子姫おばあちゃん 逝く 1998 6/17(水)

6/27 子姫おばあちゃんの召天式

 

「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(聖書)

 

 義母 子姫 は、九十六歳の地上での歩みを終え、眠っているまま、六月十七日朝、天に召されました。

 明治、大正、昭和、平成と生き、長寿を与えられた母は、村の皆様、親せきの皆様はじめ、6人の子供たちの家族や孫達に愛されて生活してきました。又、今日まで生かしていただいた神様に感謝します。

 聖書に「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。…わたしは背負って、救い出そう。…このわたしはあなたを忘れない。」という御言葉の通り、神様に背負われて、母は天に召されました。

 私たちは、やがて天で再会できるという望みを抱いております。主にある兄弟姉妹の皆様には、母 子姫のために多くの労をお取りいただき、心から感謝申し上げます。

 これまでの、御交誼を心から感謝致します。

 皆々様の上に、神様の祝福が豊にございますように。

      一九九八年六月二七日

            喪主 黒岩 たかよ

 

子姫おばあちゃんの思い出

             金子 寿子

 子姫ばあちゃんの思い出を話させていただきます。

 私はかれこれ21年間、祖母と一緒に生活してきました。内孫でしたから、生まれた時から祖母と一緒に生活しており、私が小学4年の時、祖母はアパートの管理人として長野に移り住むようになりましたが、私が高校に入学してからまた一緒に生活するようになりました。父善文召天の後、平成2年から私の主人や子供達と信州新町に引っ越してきまして、三たび祖母と一緒に生活するようになりました。

 祖母はよく、小学生だった姉や私や末っ子のMちゃんに、こたつを囲みながら祖母の小さかった時の話をしてくれました。級長をしたこととか、音楽会ではいつも独唱したこととか、そういう話に会わせて数え歌などもよく歌ってくれました。又、3人の兄たちの中で女の子が一人だったので、両親にも姫、姫と呼ばれてかわいがられていたことを話してくれました。祖母は肩こり性だったので、肩をたたいて上げるととても喜んでくれ、普通なら「ありがとう」というのですけれど、感謝を倍にして表し、「ありが20」と言って、おこずかいを30円40円くれました。それは、私が社会人になって、肩をたたいたときも変わらず、ありが20、と言っておこずかいをくれたユーモアのある人でした。

 その様に祖母との思い出は思い起こすとたくさんあるのですが、私にとっていとおしく、かけがえのない思い出は、平成2年からの痴呆症の祖母との生活でした。

 「どうして神様は、痴呆症という病気を祖母の上に許されたのだろう。何のために、神様は、痴呆症という病気を祖母に与えられたのだろう。」と、祖母との生活の中で、よく考えました。例えばこれが胃ガンなら、食欲がないとか、吐き気がするとかいうことで、つらいねといたわりの言葉をかけたり、思いやりを持つことがもっとたやすかったと思うのですが、痴呆症は同じ事を止めどもなく繰り返して言ったり、昼と夜が逆になったり、コミュニケーションが一方通行になったり正常な暖かな人間関係が持てないことが多くなってしまいます。私自身祖母を受け入れきれず、いらだってしまったり怒鳴ってしまったり疲れてしまうことがたびたびありました。そんな生活の中で、祖母の部屋に行って、夜寝る前に一緒に祈り、また落ちついた時間にイエスキリストの福音を話す時間を少しではありますが、持てるようになりました。そして祖母もある時は私の後について祈り、又ある時は「なんぶんよろしくお願いします。」と、私の言葉を待たずに祈りました。そんなときは本当に有り難く、神に感謝しました。けれど、痴呆症ですから、祖母は次の日にはイエス様のことを忘れています。だから、これで祖母は真の神様の事を信じたんだろうかと不安な気持ちになることもありました。けれどもそんな時、愛なる神様、聖書の約束の神様のことを覚えたとき、私たちが完全だから良い行いをするから受け入れて下さるのではなく、不完全な者をありのままで神様は受け入れて下さる方であり、そのためにこそイエスキリストが、十字架の身代わりの死をとげられたことを思い起こされました。今置かれている痴呆症の中で祈った祖母の祈りを神は聞かれないわけはない、神が受け入れ覚えて下さるのだと、私は信じました。子供達とも寝る前に、神が祖母の祈りを受け入れて覚えていて下さること、また天国に入れて下さることを祈りました。そんな生活の中で、平成8年5月大腿骨骨折で、入院することになりました。手術が済み、ベッドに起きあがる頃から、スケッチブックに書いた聖書の御言葉を、祖母は何度も何度も読み、「有り難い、有り難い」と言っていました。自分自身が分からず、「どうすりゃいいだや。どうすりゃいいや。」と悶々としてしまうときも、祖母に「みんな忘れても大丈夫だよ、神様がばあちゃんを忘れないからね、わたし(本当の神)は決してあなた(子姫)を離れず、子姫を捨てない。」というヘブル13章の御言葉を開いてやると、祖母は冷静になり、「有り難い、有り難い」と落ちつきを取り戻しました。おさな子が母の胸に抱かれ安心するように、祖母は神様の中に休み場を与えられたんだと感じました。神様は、御言葉を通し、回りの人間ではどうすることもできない祖母の魂を元気づけ、悶々とした状態からも解放させて下さいました。二ヶ月の入院生活後、祖母は再び歩けるようになりました。その間、姉やおば達にも看病の手伝いをしていただきましたが、母は疲れから持病の骨粗鬆症が出て動けなくなり、又わたし自身も体は疲れ切っていました。我が家だけで退院後の看護は出来ないことを叔母たちに話したとき、6女Mちゃんが祖母の世話を申し出てくれました。こうして祖母の大宮での生活が始まりました。二ヶ月の休養後母も動けるようになり、電話しては祖母が元気でMちゃんの家族に囲まれ、暖かな生活をしていることを聞いて感謝しました。12月に母と姉と姉の長女MAちゃんと、Mちゃんの家を訪ねました。行く途中新幹線の中で聖書の言葉をスケッチブックに祈りながら選んで書き写し、持って行きました。イエスを信じた者が天国に住まいを用意されている約束や、イエス様が祖母を救うために世に来られたことや、十字架による罪の赦しや永遠の命の約束、またいつも共にいて下さる神様の言葉を書き写しました。久しぶりにあった祖母ですが、少しすると母や私たちのことも思い出してくれました。そして、開いたスケッチブックの聖書の言葉を読んで、目に涙を浮かべ声を震わせ手を上げて、有り難いと喜んでくれました。わたしも祖母をとらえて下さっている神への感謝の余り、涙を抑えることが出来ませんでした。幼子のような心に変えられ、回りへの煩わしさや、人間関係から解放されたとき、祖母は真の神の言葉を信じる者へと変えられました。聖書の中に「だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」とありますが、その通り祖母の上に起こりました。どんな冨や名誉を得るより、永遠の生命、望みをいただくことは、何と素晴らしいことでしょう。痴呆症により、天国への備えがされました。さらに、「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」という聖書の言葉の通りに、先のことを心配するわけでなく、過ぎ去ったことを後悔するわけでもなく、今を生きている祖母の姿を受け入れることが出来ました。私自身も祖母との生活を通し、何と愛のない者か、神様から一瞬一瞬愛を頂かなければ、肉親である祖母をさえ愛し続けることが出来ない者であることも教えられました。

