動中の禅1 (日常生活)

講話 桐 山 紘 一

しばらくの間、「禅を生きる」の禅味シリーズは休んでおりましたので、再開するに当たりその経緯や意図を述べさせていただいてから本題に入りたいと思います。
 それは平成15年のことでした。竹前利一禅味編集長から、坐禅の修行をしてきて、それが日常生活や、貴方のやっている農業、作曲などに、どのように生きて働いているか、書いてほしいという、大変難しい課題をいただきました。
 38年間の教員生活に終止符を打って、とりあえず農業をすることにして、目前に現れる新しい課題に、がむしゃらに取り組んでいるときでした。それが私の禅修行とどう結びついているかは、あまり考えていなかったので、自己を点検する良い機会であると思い、「禅を生きる」という標題を掲げ、合計23回にわたって掲載させていただきました。「根本知と分別知」という禅的認識論を皮切りにして、禅と農業、禅と作曲、禅を生きる民俗学者宮本常一、また「縁起と空」という仏教の根本問題、そして坐禅の仕方など多岐にわたりました。それらは概ね長野禅会のホームページに掲載されています。 「禅を生きる」とは、「動中の禅」という事であり、坐禅修行をモデルとして日常の生活や仕事などを、禅として生きることに他なりません。
 白隠禅師も「動中の工夫、静中の工夫に勝ること百千万倍」と言われ、動中の工夫の大切さを強調されております。そして、この稿を書く目的は、自己の日常生活一つ一つの場面を取り上げ、それが禅になっているかどうかを、私自身が点検反省し、更なる禅の生き方を目指すことにあります。


 動かざること山の如し

 さて、今回は摂心に参加して修行を続けることの難しさについて、体験を記してみたいと思います。
 それは、3月の不二摂心のときの事です。締め切りを過ぎた原稿に追われ、ハードな会が連続。しかも私の大嫌いな宴会が続くのです。何とか3月21日の摂心中日だけは日程を確保して参加するつもりでしたが、体力は消耗し切っておりました。 案の定、当日の朝になって立ち上がれない。昨夜のアルコールもまだ残っているようで、運転は難しい。2時間ほど様子をみたが回復の兆しなし。妻は心配して止めた方が良いと頻りに言うので、断腸の思いで今回は取りやめることにしました。道場へ電話をしたら奥様が出られ、参加できない由を役位の田村先生に伝えていただくようにお願いしました。
 悶々として潰れ込んでおりましたら、突然前版が鳴ったような気がしたのです。跳び起きて再度電話したら、今度は田村先生が出られ、奥様からの連絡で不参加のことは分かっていたようです。「役位の土居さんが近くにいるので代わります」と言って、土居さんが電話に出られました。「色々で疲れ込んでいるし、これから出かけても少ししか坐れないので、今回は行きませんのでよろしくお願いします。」と言ったら、「少しでも来た方がいいですよ、来てくださいよ。」と言われ、私は思わず「そうですね、これから行くと正午過ぎにはそちらへ着きます。」と言ってしまったのです。 「土居さんに行くといってしまった」と妻に言ったら、呆れ顔で「何言ってるの、先ほど奥さんに行かないと言ったでしょう。はっきりしない人ですね。まったく誘惑には弱いんだから。」と・・・進退窮まるとはこのことか。私は返す言葉もなく小さくなっていましたが、それでも何とかできないものかと、忙しく思いを巡らしているのでした。
 武田信玄の「動かざること山の如し」とは素晴らしい言葉ですが、案外このように進退窮まり、必死で状況を分析しながら、次の手を探している即今の事態ではないかとも思うのです。


 速きこと風の如し

 不二道場まで4時間の運転ができるかどうか思案しているうちに、一つの光明が見えてきました。「おまえが運転して 一緒に不二まで行ってくれたらいいんだ。」「何言ってるの。今日はそんなことやっていられない。準備がしてない。絶対だめ。」まったく取り付く島がありません。そこで「今日は天気が良いから素晴らしいドライブになるな〜。雪を被った富士山はきれいだろうな〜。」・・・チラッと妻の心が動いたのを見てとった私は、一気に追い打ちをかけました。「今から出ると御殿場で昼食だから、沼津直送海鮮鮨が食べられる。」それでも返事がない。とどめの一撃、「僕が運転して行って、途中でおかしくなっても、お前はそれでいいんだな。」返事をしなければ自分で運転していきそうな様子を見て、妻は不承不承承知してくれました。その後は、速きこと風の如し。準備の時間40分の予定を30分で済まし、運転は妻に任せ、安心して出発しました。途中ラッシュに遇い、海鮮鮨は食べられませんでしたが、わずか1日の摂心参加でも、妻は何か得るものがあったようで、帰宅してから言うには「また行こうね。」でした。
 現今、日常活動や仕事をしながら坐禅を続けることは大変困難です。仕事と坐禅を両立させながら、仕事の中で動中の禅を行ずることが在家禅の命脈である以上、どれほど困難であっても、仲間と励まし合いながら、そして家族の協力を得ながら、何とか坐禅修行を継続することが先決です。その上に立って、伝統禅を守りながら、新しい時代に合う大衆禅の在り方を探っていく必要があります。   2009.4



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