禅と作曲B作曲の実際


桐 山 紘 一

「禅と作曲 その一」では、創作の原点である「感動」について、「その二」では小山清茂先生とその指導を「作曲家集団たにしの会」の活動を通して述べてきました。

 私の作曲は、小山先生の理念をそっくり引き継いでいると自負するものですから、今までの経緯を含めて、そのまま記述すれば、それが私の作曲の全てということになります。そのような捉え方は、禅による自己認識であるように思います。つまり個人があって経験があるのではなく、経験があって個人があるということです。


 日本和声による作曲の実際
 小山先生は、たにしの会発足当初、私達に好きなものを作曲させていましたが、日本音階と日本和声の講義が一通り済んだ頃から、日本のわらべうたに適切な日本和声を置く(主に低音の対旋律をつける)ということを課題にしました。これは一見易しいようですが、わらべうたの旋律を生かし、しかも日本和声にも合致した魅力的な対旋律を付けることはなかなか至難のことでした。自分は完璧と思っても先生に指摘いただくと、さらに魅力的なリズムやメロディーの構成が無限に在ることに気づかされます。自己否定というか、概念砕きの連続ですから、禅の公案を拈提しているのと全く同じです。

 さて、何十曲も挑戦して、やっと一つ二つ良いものができると、それを皆の前で演奏させ賞賛して下さいました。そして◎のお墨付きをもらうのです。ちなみに、やや良いものは○、もう少しは穴あきの丸、とびきり良いものが◎、その内に、こぶ付きの丸などが出てきて、大の大人が一喜一憂して励んだものです。

 それから、わらべうたは自分で採譜することが原則でしたが、何処かの楽譜から引用しても良かったのです。しかし私達はそれをそのまま鵜呑みにして使っていると、先生は一流の日本的な感性をもって不自然な旋律やリズムを修正させ、一音たりともおろそかにしないのです。自然な日本の旋律を大切にされており、それは作曲に於いて終始変わらぬ先生の厳しい姿勢でした。

 さて、苦心惨憺してできた珠玉の◎が、一人十個になると第一段階が目出度く卒業ということで、次は、わらべうたの旋律をテーマにしたピアノ変奏曲等の作曲を許されるのです。

 この学習過程でできたわらべうた二声の曲は、「わらべうたピアノ曲集1〜2」として音楽之友社より出版され、大いに励みになったことは言うまでもありません。これが日本和声・日本音楽そのものを理解するのに最適な学習方法であることは、後になって気づいたところです。

 また小山先生は私達にこの学習課題を与えると同時に、あるいはそれに先んじて、ご自分でもわらべうた二声編曲に取り組まれ、全音ニュースに連載、続いて「日本のピアノ」として全音から出版され、私達はそれをテキストにして取り組むことができたのです。また、そこには「日本和声入門」として十八ページに渡る綿密な日本和声の紹介も掲載されています。それは後に、たにしの会神戸支部会長の中西覚先生を中心にして、全員で検討を繰り返し、より内容が充実され「日本和声−そのしくみと編作曲へのアプローチ−」として音楽之友社より出版されました。それは、西洋音楽階とその和声法がすべてになっている日本の音楽界・教育界に、新しい一ページを開くものであると自負しています。


 作品発表会と出版活動

 わらべうた二声編曲やピアノ変奏曲の作曲を通して、少しずつ力をつけた会員は、いよいよピアノソナタや室内楽、さらに童謡、歌曲、合唱曲は勿論、夢にまで見たオペラ、オーケストラの作品まで取り組むようになったのです。それらの作品は、ほとんど全て作品発表会等で一流の演奏家によって発表されています。

 行われた作品発表会は信州支部で、出版記念演奏会等も含めて20回、神戸では27回、信州・神戸合同発表会が東京で2回、この他オペラの上演、オーケストラ作品初演等々を含めると、合計50数回にも及びます。 めぼしいものを上げると、神戸支部では5回に及ぶ管弦楽の夕べ。中西覚作曲の、オペラ「ゆく河の」「宮水」などの上演。信州支部では長野冬季オリンピック芸術祭参加「日本の響き」。永井彰作曲、交響詩「信濃の山に木霊して」。藤城稔作曲の音楽劇「円仁」の上演。桐山紘一作曲「一人おぺら土佐源氏」の上演等々があります。

 小山先生の厳しいレッスンを通して生まれたこれらの作品群は、単なる修作といったものでは無く、作曲の勉強が即芸術作品として完結したものですから、次々と出版されてきました。沢山のピアノ曲集(わらべうた二声曲・変奏曲・連弾曲・ソナタ等々)また、金管・木管・和楽器等々のアンサンブル曲。童謡曲集をはじめ、5冊に及ぶ日本歌曲集等々です。そして近年色々の団体や演奏家によって、私共の作品が少しずつ演奏されるようになったことは大変嬉しいことです。


 「一人おぺら土佐源氏」の作曲

 子供が「花子さん」と遠くから呼ぶときは、音程は必ず2度の上下関係にあります。ちなみに西欧では3度の関係になっています。そして子供達に、並べた日本語を自然に唱えさせていくと、日本音階のわらべうたのようになっていきます。それを西洋音階(ドレミ)にするには、終止音を根音(ド)にする等、音階をかなり意識して取り組ませるか、西洋音階による音楽をかなり学習し経験させておく必要があります。しかしそのような子供でも、夢中で友達を呼ぶときは、やはり2度の上下関係になっているでしょう。

 このように日本の音階は日本語の特質や日本人の生活と密接に結びついており、しかも数千年の民族の歴史を経て発展してきたものです。したがって日本語が無くならない限り、日本音階を無視して日本人の音楽や教育を語ることはできないのではないでしょうか。

 さて、渋谷の劇場ジアンジアンの支配人高嶋進氏から、宮本常一原作「土佐源氏」というオペラの作曲依頼が私にありました。送られてきた大月龍胆氏の台本を一目見て、男女のあまりにも露骨な表現にとまどってしまい、しかもこんな大曲を技量のない私には到底できないと思いました。小山先生に相談したところ、「そんなこと少しも心配いらない。宮本常一の名作である。これを引き受けなかったら、今まで勉強してきた価値がない。」と言われてしまいました。

 そして、小山先生に励まされ、三年もの月日を要して何とか完成することができました。 初演は平成十二年三月に、劇場ジアンジアンで、また十五年には東京と長野で再演され好好評得、現在全国公演に向けて売り出し中です。。

 このおぺらは、小山先生による厳密な日本和声と伝統的な語りの様式をふんだんに取り入れたているので、演奏が難しいのではないかと心配しました。しかし主演の名バリトン鹿野章人氏は「全く違和感無く自然に歌えた。今まで沢山のオペラに取り組んできたが、やっと自分が本当に歌える曲に出会えた」と喜んで述懐されています。それは日本語と日本音階による旋律の理想的な調和によるものと思われます。そして言葉がはっきり分かったという感想を多くの方々からいただきましたが、それは勿論、鹿野氏の卓越した表現力によるところが大きいわけですが、日本語が生きる日本音階によるメロディーと和声である事を見逃してはならないと思います。

 大作曲家は全て、自分が所属する民族の音楽を大切にし、それを基盤にして音楽芸術を創造してきました。日本は不幸にも伝統音楽があまり省みられず、教育界も音楽界もそのほとんどが西洋音楽一辺倒です。そんな中で小山先生の格闘が続けられ、日本人の魂である伝統音楽がクローズアップされ、日本音階を元にした和声を獲得して、新しい日本の音楽芸術として甦りました。本当の日本音楽が永遠に栄えることを願って止みません。 



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