わたしにとって、自分の子育てに一番欠けているのではないか、と思わせられる話を聞きましたので、載せたいと思います。
1995年 2/12 吉野精一氏
「この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネの福音書1:12)
(前略)子どもというのは親にとってどういう存在でしょうか。自分自身が神様から2人の子どもを与えられてみて、本当に考えさせられるんですね。一つ言えることは、子どもというのは親の愛の対象なんですね。憎しみの対象では絶対ありません。(中略)
子どもがどうであるから親が愛するかということですが、うちの子どもは親の言うことを何でも聞き、非常に優秀だから、私はこの子どもを愛する、でもうちの子どもはいたずらばっかりするし、大事な物は壊すし、親の言うことは半分も聞かないし、もうこんな子は愛したくない、と思うかというと、そうでもないんですね。
聖書の中に書いてある親の愛というのは、子どもが何であるか関係ないんですね。出来がいいとか悪いとか、見栄えがいいとか悪いとか、親の言うことを聞くとか聞かないとか、そういうことと全然違うところで、おまえがいるから私にとって喜びだ、そのような愛として、聖書の中に書かれているんですね。
ですから、私も子どもに言うんです。N、おまえがいるだけでお父さんにとって、本当に喜びなんだよ。S、おまえがいるだけで、私にとって本当に大きな喜びなんだよ、って言うんですね。そうなんです。親にとって、この子どもが何かしてくれるから、この子が私の言うことを聞いてくれるから、だから私はこの子を愛する、この子を喜ぶ。違うんですね。ここに、子供という存在があるだけで、本当に親にとって大きな喜びが与えられるんですね。私たちは、自己中心で人を愛せない者であっても、神様は人間の本質の中に生まれながらにして、自分の子どもを愛するように、そういうものを与えて下さったんですね。(中略)
では、私たちが、神様の子どもになったらどうでしょうか。私たちが、神様のために何かが出来るとか、私は神様の言うことを全部100%なしていますとか、そうでない自分自身を発見するときに、でも「おまえの存在自体が、わたしにとって喜びだ」と、神様ご自身がおっしゃって下さるんです。(中略)
でも、多くの不幸な出来事があるんですね。親と子が、勘違いをしているんですね。子どもが、親の期待に応えなければ、お父さんお母さんは私を愛してくれない、というような誤解を持ったら、それはどんなに不幸でしょうか。全く親が子どもに期待しないのは、いけないかもしれません。でも、お父さんお母さんは、私が言うことを聞くから、ちゃんと勉強をするから、私を愛してくれるんだと、もし子どもが思ったら、どんなに不幸でしょうか。子どもは常に緊張していなければならないんですね。お父さんお母さんの顔色をうかがい、その思うことを100%やらなければいけない、というすごいプレッシャーの中にその子どもは入らなければいけないんですね。
神様の子どもとなったときに、私たちはそうでしょうか。そうではないですね。ですから私は、いつも子どもに言うんです。確認するんです、なあ、N、おまえはお父さんの言うことを聞くから、お父さんお母さんに対しておまえがいい子であるから、お父さんお母さんはおまえのことを愛していると思うか、それとも、おまえがいたずらもするし、言うことも聞かないけれども、でもおまえのことを愛していると分かるか、と聞くんですね。そうすると、子どもはちゃんと、言うことを聞かないこともある、いたずらも、悪いこともするけれど、それであっても自分のことを愛していると分かると子どもは言うんですね。(中略)
イエス様を信じたら、私たちもこの天地を造られた神様の子どもになれるんです。そして、その神様の愛の対象に私たちはなるんです。もちろん神様は、私たちが神様の言うことを聞かなくていいよと言う方ではありません。もちろん愛する子どもをむち打つように、神様は私たちを正しい道に導こうとされます。でも、従わないからあなたをわたしは愛さない。あなたは、わたしのために何もしてくれないから、わたしはあなたをもう見捨てた、というお方ではないんですね。(中略)私たちが何者であるか、何ができるかということと全く関係ないところで、私たちを愛していて下さるというお方なんですね。(後略)
【子供を育てるとき、どんなに親の言うことを聞かなくても愛していることを伝えるという。ひたすら感心して聞いていた。自分の子どもは、そのような親の愛を感じているだろうか。いや、親としてそのように愛しているだろうか。息子の精神的な不安定さはそのような愛を感じていないせいではないか…。
自分が失敗してしまったと思う子育て。それは母親の言うことをなかなか聞かない息子に、寿子のいらいらが高じて、私に対し「お父さん、おこってよ。」と、こちらに白羽の矢が立ったとき、私も腹が立ってきて「どうしてお母さんの言うことを聞けないの!」と、怒鳴り散らしてしまったことだ。そして、息子が泣くと、さらに追い打ちをかけ、「お母さんが好きなら、言うことを聞けばいいでしょ。」と言う。その結果、息子はよけい父親嫌いになってしまったのではないかと心が痛む(寝るときなど未だに母親に一緒に寝てくれることを強く希望する)。まあ、仕事が変わり、娘のようには個人的に遊んであげられなくなったということもあるかも知れぬが、息子との人間関係が今少し深まるようにと思うこの頃です。】