から「穴蔵禅坊主」として鍛えられた時の言葉の一部です。白隠は穴蔵の暗さから出るのではなく、穴蔵のままに明るさに転じました。
 我々もこれに近づきたいと坐禅堂の窓を全て覆い、暗さから明るさに転ずる心を観察しよう、とするワークショップを行いました。五感を通して学ぼうという試みです。
 午後は、飯島老師が「伝光録〜釈迦牟尼仏〜」と題してご提唱をして下さいました。釈迦牟尼仏、見明星悟道して曰く「我と大地有情同時成道す」に続く「我とは釈迦牟尼仏に非ず」の個所を丁寧にお話しされました。釈迦が大地と同時成道して一体になっているので、釈迦はなくただ大地だけがある。釈迦と大地は二つに分かれていない。では釈迦も大地も出生するという「我」とは何かとなるが、これが「無字」であると明かされ、参禅者の疑義にも応えて頂きました。加えて、もともと成道していたのだから今更成道ということもなく、老梅樹(瑩山禅師の下語)など目の前のものを離れて我などない、とする釈尊の悟りやその消息をしっかりつかんで欲しい、と励まして頂きました。
 次に「ありがとう禅」に先立ち、桐山老師から密教のマントラを称える声による三昧の大切さについてお話があり、経行をしながらの「ありがとう禅」を実施しました。
 墓参の後に桐山老師の進行で茶礼を行いました。日常の生活や坐禅を見直すよい機会になったことや、法が連綿として伝わっていることの素晴らしさなどを、両老師のお話や参加者の感想からお互いに感じ合いました。
 その後、会場を変えて慰労懇親会を行いました。中村さんの素晴らしい詩吟や齋藤さんの飯島老師への力強いエールもあって大いに盛り上がり、次回への思いに繋げることができました。



<<令和6年7月7日 定例禅会>> 参加者:5名 会場:サンライフ長野

 梅雨の蒸し暑い日でした。ご提唱は、桐山老師の梅収穫の作業から始まりました。高齢でしかも熱中症が懸念される中で行われた作業を通してのお話です。老師のお母さんが馬車馬のように働いてきた姿やこの血筋が現在の自分(老師)にも引き継がれていること、唯識で示すところの業が一個人に働くだけではなく世代を超えて働いていることなどが示されました。
 今日の業(行為)が心の底に蓄積されたり薫習されたりして明日の自分の人格が形成されるので、目前の行いを丁寧に、全身でそのものに成り切り三昧になって進めることの大切さを、実感を込めて語って頂きました。
 次に、釈迦牟尼会の現況にも触れて頂きました。本会の歴史の中ではこれまでも課題に遭遇しましたが、叡智を出し合って乗り越えてきた経験が語られました。これを教訓としたり、衆智を結集したりして今後の展望を切り開いていきたい事も、私たちの生き方とも重ね合わせて示されました。個人としても組織としても、努力する限り問題・課題が生じます。各自が懸命に生きようとするからですが、時にはヒートアップして問題の本質・中核からそれがちにもなりますが、こういう時こそ禅を修する者として、原点回帰・私情を無にして事に当たることの重要性が改めて確認できました。
 会員有志がラインでやり取りした内容の一部(今回はAI関連)を、中村さんが印刷して資料にしてくれました。会員相互の意見交換の場にできるか、場面によっては桐山老師の出版予定の本にも掲載できるかなどが話題となりましたが、様子をみてからの判断となりそうです。



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