子姫おばあちゃん 骨折騒動 1996年 6/1

 
 我が家にとって、今年一番の事件であった。5月31日、庭を杖を突いて散歩していた子姫おばあちゃんがよろけて転び、時間がたっても痛いというので医者に連れていくと、大腿部頚部骨折と判明。入院となる。93歳という年齢で手術をした方がいいかどうか迷うところだが(高齢のため不測の事態もあり得ると医者に言われる)、手術をしなければ一生歩けなくなるし、寝たきりになると体力も弱りボケも進み、唾液などが気管支の方に入って肺炎になる可能性も高くなると言う。検査をした結果、体力的には大変若く、手術に耐えられるでしょうということで、手術をすることにする。
 痴呆老人が何が大変と言って、入院ほど大変なことはない。私も一晩つきあったが、6人部屋で夜は少なくとも他の人が眠れるように静かにしてもらわねばならない。子姫おばあちゃんの場合、2〜5分後には、あったこと皆忘れてしまうので、46時中5分ごとに同じ会話を繰り返さねばならない。その根気と忍耐力も2、3日たつと限界に来てしまう。スケッチブックに同じ会話のパターンとなる言葉を書いておいてそれを見せるのだが、夜電気を消してからは、いちいち電気をつけねばならない。それが、夜中になるとますます冴えてきて止まらず、興奮してきてしまう。手術箇所から血を抜く管、点滴やおしっこの管を抜かせないようにするために手を持っていてやるが、手を離せと言う。手をひもで縛ってみたが、ほどいてくれと騒がれてこれもだめ。夜中にあまり騒ぐので、口を押さえてみたが、それとても、一晩中押さえているわけにもいかず、根負け。周りの人への迷惑は、どうしようもなく、費用はかかるが一人部屋に移らせてもらう。
 5分もたてば、自分がどうしてここにいるのか、分からないので家に帰ろうとして立ち上がろうとしたりするので、目が離せない。結局、付き添いが体力的にも参ってしまう。おばさん達や教会の人にも応援してもらって交代の付き添いをするが、たかよおばあちゃんも途中から持病の骨粗鬆症による脊髄の圧迫骨折で動けなくなる。私は、二ヶ月ほどセブンイレブンのお弁当になったが、ちょうど後手の胡瓜の苗とそれに接ぎ木をする南瓜の苗が芽を出した頃だったが、それは捨てることにし、先に畑に植えてしまった苗の方は、寿子は捨てようと言ったが、自分とすれば出来る範囲でやって捨てるのは後でもよいと考えた。
 結果的には二ヶ月で退院となったが、その後とりあえずおばさんがあずかってくれることになった。
今回の事件を通して、家族の健康や生活を考えると、よい施設があればと考えるようになった。

寿子より 
 {御協力頂いた皆様本当に有り難うございました。また、今子姫ばあちゃんの世話をして下さっているIご一家にも感謝申し上げます。母も2ヶ月間は、痛みで動けませんでしたが、今は、だいぶ回復されました。思いも寄らない祖母の入院でしたが、年寄りと同居する以上覚悟しておくことだと思わされました。祖母と2人だけで長い時間向かい合うのも初めてのきがしました。特に初めの1週間は、環境の変化や混乱で、祖母も騒ぎどうしでしたが、友人の痴呆症のおばあちゃんの入院の話をお聞きしても、夢見る人で、お風呂に入っているつもりで洋服を脱ぎだしたりと、おなじようです。子姫ばあちゃんは、昔車屋で小麦をひいた夢を見ていました。また、夜眠れない事も共通しているようです。落ち着いてきてからは絵本をよく読みました。「おれはどうすればいいだや。」「みんな忘れてしまって困る。」が、口癖でしたが、スケッチブックに、マジックで『わたし(本当の神イエス)は、決してあなたを(子姫を)離れず、また、子姫を捨てない。せいしょ』と書いて「忘れちゃっても大丈夫だよ。神様がばあちゃんを覚えてて下さるから。」と話すと、「ありがたい。ありがたい。」と言って落ち着きました。家族のために、よく働いた祖母の話を聞いていました。戦中戦後の厳しい時代を生き抜いてきた祖母。この入院で、神様が罪を赦して下さることや、天国に住まいを用意して下さっていること、また祖母と一緒に祈れたことを、神に感謝しています。}


子育て、家族の日記のページに戻る

ホームへ