<<令和7年9月21日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:円成寺

 秋風が爽やかに感じられる日でした。
 提唱は、峰村がワークショップを採り入れながら行いました。初めに、会員の行うジェスチャーの動作で何を表現しているか当てるゲーム、金の延べ板や銀杯の絵図から格言(沈黙は金で雄弁は銀、目は口ほどにものを言う)を当てるクイズなどを行い、これらに共通することは「言葉」であることを確認し合いました。
 この導入で、言葉や文字が禅の核心・提要である「不立文字」につなげたかったからです。「不立文字」とは何かを考えるためにいくつかの既成の文字(南無甚深般若波羅蜜多や色即是空空即是色など)を使い、これを各自が唱え続けたとき、どの辺りで文字が消えるのか(意識から離れるのか)紙上に書かれた文字に〇印をつける、というクイズもしました。
 しかし、質問の意味が分からないとか、そもそも不立文字とは何か知らないなどの意見が出されクイズとしては成立しませんでしたが、言葉(文字)と(無)意識(不立)との関係を考え始めた会員もいて、チャンスがあれば各自の考えを出し合ったらどうか、ということになりました。
 これを補足するために「臨済録・示衆」(道流、心法は形無くして、十方に通貫す。眼に在っては見といい、・・・・一心すでに無なれば随所に解脱す。)を借用しましたが、十分には出来ませんでした。
 島田さんから「この世界は『ことばの魔法(虚構)』がうみだした幻なのだ」という資料をタイミングよく出してもらい、会員の意見交換もできたので、本日の提唱を補って頂く形になり感謝でした。
 最後に、10月26日の正受庵坐禅会の準備・進捗を確認して散会しました。  (文責:峰村)



<<令和7年10月5日 定例禅会>> 参加者:5名 会場:サンライフ長野

 猛暑でしたが、冷房が効く和室で快適に坐れました。
 桐山老師のご提唱は、日ごろ感じている8項目(著書がAIによって英訳されることは画期的であるが、AIを人類に利するように活用することの大切さ、トランプ大統領の核施設の攻撃を正当化する暴言は自我意識の塊からでていること、広く豊かで大らかな気持ちになる浩然の気を養うことの大切さ、ストイックに生きることは他に対して優しさや慈しみの心もつことになる等)に亘って、ご自身の体験などと重ねて語られました。
 中でも「慈悲の瞑想」(スマナサーラ)については、時間をかけ丁寧に取り扱われましたが、これはこのようになりたいという「祈り」であることを確認するためでもありました。具体的には第1章から第7章まで輪読したり、意見交換したりしながら進めました。桐山老師からは各章の重要語句のポイントを押さえた解説(即今只今の心、大地は解毒する力をもっている、業にかかわる因果応報思想=野狐禅)や問いかけ(周りの人を自分の兄弟と思えるか?)がなされました。
 会員からは、「慈悲の瞑想」に関わる疑問点(第3章と第4章の順序が逆ではないか、全ての生命が兄弟ならば幸不幸はないのではないか等)なども提出されました。いずれも、これまでのご提唱の拝聴や各自の禅修行を通しての深化であり、盛り上がりであったように思えました。
 終わりに、英訳本の表紙デザインを提示(概ね良好、英語ネイティブの方の直観も参照)して頂いたり、7月中旬の不二道場での摂心参加の確認をしたりして散会しました。



<<令和7年11月2日 定例禅会>> 参加者:5名 会場:サンライフ長野

 晩秋の穏やかな日でした。
 ご提唱は、桐山老師の作曲の師匠である小山清茂先生を記念するコンサートで行った合唱の話や、今後に予定されているコンサートでのピアノコンチェルトの話などから始まりました。
 本題は、先月に正受庵坐禅会で行ったご提唱「無我ということ」について、復習を兼ねて一層詳細なお話がありました。前回のご提唱と重複しないように、ご提唱後のことを中心にして記します。@お経を読誦するのに抵抗がある、ということについて。お経を読誦すると心が和むのに、邪魔になるというのは、現代は自動車や飛行機の発達などで時間に追いかけられ、落ち着かない生活が常態化しているからではないか。こういう時代だからこそお経の読誦が大切になる。A独参の室内での公案修行について。長野禅会でも「隻手の音声」(白隠)の公案にもう少しで届く人もいる。また、「兜率三関」を一つの目標にしたいが、頑張って欲しい。B「禅は人々を、不可得という仕方で自証する自己に目覚めさせる」(鈴木大拙の「禅八講」)について。これを読んで感動した。大拙の英語での講義を日本人が翻訳したものだが、是非読んで頂きたい、などでした。
 「不可得」などに関連して、会員からも「分からないということが、どういうことか分かりかけてきた」・「公案の見解を師家に認められても、自分としては納得できないことがある」などと、率直な意見が出され、修行の励みになったようにも感じたり、「道無窮」なることを改めて思ったりしました。



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