この家族感謝会は、教会に集っている方々の御家族を招待し、日頃お世話になっている感謝をあらわすもので、温泉につかりおいしい昼食を食べ、心も満たされて…といったものです。今年は、9月15日、北志賀竜王高原で開かれ、元群馬県医師会長でクリスチャンの土岐正氏を招き、「体の健康と心の健康」というテーマのお話しを頂き、その前に母の証(信仰についての体験の話)がありました。その時の話の抜粋を載せます。
(前略)私が聖書に振れたのは10年前、娘が結婚して泊まりに来たとき、主人と私に聖書をプレゼントしてくれたのが始めです。何年かの間は茶だんすの上に置いたままでしたが、私がセキズイ圧迫骨折で入院した時、娘が神様がくれた休養だから、このさいゆっくり休んで聖書を読んだらと言って病院に持ってきてくれましたが、ねたきりのじょうたいで聖書はおもくて開けませんでした。その時Oさん達が福音のテープや本を持ってたずねて下さり、親切にイエス様のことを話して下さいました。生き生きとしている様子に感動しました。(中略)
Nさんにいただいたテープの中に、ホスピス医の柏木さんの話があり、生きている時の社長さんとか色々の名誉職とかどんなにたくさんの肩書きがあっても、神さまを知らないで死んでしまえばほろびの人ですと言う話を聞いて、本当にそうだと自分なりに感じました。神様から同じ時間をもらって生かされているのに、朝暗い内から夜おそくまで働いて終わる人生と、神さまを賛美し従い、余裕を持って働く人生と、どちらがいいかと考えるようになりました。(中略)
娘に子供があたえられ、手伝いに行った沼田では毎夜のように集会の友達が出入りして、夕食を共にしたり、聖書をよんだりしていて、こういうのがクリスチャンホームなんだと感動しました。帰ってきて主人に話すと、そんなに良ければおまえも神様を信じていいわと言いました。
四年前、働く事だけがすべてだった主人が病に倒れました。毎日元気だった主人がなんの前ぶれもなく肺ガンにおかされていたなんて、考えられない出来事でした。入院…、手術の日が来ました。四時間かかるという手術が始まって、一時間すぎた頃、緊張した看護婦さんが入ってきて、「肉親の方二人手術室に入って下さい。先生のお話しがあります。」と言いました。私は目の前がすうっと遠のいていく様な気がしました。(中略)開いたところが、ガン細胞が横隔膜の方まで転移していて、一番心配していた状態になっていたのです。大手術をして患者を苦しめるより開いただけで閉じますと言って、これがちらばったガンだと教えたそうです。…夢遊病者のようになり、我にかえったのはだいぶたってからです。イエス様を信じれば救われる、心の中で、父ちゃんイエス様を信じて、とさけんでいました。そして量昭さんに祈ってもらおうと思いました。東京の長女は長野に子供を転校させ、毎日病院にかよってくれ、金子一家も新町へ来てくれました。量昭さんも看護休暇を取り、主人のためにつくしてくれました。これも皆神様のみわざだと感謝しました。
ニューヨークのリハビリテーションセンターのかべに書かれている一患者の詩を量昭さんが大きな字で書いてきてくれました。
大事をなそうとして力を与えてほしいと 神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった
より偉大な事が出来るようにと 健康を求めたのに
よりよき事が出来るようにと 病弱を与えられた
まだ続きますが、主人は私に読んでくれと言ってよく聞いていました。(中略)
主人には肺に細菌性のカビがあるので取りましょうと言う説明でしたので、1ヶ月も過ぎれば家に帰れる、又会社にもどれると、思いこんでいたようですが、日がたつにつれ、おかしいなと言うようになりました。びねつが続いたり、口からは食事が取れないようになりました。娘達と相談し量昭さんにたのみ病名を告知することにしました。主人一人の体ならいいけれども、会社を経営しておりますので、心の準備をしてもらわねばなりません。主人の心中を思うと何も言えません。量昭さんに話してもらい、いっしょに祈りました。そうか、どうもおかしいと思った、と言いましたが、それからは、こごとやぐちは一度も言いませんでした。点滴抗ガン剤での吐き気に苦しめられてもがまん強い人でした。
OさんNさんが忙しい中を毎週見舞って下さり、聖書からはげまし祈って下さいました。SさんもNさんと共に見舞って祈って下さいました。そんな中で主人もイエス様を信じることが出来ました。沼田のOCご夫妻もNさんと来て下さり、主人も声を出して祈りアーメンと言いました。
夜消灯時間になると、お祈りしてくれやと言うのです。私は主人は本当に神様を信じたのだとその時思いました。(中略)
そして短くて長かった闘病生活148日が終わりました。会社の人親せきの方々、皆の見守る中本当に安らかな召天でした。主人の時は神様の御手の中にあったのです。私が信仰に導かれましたのも亡くなった主人のお陰です。主人が生前望んでいたように、量昭さん一家が新町に住むことを許して下さった群馬の御両親には、どんなにお礼を言っても言いつくせません。ただ感謝しています。(中略)
そして昨年の五月、私もバプテスマを受けました。(中略)『すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエスキリスト)の所に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しくへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負ってわたしから学びなさい。そうすればたましいにやすらぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』マタイ12:29です。私のすきなみ言葉です。いつも喜んで感謝して神様にゆだねて生きていきたいと思います。