<<平成22年11月定例禅会>>参加者:7名 会場:サンライフ長野
 暦の上では「立冬」ですが、11月にしては暖かく日差しも強い日曜日、老師をお迎えして坐禅会を行いました。
 ご提唱は、白隠毒語心経の「是無等等呪」の一節でした。提唱のなかで、老師から呼吸について、「吐く息は丹田に、吸う息は気海に」行って、三昧の深い、浅いは問題とせず、呼吸に打ち込んでゆくことが大切であるとのお話をしていただきました。
 坐禅会の後は、長野駅前の料亭にて、少し早いが、桐山さんの快気祝いも兼ねた恒例の忘年会を行いました。坐禅会は欠席がちですが、この会だけは必ず参加というKさんも駆けつけていただき、老師を囲んで盛り上がった会となりました。


<<平成22年12月定例禅会>>参加者:8名 会場:長野県社会福祉総合センター
 会場のサンライフ長野が畳の張り替えで使用できなかったので、急遽社会福祉総合センターに会場を変更して行われました。会員募集広告を出した長野市民新聞を見て手塚鋳造さんが初めて参加されました。サンライフ長野の会場は、新聞などで宣伝することはいけないという規定で、募集できなかったので、ここ二年ほど新入会員はありませんでした。今回は不幸中の幸い。久しぶりの新入会員で大歓迎でした。坐禅会を如何に宣伝して正法を布衍するか、絶えず考えていく必要があります。 二炷目に、西山禾山老師の「南無甚深般若波羅密多」の念誦を行うことにして半年余りが経過しましたが、すっかり緒に就いてきて、坐禅も快適にできているように思います。 茶話会では峰村鉄男居士が、「禅味」に掲載された釈迦牟尼会の九十周年に寄せる原稿を元に、お話と問題提起をしていただきました。坐禅修行が日常生活に結びつくことが大切。悟りということが在るのかどうか。悟りを求めて修行するということでは無いのではないか。・・・等々です。会員からは、「五年もやっているが少しも進歩というものが無い」「進歩とはどういう事か」「かえって其れが本物ではないか」「悟りとは、とらわれを離れることではないか」「求めて手に入るものでもない」「坐禅修行の他に勉強する必要があるのか」「学と行が必要ではないか」等々の活発な意見が出ました。


<<平成23年1定例禅会>> 参加者:5名 会場:サンライフ長野
 外は、雪が降りしきり、積雪20センチを越えて気温氷点下3度の真冬日ですが、館内は暖房により暖かく、そして改装工事が終わって新しい畳とふすまに変わったサンライフ長野の和室で、今年最初の坐禅会を行いました。 坐禅後は、桐山さんに、老師より室内円了の証として賜った絡子を披露していただきながら、「日常生活と即今の自己」について講話をしていただきました。
 -講話の骨子-
(1) 日常生活
 時には、朝の食卓に食べ物がのっているなどの、日常生活のほんのささいなことが、めったにない、そして申し分なく、完全無欠に、かけがえのない存在としてそこにあることが感じられ、感謝の気持ちがわいてくる。
(2) 即今の自己について
 大切なことは、目前の今の一点である「即今の自己」が全てあり、過去も現在も、また未来も、全てがこの一点に生き生きと働いており、展開しているということです。

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