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猛暑が続く日でした。ご提唱は、会員の中村真二さんから「今度、般若心経の解説をやっていただけませんか」という要望が桐山老師にラインで送信され、これに対して「次回の提唱では、慈悲の瞑想8,9をやりますから、それに合わせて空について解説したいと思います」と老師が返信した経緯を踏まえて行われました。 坐禅会場だけで行われていたご提唱が、デジタル機器を通して、日常生活全体に拡大したように思います。
〇桐山老師の提唱:慈悲の瞑想C1に、「物ごとは常に変化して消え去るものであると観察します」とあります。そのことを無常であると仏教では言っていますが、絶えず変化して消え去っていくのが真実です。だから、今此処でするべきことに集中、没頭してその物に成りきることが禅にとって、また人生の生き甲斐にとって大切となります。 欲は際限がない。欲が激しくなっていくと怒り、嫉妬などが出てきて相手を呪うようにもなる。「人を呪わば穴2つ」等という言葉まである、との解説がありました。
〇老師から会員への質問:一切は「苦」である、というのは仏教の中心的概念ですが、何故か? 皆さん説明してくださいと投げかけられ、会員から次のような意見が出ました。
・中村:結局は自分の思い通りにならない、年をとって死んでいく、そういう面をとらえて「苦」としているのではないか?
・久恒:全ては「苦」と思っていれば、「苦」でなくなるのでは?
・田中:生老病死という「四苦八苦」があるが、楽しみなんて考えられない、等々。
〇中村真二さんの質問・要望
改めて桐山先生の著書「禅を生きる」の第6章「縁起と空」読み返してみました。上手く理解出来ないところがあり、ご教授いただければと思います。p212に「全ての実在(色)は無(からっぽの空)を媒介にして、新たに蘇って真の実在(真空)」とされ「色」と「からっぽの空」と「真空」の3者の関係が解説されていますが、「媒介にして新たに蘇る」というところがどうもピンときません。ここが肝のような気もしますので、少し詳細なご解説をお願いできればと思います。
〇桐山老師の返信
「縁起と空」を読んでいただき有り難うございます。般若心経「空」の解説が暫く続きそうです。これは理論では無く、理論でもあるからです。有りながら無い、無いから有ると言える、囚われることは囚われないこと、執着は執着しないこと。ここまで来ると理解、知識、理論、概念と言った範疇を超えてしまいます。物ごとを直接経験するとか、直感の世界でしか捉えることはできないということになります。禅では大事な経典である金剛般若経には繰り返し述べられていますが、一筋縄ではありません、次の機会にお話したり話題にしたりしていきましょう。
・今回のこの箇所は、禅仏教の核心で重要ですので、会場でもラインでも繰り返し話題にされたり追究されたりするところではないかと思いました。 (文責:桐山)
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