<<令和8年2月22日 定例禅会>> 参加者:6名 会場:円成寺

 本堂前の梅が咲き始めた温かな日でした。提唱は、私(峰村)がやらせて頂きました。先ずはワークショップで「じゃんけん大会」をしました。「慈悲の瞑想」で話題になった「同等慢(同等でもだめなのか)」を考えるためです。じゃんけんでは「あいこ(同等)」のときに感じる思いが、同等慢の理解につながるのではないかと考えました。「慈悲の瞑想」の著者スマナサーラが、慢は「エゴの錯覚」から起こると記していますが、勝ち(高慢)・負け(卑下慢)は無論のこと、あいこ(同等)でさえ次は勝ちたいというエゴの欲(同等慢)が出るのでは、という考えを多少感じてもらえたように思います。
 次に「慈悲の瞑想」の携帯バージョン(フルバージョンのエッセンス)資料を配布し、著者が強調したかった「幸せ」・「悟りの光」などを参加者とともに考えようとしました。「幸せ」は四苦八苦をのり越えたときに感じる主観的心情です。苦は人によって様々ですので、「幸せ」の感じも人によって様々です。四苦八苦はたいてい我欲などから惹き起こされますが、欲は満たされるとすぐ次の欲がでてきますから際限がありません。欲に関しては、もうこれ以上は要らないという「足るを知る」ことが一つの歯止めとなると思います。これはなかなか困難で無理な注文ですが、それ故に大燈国師も「無理会の処に向かって究めきたり究めさるべし」と励ましてくれています。また、「悟りの光」も「幸せ」と同様に苦難を乗り越えたときに感じる体得的・実感的な希望の心情ですから、人さまざまです。
 更に、「エゴの錯覚」や「欲」を具体の場面で考え合うために、開催中のオリンピック選手の姿などを借りました。スキージャンプ女子で銅メダルを獲得した丸山希選手では、坐禅をしているという新聞記事を引用しました。スタート時に坐禅の呼吸をすると雑音・雑念(欲)が消えジャンプに集中できる(無心)ということです。坐禅の力(呼吸・肚力)の大きさをお互いに再認識し合いました。フィギュアスケートの坂本花織選手の悔しい銀メダルと中井亜美選手の嬉しい銅メダルについても、微妙な欲・無欲との関係で語りました。
 しかし、この語りは外部からの相対的な推測ですから、本人の内的で絶対的な心情(悲・喜)は分かりません。「幸せ」を含め折にふれて追究したいことがらです。      (文責:峰村)



<<令和8年3月1日 定例禅会>> 参加者:3名 会場:サンライフ長野

 峰村先生はご都合で欠席でしたので、提唱は私(桐山)がやりました、先ず2月22日の峰村先生の提唱は、ワークショップで「じゃんけん大会」をして「同等慢」を考えるところから始まりました。
 「慈悲の瞑想」(スマナサーラ)では、慢はエゴの錯覚から起こること、次に「慈悲の瞑想」の携帯バージョン資料を見て「幸せ」「悟りの光り」考えようとしました。また、エゴの錯覚や欲を具体の場面で考え合うために開催オリンピック選手の姿を借りました。スキージャンプ女子の銅メダルの丸山希選手が、坐禅をしているという新聞記事を引用し、日々私たちが行っている坐禅の呼吸をすると雑念や欲が消えてジャンプに集中できるという話で、坐禅の力の大きさを再認識しました。
 さて、峰村先生の提唱を再確認することで早くもスペースがなくなってしまいましたが、少し付け加えて報告致します。今回の参加者は3名で、3人寄れば文殊の知恵と言う諺がありますが、当にその通りの会になりました。田中さんからは「八識田中に一刀を下す」という禅の言葉があるがこれはどういうことかという質問があり、私からは唯識は相続を乗り越えて、自由自在の境涯を得るための教えであること、臨済自身が禅に出会う前には唯識をかなり勉強していたという事実をお知らせしました。久恒さんからは田中さんの質問に関わって、自由自在の形としてアーラヤ識とマナ識があるということだが、それは大円鏡智のことで、良いも悪いも関係ないということではないかという貴重な意見をいただき、3人寄れば文殊の知恵となる言葉の通りの坐禅会になりました。
 今回で「慈悲の瞑想」は最後にして、次回からは無門関の提唱をすることをお知らせして、有り難う禅をやって閉会となりました。       (文責:桐山)



<<令和8年3月15日 定例禅会>> 参加者:5名 会場:円成寺

 三寒四温のうちの寒い日でした。前回の参加者は少数でしたが、桐山老師ご自身が書かれた禅会記録を提示されましたので、坐禅会の様子・内容を全員で確認することができました。
 続いて、私(峰村)が講話をさせて頂きました。題は「いま・ここ・自分」で、この具体例をいくつか挙げて話題提供に資するようにしました。
 @うつ病患者と精神科医とが、人間的な信頼関係を築く中で回復していき、双方が「いえい!」と言葉を発しつつハイタッチをします。すかさず精神科医は患者に、この笑顔でのハイタッチが「here and now」(いま・ここ)なんだよ、と言って患者自身が自らの存在を認められるようにして安心させています。
 A野球の大谷選手が試合中に、大声を出します。この行為は自分や仲間を鼓舞するとともに、プレッシャーのかかる中で大谷選手自身が「いま・ここ」を声高らかに宣言しているパフォーマンスでもあります。
 B公案修行者が最初に頂く公案は「無字」ですが、これは究極の「いま・ここ」を目指す最重要の公案です。
 C浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と繰り返し唱えますが、熟練した門徒(妙好人)は「いま・ここ」の体現者となります。浅原才一という妙好人は「風邪をひけば咳がでる 才一が御法義の風邪をひいた念仏の咳が出る」という詩を残していますが、これは「いま・ここ・自分」が一つになった端的な表現です。このような内容でした。
 ありがとう禅・観音禅の後、田中さんは体調の都合でご欠席でしたが、6月21日(日)の正受庵坐禅会に向けて、互いにカバーし合いながら準備を進めていくことを確認して散会しました。                                           (文責:峰村)  



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