<<令和7年8月3日 定例禅会>> 参加者:4名 会場:サンライフ長野

 猛暑が続く日でした。ご提唱は、会員の中村真二さんから「今度、般若心経の解説をやっていただけませんか」という要望が桐山老師にラインで送信され、これに対して「次回の提唱では、慈悲の瞑想8,9をやりますから、それに合わせて空について解説したいと思います」と老師が返信した経緯を踏まえて行われました。
 坐禅会場だけで行われていたご提唱が、デジタル機器を通して、日常生活全体に拡大したように思います。
 〇桐山老師の提唱:慈悲の瞑想C1に、「物ごとは常に変化して消え去るものであると観察します」とあります。そのことを無常であると仏教では言っていますが、絶えず変化して消え去っていくのが真実です。だから、今此処でするべきことに集中、没頭してその物に成りきることが禅にとって、また人生の生き甲斐にとって大切となります。
 欲は際限がない。欲が激しくなっていくと怒り、嫉妬などが出てきて相手を呪うようにもなる。「人を呪わば穴2つ」等という言葉まである、との解説がありました。
 〇老師から会員への質問:一切は「苦」である、というのは仏教の中心的概念ですが、何故か? 皆さん説明してくださいと投げかけられ、会員から次のような意見が出ました。
 ・中村:結局は自分の思い通りにならない、年をとって死んでいく、そういう面をとらえて「苦」としているのではないか?
 ・久恒:全ては「苦」と思っていれば、「苦」でなくなるのでは?
 ・田中:生老病死という「四苦八苦」があるが、楽しみなんて考えられない、等々。
 〇中村真二さんの質問・要望
  改めて桐山先生の著書「禅を生きる」の第6章「縁起と空」読み返してみました。上手く理解出来ないところがあり、ご教授いただければと思います。p212に「全ての実在(色)は無(からっぽの空)を媒介にして、新たに蘇って真の実在(真空)」とされ「色」と「からっぽの空」と「真空」の3者の関係が解説されていますが、「媒介にして新たに蘇る」というところがどうもピンときません。ここが肝のような気もしますので、少し詳細なご解説をお願いできればと思います。
 〇桐山老師の返信
 「縁起と空」を読んでいただき有り難うございます。般若心経「空」の解説が暫く続きそうです。これは理論では無く、理論でもあるからです。有りながら無い、無いから有ると言える、囚われることは囚われないこと、執着は執着しないこと。ここまで来ると理解、知識、理論、概念と言った範疇を超えてしまいます。物ごとを直接経験するとか、直感の世界でしか捉えることはできないということになります。禅では大事な経典である金剛般若経には繰り返し述べられていますが、一筋縄ではありません、次の機会にお話したり話題にしたりしていきましょう。
 ・今回のこの箇所は、禅仏教の核心で重要ですので、会場でもラインでも繰り返し話題にされたり追究されたりするところではないかと思いました。 (文責:桐山) )



<<令和7年8月17日 定例禅会>> 参加者:4名 会場:円成寺

 少数精鋭という感じでしたが、充実した坐禅会になりました。
 桐山老師のご提唱は、「たとえ少数の参加者でも一個半個がいればよい」という会員の声を受け、「この言葉には少数でも正しい教えが伝わればよい、という意味が含まれている」という話から始まりました。次に、桐山老師の奥様の新盆で、親族が13人集まって法要をされた話がありました。
 桐山老師のご尊父がお元気な頃、お盆になると家族全員が坐って読経をする習慣があり、何となく般若心経を唱えていたら孫たちも自然に唱えるようになりました。このような伝統のためか、今回の読経でもハーモニーやバランスが大変よく、盛り上がった法要ができたとのことです。
 次に島田さんが提供された新聞記事「査定と修行」(思想家内田樹氏)に話題が移りました。現代人は他人からの評価を大変気にするが、これは「査定」が蔓延しているからであり、査定の反対概念は「修行」である。修行は、先達について道を歩むことであり、他と比べて勝った負けたと騒ぐものでもないし、相対的な優劣を競うものでもない。
 これを受けて老師からは、実施経験の大切さや、知識ではなく仏教の智慧の大切さを話して頂きました。また、現今予想を超えたスピードでAIの影響が広がっているが、このルール作りは22世紀の最大の課題であるとも指摘をされました。
 最後に釈迦牟尼会主催の秋の正受庵坐禅会について確認し合い、散会しました。



<<令和7年9月7日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:サンライフ長野

 猛暑の中にも秋の気配がかすかに漂う日でした。
 桐山老師のお話は、八月の二回目の坐禅会報告から始まりました。内容は、奥様の新盆法要時の読経が素晴らしかったこと・島田さんが提出し解説した内田樹氏の「査定と修行」に絡んで、知識ではなく仏教の智慧が大切であること、AIが驚異的な速さで影響を広げているが、このルール作りが二十二世紀の最大の課題になること、などでしたが再確認されました。
 次は、予定の著書「禅を生きるU」の出版社から、サブタイトルとして「科学との対話」が、またアマゾンの商品解説文言として「なぜ今、禅なのか・・・心と科学をつなぐ現代の智慧・・・」などが紹介され、概ねよいのではないかとの意見で落ち着きました。更に、「禅を生きるV」については、若干の修正は必要なものの、大体はこの方向で進めて頂くことになりました。
 ご提唱の本題は、桐山老師のスマホメモから、@認知症は難聴と大いに関係があり、このために他人とのコミュニケーションが減って孤独感が増すこと、A斉藤高校長の「人に迷惑をかけ続けよ」・「苦手なことは誰かに助けてもらうことが大事」・「自分の得意なことは、誰かの苦手なことに役立っている、これが.助け合って生きるということ」などの言葉、Bお金持ちの人は偉いと思われるが、持っているより有効に使う人の方が偉い、C大谷翔平は何も考えずに来た球をホームランにすることが理想としているが、これはある意味で「無」の境地で打席に立つことではないか、D「無門関48則」の著者野村春眠は「一念発起したら、何はさておき命懸けで取り組めと言う、などとご自身の体験と重ね、含蓄ある言葉で会員へ激励をして頂きました。
 最後は、秋(10月26日)の正受庵坐禅会に向けての準備状況を確認して散会しました。



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