記者体験記 ー北村 範栄 記者ー

 この夏、入社3年目を迎えた。いまだに仕事の要領を得ずミスばかり。毎日何かに追われているようで心にゆとりがないのだ。どうにかしないと−と考えあぐねていた折り、 坐禅の会があると聞き、自分を見詰め直す良い機会と一念発起。会場へ向かった。

 長野禅会が11月4日、長野市旭町の県勤労者福祉センターで開いた「坐禅会」。 10年前から、多くの人に親しんでもらおうと、毎月1回開いている。 この日は3ケ月に一度、本部の釈迦牟尼(しゃかむに)会=東京=から老師が来る日で、会員ら5人が集まった。

 初心者の当方は、片足を一方のももの上で組む「半跏趺坐(はんかふざ)」に 挑戦。腰を立てるように背を伸ばし、頭の先を天井に突き上げる感覚で座る。 両手を丸く結び、視線は1.5メートル先に落とす。ゆっくりと呼吸しながら、ひとーつ、ふたーつと、 心で十まで唱え、線香一本が燃え尽きるまで30分ほど繰り返す。

 坐禅が始まると、わずかに呼吸音を残し、水を張ったような静寂に包まれた。

 ところが記者といえば、呼吸のリズムが定まらず、1、2までいくが3が続かない。「明日の取材は何だっけ」 「あの原稿早く仕上げないと」。次々に雑念がもたげてくる。慣れない姿勢で足に鈍痛が走り、 いつしか「痛ー、痛ーいっ」と悲鳴を唱える始末。ふがいなさに頭を垂れた。

 気を取り直して2回目。今度はテレビでよく見る棒状の警策をいただく。老師から背に振り降ろされると、 「痛っ」。顔がゆがむ。が、痛みが引けると、モンモンとした雑念までも消えていくよう。 呼吸が整い、十まで数えられ、気持ちが穏やかになった。

 「頭に浮かぶ雑念にとらわれず、数を唱えることに没頭することですよ」と老師。 さらに、坐禅は「心をコントロールする最も合理的な手段」とし、 仕事や食事など日常生活のあらゆる場面でも周囲に気を奪われず、その一瞬に打ち込む大切さを説いた。

 わずかな体験で禅の心を理解したなんて言わないが、目からうろこが落ちた。あれこれ思い悩む前に、 目前の事柄に全力を注ぐ。そう考えられただけでも、ちょっぴり気が楽になった。

 帰り道、気付けば鼻歌交じりにスキップしていた。明日から頑張れるかな。


坐禅会
「ひとーつ、ふたーつ....」。 精神の統一を試みるも、さまざまな煩悩に襲われる (記者は左から4人目)


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