平成30年11月4日

1.はじめに

 昨秋、正受庵をお借りして1泊の坐禅会を開催しました。これは、長野禅会創立25周年記念(兼白隠禅師250年遠諱)の特別事業として計画され、関係者のご協力により実施することができました。また、参加された方々から好意的な意見が寄せられました。この声を力に今秋もまた、正受庵で坐禅会を開催することになりました。


 ただ、長野禅会内部には泊を伴う坐禅会を実施することの大変さや反省等々がありましので、会員がそれぞれに納得ができ、なおかつ遠方からの参加者にも満足して頂けるようにと検討を重ねた結果が、今年の一日坐禅会という形での開催になった経緯・次第です。

  

2.坐禅会の様子から

 (1)参加者の顔ぶれと役位
 東京道場からは山本老師をはじめ、土居さん・庄野さん・飯島さん・高橋さん・松本さん・榎坂さん・齋藤さん・稲垣さん・甲野さんの10名の方々にお出で頂きました。しかも禅の達人・ベテランの方々に加え、正受庵では今回初めての参加というフレッシュな方々も加わり、年代のバランスもよく今後の坐禅会への展望に明るさを感じました。
 長野禅会からは、桐山主宰・田中さん・所さん・久恒さん・吉澤さん・斎藤さん・井口さん・鈴木・峰村の9人の参加で、計19名でした。
 役位については、今年は東京道場の方々にも、直日・侍者・典座・茶礼の用意等々について、一人一役の如く積極的にご協力をして頂き、更に一体感が増しました。

 


 (2)一日の内容
@四回の坐禅
 坐禅会の目的の第一は、坐禅をきちんと行うということです。従って、限られた日程の中に、午前午後各2回・計4回の坐禅を組み込みました。遠方の方々は到着時刻の関係から、2回目からの参加を想定していましたが、中には2回目から坐るという熱き求道心をもって、遠路をお車等々で駆けつけた方々もあり、驚いたり感謝したりしました。


 坐禅はいつものように禅堂で行いました。この建物自体は、正受老人や白隠が実際に坐った場所ではないという意味では古くはないのですが、かつてお二人が呼吸をしていたであろう境内の空間で自分たちも坐禅をしているのだという想いが重なったとき、この禅堂は聖なる生きた空間へと変容します。坐禅は時空を遥かに超えるものですから。


A二回の提唱
 坐禅会では坐禅と同様に老師による提唱も重きをなしますが、午前午後に各1回・計2回の提唱時間を確保し、山本老師と桐山主宰のお二人にお願い致しました。

 
 

お二方がそれぞれの持ち味を存分に生かしながら提唱をして下さったので、熱き思いが坐禅堂内及び加単者全員の体内に響き亘りました。



白隠蹴落とし坂

〇山本龍廣老師ご提唱から
 テキスト「龍澤寺・・白隠禅師年譜」を用いて行われました。正受老人と白隠との鬼気迫る商量問答や「鬼窟裏死神和」等の叱声を通して、聴講者全員に公案禅の真義を一層深く説くとともに、独参者の公案修行に資するように配慮もなされていたように思います。
 具体的には、「翁、便ち捉住し、打つこと数十拳して靠倒す。師、えん下に墜ちて失心茫然たり。」「師、入室下語す。翁、許さず。この鬼窟裏死神和と。」等の箇所では、「悟りの意識にとらわれると一生そこから出られなくなる」と悟後の修行の大切さを説かれました。
 また、「遠寺の鐘声を聞く。微音わずかに耳に入るとき則ち底に徹して根塵を剥落す」「巌頭和尚は万福現在」の箇所では、「無字に徹していけば、正しい命の働きや、生まれる以前の意識を超えた般若の智慧に到達する」と示唆され、参加者の感想にも「心の霧が晴れました」と記されていました。
 ところで、越後の英巌寺で一旦は「大悟」した白隠ですから、正受老人の激烈な鉗鎚は骨身に染みたと思います。正受老人からすれば、白隠のこの「大悟」こそ木端微塵に打ち砕かなければ、天狗禅になると見抜いた上での覚悟だったと思います。真の法を得るという悟後の修行の厳しさを、正受老人と白隠との法的な格闘がこの正受庵を舞台に展開されたことを、山本老師のご提唱でも経行で歩いた「蹴落とし坂」でも感じました。
 併せて、山本老師が我々修行者を常に「愛の鞭」で鍛えて下さっていたことも、正受老人の言行と重ね合わせて思い返せるのです。隠寮での修行者に向けられる山本老師の振鈴は、正受老人が白隠に向けた数十拳や「鬼窟裏死神和」という全身全霊を籠めた慈愛の激励に匹敵するものであったことが、この場だからこそ実感できるのです。誠に有難いことでした。

