<<平成24年11月定例禅会:無得龍廣老師出講>>参加者:7名 会場:サンライフ長野
 坐禅の後、老師から「臨済録」のご提唱を頂きました。範囲は、[九]の始め、 「上堂。僧問う、如何なるか是れ第一句。・・・」から、[十一]の途中、 「・・・若し能く是の如く見得せば、祇是れ一生無事の人なり。」までです。
 ご提唱の本題の前に、次のようなお話も頂きました。要約すると、 「坐禅は、一 人では継続することが難しいが、何人かが集まって行えばできる。継続は力なり というが、続けることが大切である。私たちの生命の根源は、 私という個人で はなく、個人を超えた一心にある。この一心は、私心のない無心であり、誰にも 備わっている心である。この心で、見たり聞いたりすることが、般若の智慧で 仏法の要であるので、坐禅は肝要である。」ということかと思います。
 ご提唱は、かの「奪人不奪境・奪境不奪人・人境倶奪・人境倶不奪」という難解な所 もありましたが、例えば「奪人不奪境」では、私心のない無心の境地で春の自然 に見入っていること、などと分かりやすくお話し頂きました。
 茶礼会:長野禅会が発足したのは、平成3年11月4日でありました。本年11月の例会 の日が、満21歳の誕生日に当たり、21年前のその日、今は亡き伊津野さん に直日をして頂いたことなども思い出され、感慨無量の茶礼会となりました。ま た、坐禅入門講座から長野禅会に参加された小寺さんのような若い方もあり、 未来への展望ももて、うれしい茶礼会になりました。
 忘年会:年内で老師がお見えになる最後の会だったので、少し早めでしたが、老師を囲ん で忘年会を行いました。また、この会は老師が長野禅会にお出で頂いた 回数 が、通算100回になることに感謝する会でもありました。1年を振り返る会 だったので、様々なことが話題になりました。その一つは、桐山主宰 が参加し ている「たにしの会」という作曲者たちの発表会で、桐山主宰の作曲した「歎異 抄」が歌手鹿野章人氏によって歌われましたが、その出来栄えの素晴らしさが 老師も含めて、口々に称えられました。これに関連して、作曲という極度な集中 を要求される創作活動は無論のこと、何か一つでも事を成し遂げようとすると きに、坐禅をすることで、その力が湧いてくることなども出され、忘年会に相応 しい有意義な会となりました。  (鈴木 記)


<<平成24年12月定例禅会>>参加者:8名 会場:サンライフ長野
 坐禅:3回坐りました。途中で、いつものように西山禾山老師の般若三昧を唱えたり、経行を行ったりしました。
 茶礼:坐禅の後、10月の例会に続き、正法眼蔵第一現成公案を最初から読 誦しました。読誦した箇所を、桐山主宰から解説して頂きました。解説の箇所 は、「うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶといへども、そら のきはなし。・・・中略・・・小にあらず大にあらず、自にあらず他にあら ず、さきよりにあらず、いま現ずにあらざるがゆえに、かくのごとくあるな り。」までです。この文章では、魚や鳥に譬えられているが、実は私たち人間 の生き方を述べているのである。道元の文章は、自由闊達で矛盾だらけのように 感じるが、それは私たちの考えが顛倒夢想でひっくり返っているから、そう感 じるのである。坐禅をして、ものの真相が分かってくると、道元の言うことの正 しさが次第に分かってくる。従って、坐禅を実践することと頭で考えることと の両方が、車の両輪のように必要で大事である。だから、ますます坐禅をし、無 の意味を考え、自分たちに現在の生活を少しでも坐禅の基本に近づけることが 求められているのではないか。来年は1月6日が最初の坐禅会となるので、今年 最後の坐禅会となったこの日、「良い年をお迎え下さい」の挨拶を交わしなが ら、家路についた。  (鈴木 記)


<<平成25年1月定例禅会>> 参加者:7名 会場:サンライフ長野
★例会のあらまし
 通常の坐禅を2炷行った後は、新年最初の坐禅会ということで、正真正銘の茶礼会即ち茶会がありました。
 桐山主宰の配慮で、茶道の師範である小山菊子先生と小池助士にお出で頂き、新春のお茶をたてて頂きました。控えの間としている和室には、茶釜や諸々の茶道具が置かれ、客人のための赤い毛氈も敷かれて、茶室に早変わりしました。 小山先生から、茶道の心得や茶や茶菓子の頂き方等について、簡単にお話して頂いた後、正客・次客から順に頂きました。正式な茶席は初めてという人もいましたが、背筋をピンと伸ばした心地よい緊張の中で、参加者全員が美味しく頂きました。
★茶礼にて
 茶道の師範の小山先生と小池助士にもご参加願い、茶礼を行いました。茶道では一つ一つの所作がきちんと決められていて、その手順に従って進められていきますが、型をちゃんと身につけるには長い時間が必要とのことでした。茶道と坐禅は共通点も多く、話が弾みました。例えば、室内を歩くときは直角に曲がること、無駄口をたたかず静寂な中で執り行われること、立ち居振る舞いなどの動作に無駄がなく合理的に行われること、等々です。和敬清寂に代表される茶道では、茶釜から沸き立つ湯の音に松風を観じると言われたとき、無心を求める坐禅と不二であるとも思いました。 やや違っていることは、坐禅は妄想に取りつかれることが多いが、茶道では多くの動作が次々に行われるので、妄想している暇はない、とのことでした。茶道も坐禅も歴史のある日本の精神文化の一つであり、お互いに学び合えるよい機会になったとの意見もあり、新年を迎えての楽しい時間となりました。    (鈴木記)

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