PTA日記

 

(1)長野、群馬、教育事情比較 1998年

 一度書いてみたいと思っていた観点ですが、なかなか客観的な立場で比較できないので、難しさがあります。群馬での私は、教育される児童、生徒の立場と、小中3校だけの教師の立場での見方であり、長野では子どもが通っている学校の父兄やPTAとしての立場であり、どうしても一面しか見られないので、そのことを御理解の上でお読み下さい。

☆長野県は教育県か

 長野県人に聞いても、現在形では答えず、長野県は教育県だった、と答える人が多いようです。何でも学力テストの結果が全国で下から数えて何番目だとか言う報道があったりで、自信を失ってしまったのでしょう。しかし、長野県が教育県だったという片鱗は至る所で見られます。

 何と、美術館や博物館、郷土資料館等の多い事よ、1町村でさえ幾つもあるところが結構あります。近くの大町市には、山岳博物館、塩の道博物館、郷土玩具博物館、東山低山帯野外博物館、酒の博物館、温泉博物館、エネルギー博物館と7つも博物館があるのです。

 また、何とPTAの活発な事よ、群馬の3倍以上は活発だと思っているのですが。だいたい群馬でPTAの活動として覚えていることは、PTA総会が一回、奉仕作業、行事の時のお手伝い、懇親会、位しか思い出せないのですが。しかし、こちらでは、学級と地区から選ばれた役員が、さらに部会を組織し、先生方もそれぞれの部会に張り付き、新聞や広報を作ったり、講演会や研修旅行、奉仕作業、地区の看板作り、本の貸し出し、などの企画、実施をしています。何と私の小学校では役員が100名もいるのです(今年会則を変更したので、来年からは少なくなりますが)。さらに、単位PTAが集まり、上部組織を作ります。こちらでは3町村のPTAが集まり、西南部PTAを組織し、研究集会などを実施します。さらにそれが4ブロック集まって郡のPTA、その上に県のPTAがあり、それぞれ研究集会をして、分科会毎に当番校が研究発表をして討論会をし、講演会を組み合わせます。PTA会長が終わったら、次の年は顧問ということで、また主要な行事には招かれることになります。

 運動会に於いて、子どもを活躍させるのには、驚きました。4〜6年生が、それぞれの係りとして張り付き、放送、用具の出し入れ、着順判定、点数の集計と表示、ゴールひも、ピストルの弾の充填など、みなやっていて休む暇がないほどです。自分の出番と係りの仕事の振り分けはきっと複雑なものだと思いますが、これは群馬の先生方に是非見ていただきたいと思ったものです。

 また、全体的に自主性を重んじ、逆に言うとややルーズで、しつけ不足と感じさせる面もありますが、群馬ほど管理的でないと言えるような気がします。

 指導案の厚さは驚くべきもので、これでも何ページ以内に抑えるようにと言われているとの事です。

 音楽教育の面では、盛んでレベルも高いと感じております。

 大人の雰囲気も勉強熱心だなと感じることがあります。

 

☆長野県民性とクラス替え

 長野県に来て驚いたことは、クラス替えが3年から4年の時に一度だけで、中学校ではないとのことです。更に、担任は、三年間持ち上げが普通で、したがって新しい先生は、1年か4年を担任することとなります。この三年間担任するということは、長所と短所があると思います。どうも群馬から来た私としては、三年間というのは抵抗を感じることがあります。自分が担任したとして、私は字が下手なので、小学校1年からこの下手な字を三年間見て育った児童は、一生取り返しが付かなくなるのではなどと心配してしまうのです。当たりならいいが、はずれたらどうするのかなどと。

 今年の長野県PTA研究集会に於いて、シンポジストの清川輝基さん(NHK長野放送局長)が、長野県は不登校が全国の二倍にもなっているのはなぜかと問いかけても、まともな答えが返ってきたことはない、と言うようなことを述べたときに、会場からの質疑で、学級の持ち上がりによる学級の固定が原因ではないか、という意見が出た。私が以前から考えていたことは、この人間関係の固定が、人間形成に影響をもたらすのではないかということだ。新しい人間関係を築く社交力や、何も言わなくてもツーカーで理解し合えるというのではなく、言葉で表現して自分の気持ちや考えを伝えるコミュニケーション力が培われるためには、あまり閉鎖社会にしない方がよいと思うわけです。長野県民性に、最初は心の中を表さないが、長くつきあうとようやく気心が知れるようになる、というような事が言われるのは、この固定制が影響しているのではと思えるのです。

 

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