 

〇桐山主宰のご提唱から
 資料は正受老人の遺偈の「坐死」や偈頌「偶成」。道元禅師のご最後を記した建撕記の一節等でした。
 先ず、坐禅和讃の最後の言葉、「当所即ち蓮華国〜」の「当所」とはどこか。それは、私達が今、ここ、目前に経験している事実であること。それがどんなに素晴らしい「こと」や「所」であるか。それを白隠禅師は「蓮華国」と形容表現されたのです。
 さて、正受老人の遺偈の表題は「坐死」ですが、これは息絶えて死ぬことなどではなく(日常に去来する有相の死ではなく)各自がそれぞれの場で一瞬一瞬に光を放って生きている事実に気付くことである。たとい死が迫っていても、即今の真実に生きているのであるから、まだやってこない死を言うことはできない。正受老人は「言無言言 不道不道」(無言の言を言として、言わじ言わじ)と表現しています。
 道元禅師の言葉で言えば「何処にいてもどのような状況でも、そこが道場であり涅槃(坐禅和讃の蓮華国、華厳経の寂滅道場や兜率天宮)である。そして、そのものに成り切ること、つまり坐禅三昧を修し、無我(自他一如)となって、全てを自己として生きることである。これが正受老人の心ではないでしょうか・・・・と。
 参加者の感想に「どこでも、即今ここが道場であることに励まされた」とありました。

 
 
 
 

B墓参とお茶の振る舞い

 正受庵での坐禅会に参加することは、正受老人に「まみえる」ことだと思います。本堂に安置された正受老人の座木像や、墓地に建立された栽松塔と銘ある墓石を拝することで「まみえる」ことの幾分かが叶えられるように思います。今回は時間の都合もあり、経行の後わずかでしたが、墓前で線香を手向け各自の思いも込めてお経を唱えました。

 
 
 
 

 また、初めての試みでしたが、正受庵で毎月お茶の振る舞いをしている会の皆様に、我々の坐禅会でも抹茶の振る舞いをお願いしました。これも日程上、昼食前の僅かな時間だけでしたが、正に清涼の一服で我を忘れた時間になりました。坐禅も茶道も日本文化を代表するものだけに、今後のコラボのあり方を探っていければ良いと思います。

 
 

3.おわりに
 一日坐禅会を終了し、成果と課題等を記します。成果の第1は、やはり正受庵で坐禅会が開催されたということです。これは、主催者としてご協力頂いた釈迦牟尼会の老師・理事長及び東京道場の皆様、会場として正受庵を許可されたご住職方、地元で下準備に奔走した長野禅会の各位の力の総結集によると思います。第2は、参禅求道する皆様の熱きこころをお互いに確認し、各人の力になし得たことです。これは、お寄せ頂いた感想「正受庵で坐ることが永年の憧れであり、坐禅堂で坐って感動した」「来年・再来年も正受庵で開催して頂きたい」にも表明されています。

 
 
 

以上のことを総合的に勘案すれば、今後の方向として、検討の上このような形で正受庵での坐禅会を定例化させることも考えられます。課題としては、坐禅堂への出入りや単への上り方等を予め説明すること(感想から)、生活や修行の中の一つとして坐禅があること、つまり、坐禅を生活に活かすこと(住職談から)、などでしょうか。 正受庵坐禅会での余韻に浸りながら、この原稿を書き上げました。(文責:鈴木・峰村)



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