そばの歴史

そば畑そばは厳しい気象条件の荒れ地でも育つことから、世界中に広く栽培されています。日本でも古くから食べられてきたもので、信州は冷涼でやせた土地が多く、良質なそばがとれたことからそばの名産地として知られていました。
そばはそばがきやクレープのように食べられる例が世界的に多いのですが、日本独自の進化として麺状にして食べています。これは「そば切り」という食べ方で、江戸時代から広まったといわれています。
文献に記録がある中では、中山道本山宿の名物としてそば切りの記述があります。手軽な食べ方として江戸に伝わり、屋台でのファストフードとして江戸の庶民に愛され、やがて日本中に広がりました。
一方で、江戸時代に幕府の命令によって大名の国替えが行われた際に、信州のそば職人達を連れて行ったことから、各地に有名なそば処が誕生しました。特に知られているのが、島根県出雲地方『出雲そば』、兵庫県豊岡市『出石そば』、福島県会津地方『会津そば』で、これらはいずれも信州の大名の国替えで伝えられたそばです。

信州乾しそばのルーツ

乾しそば(乾麺)は、今から百数十年前の明治時代に長野市で誕生した。大和屋本店、塩入三代吉氏によって創作された「生そば」の乾燥製品です。
大正4年(1915年)12月宮内省から塩入三代吉氏への賞状には「干蕎麦」 壱箱 右 御即位奉祝の為献納の段 御満足に思し召され候事」と記されています。
手打ちそばを初めて試みた人は、そば粉と小麦粉が半々の割合でも、「そば」にならないことを経験した方も多々あると思うが、そういう生そばを単に乾燥させれば、バラバラにほぐれた品物になろうことは、安易に理解できます。
当時、九州方面で仕様されていた製麺機を利用して、常識破りの製品創作に挑んだ塩入氏の知的開発努力と成果が今改めて見直されています。大和屋を真似て乾しそば製造に乗り出した長野市周辺の後発業者に対して、二代目塩入正三郎氏は製造技術を惜しみなく伝授していきました。

長野県の乾そば生産

現在(平成21年)の長野県の乾そば生産量は

全国生産量49,965トン
長野県生産量19,875トン(39.8%)

2位の山形県(9.4%)を大きく引き離しています。
そば粉の配合比率も長野県(34.5%)で、そば粉の割合の高いそばを製造出荷しています。

平成25年度地場産業活性化戦略支援事業対象
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