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本堂前の梅が咲き始めた温かな日でした。提唱は、私(峰村)がやらせて頂きました。先ずはワークショップで「じゃんけん大会」をしました。「慈悲の瞑想」で話題になった「同等慢(同等でもだめなのか)」を考えるためです。じゃんけんでは「あいこ(同等)」のときに感じる思いが、同等慢の理解につながるのではないかと考えました。「慈悲の瞑想」の著者スマナサーラが、慢は「エゴの錯覚」から起こると記していますが、勝ち(高慢)・負け(卑下慢)は無論のこと、あいこ(同等)でさえ次は勝ちたいというエゴの欲(同等慢)が出るのでは、という考えを多少感じてもらえたように思います。
次に「慈悲の瞑想」の携帯バージョン(フルバージョンのエッセンス)資料を配布し、著者が強調したかった「幸せ」・「悟りの光」などを参加者とともに考えようとしました。「幸せ」は四苦八苦をのり越えたときに感じる主観的心情です。苦は人によって様々ですので、「幸せ」の感じも人によって様々です。四苦八苦はたいてい我欲などから惹き起こされますが、欲は満たされるとすぐ次の欲がでてきますから際限がありません。欲に関しては、もうこれ以上は要らないという「足るを知る」ことが一つの歯止めとなると思います。これはなかなか困難で無理な注文ですが、それ故に大燈国師も「無理会の処に向かって究めきたり究めさるべし」と励ましてくれています。また、「悟りの光」も「幸せ」と同様に苦難を乗り越えたときに感じる体得的・実感的な希望の心情ですから、人さまざまです。
更に、「エゴの錯覚」や「欲」を具体の場面で考え合うために、開催中のオリンピック選手の姿などを借りました。スキージャンプ女子で銅メダルを獲得した丸山希選手では、坐禅をしているという新聞記事を引用しました。スタート時に坐禅の呼吸をすると雑音・雑念(欲)が消えジャンプに集中できる(無心)ということです。坐禅の力(呼吸・肚力)の大きさをお互いに再認識し合いました。フィギュアスケートの坂本花織選手の悔しい銀メダルと中井亜美選手の嬉しい銅メダルについても、微妙な欲・無欲との関係で語りました。
しかし、この語りは外部からの相対的な推測ですから、本人の内的で絶対的な心情(悲・喜)は分かりません。「幸せ」を含め折にふれて追究したいことがらです。 (文責:峰村)
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