 母は、Mちゃんに祖母の面倒を見ていただいていることを申し訳ながっておりました。けれど私には実の娘であるMちゃんとの生活が、祖母にとって幸いであると思えました。ですから、祖母のこれからの住むべき場所については、神様の御心の通りになるようにと祈っていました。けれども、もしもう一度神様が祖母に仕えさせて下さるならば、どうか祖母に対する暖かな愛を神様が一瞬一瞬上から注いで下さるように、そうしなければ、私は祖母との関係が保てないことを神様に告白し祈りました。そして又、祖母がこの地上の生涯を終えるとき、やはり聖書の御言葉と賛美歌で、祖母を天に送ってやりたいと考えていました。

 5月の10日過ぎ、4女であるUちゃんから電話が来て、祖母のガンが進んでおり、もうMちゃんの所においておける状態ではないので、迎えに行ってほしいという連絡がありました。家族みんなで、祖母を迎える準備をしました。そして、Mちゃんの気持ちの決まった5月30日主人と供に大宮に祖母を迎えに行きました。こうして祖母が再びこの信州新町に帰ってきました。それから、6月17日までの生活は、本当に日々変わる祖母の病状の中で、幾度となく母と「今日召されるかもしれないね。でもその時は天国だからね。」と話し合いました。「祖母に新しい一日が与えられる感謝の祈り」で一日が始まり、「祖母が生かされた感謝」で一日が終わりました。のどに胆が絡まって苦しそうな祖母に、「えへんして」とか「ばあちゃん、がんばって」とか「本当の神様が一緒だよ」と言葉をかけていたのですが、「ばあちゃん、もう頑張らなくていいんだよ、ゆっくり眠って。眠ってる間に神様は天国に連れていった下さるんだから、心配いらないよ」と変わっていきました。そしてその通り、祖母は眠っているまに天に上げられました。

 闘病中の祖母を見舞って励まして下さった親族、友人の皆様、また共にガーゼ交換をしたり、介護を手伝って下さった方々、毎日のように往診に来て下さった、お医者様や看護婦さん、保健婦さんに、心から感謝申し上げます。又、祖母のために長い間祈り、私たち家族を支えて下さった兄弟姉妹の皆様にも、祖母と一緒に心から感謝申し上げます。

 

{『まさしく、「誇る者は主(神)にあって誇れ。」と書かれているとうりになるためです。』  (聖書Tコリント1:31) 

 祖母との生活を通し、たくさんの神のみわざを見させていただきました。私たちが引っ越してきた当初は、自分の部屋も分からないほど混乱していました。「4歳の娘は、子姫ばあちゃんの痴呆症を、治してくだい。」と、常識ある大人ではできない祈りを毎晩祈っていました。そして、病状は進まず安定してきました。祖母は神に守られ、今、天に国籍を持つ者と替えられました。回りにいる私たちのたらなさを、神は全て補ってくださり、余りある喜びを返してくださったことを感謝しています。召天式や偲ぶ会では、おばさん達、いとこの皆様方、親戚の皆様がたに、祖母との思い出を話していただいたり、御協力有り難うございました。}


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