はじめに 長野禅会が創設(平成3年)されて20年以上が経ったことを機に、「長野禅会のあゆみ」を記録(平成27年)しました。この記録は、長野禅会のホームページや『禅味』(平成27年5・6月号及び7・8月号の「長野禅会のあゆみ」所収)にも掲載し、折にふれ禅会のあり方を展望しつつ、自らの歩みの参照や自戒にもしてきました。 |
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1.長野禅会25周年関連事業 山本老師の熱心なご指導の下での修行を続けることができました。こうした中で、長野禅会創立25周年(平成28年)を迎えられました。 |
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@25周年 記念坐禅会―1 | |
平成28年は、長野禅会が誕生して四半世紀が経過するという節目の年でした。 |
初心の方々の中には、サンライフ長野の主催(実質的には長野禅会主催)で開催している坐禅基礎講座の受講生も含まれていました。 |
@25周年 記念坐禅会―2 | |
11月6日の記念坐禅会は、開催主催も釈迦牟尼会とし東京道場の方々の参加も得て総勢23名で行われました。20名を越えると会場の雰囲気も変わってきて、適度な緊張感も生まれます。 |
長瀬先生は、正受老人及び正受庵が飯山市のシンボルとなっているとし、市民の更なる精神的拠り所としたい旨を語られ、この具体の一つとして『正受老人物語』(学習冊子)を研究者として監修し、また、教育責任者として市内の小中学生に無償配布したことも述べられました。 |
★感謝の思い |
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B正受庵1泊坐禅会 | |
平成28年は長野禅会の創立25周年であり、併せて平成29年が白隠禅師の250遠諱記念の年でもあることから、記念として白隠ゆかりの正受庵で1泊2日(平成29年9月30日〜10月1日)という形での坐禅会を開催しました。 |
★法恩の再確認 |
C25周年記念式 | |
長野禅会が25年間に亘り継続して来られたのは、ひとえに山本老師のご指導や釈迦牟尼会本部のご支援の賜物ですが、同時に長野禅会の総括責任者である桐山主宰のご尽力があったこと、及びその下で桐山主宰にご指導を受けつつ協力し支えた会員がいたことも確かな事実です。そこで、関係者への謝恩も兼ねて25周年記念式(平成29年11月)を挙行しました。 |
★更なる成長を目指して |
2.坐禅基礎講座の開設と運営 長野禅会では、坐禅基礎講座を平成24年から実施してきました。講座開催までの経緯やこの内容等については、『禅味』(平成24年11・12月号)に詳細な報告が記載されていますので、ここでは開催の目的や年次毎の概要及び成果・今後の課題等を記します。なお、昨年(令和2年)からはコロナ禍のために基礎講座の開催ができず、懸念が続いています。 |
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@開催までの概要 |
A講座の目的 |
B講座の内容 |
C参加者の感想 |
★講座開設の意義や成果 | |
・講座の意義
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・講座の今後への展望
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3.長野禅会での工夫 | |
@「般若三昧」の導入 | |
長野禅会で西山禾山老師の「般若三昧」(「南無甚深般若波羅蜜多」を繰り返し唱える)の唱和を行うようになったのは、平成20年10月頃からですから、既に10年以上の実績を積んできたことになります。この導入は、桐山主宰の熟慮の末の発案によるものです。桐山主宰の現在の立場や本会を知る前の坐禅経験なども踏まえ、東京や不二の坐禅道場には行きにくい地方在住の参加者に対し、般若三昧によって三昧体験を促進することで禅のよさや深さを感得し味わって欲しいと願い、これを実現したいとの気持ちを強く持っていました。(概要は『禅味』平成21年1・2月号「長野禅会便り」参照) |
また、この「般若三昧」と釈迦牟尼会とがどのように繋がりをもつのかを見てみます。本会初代会長の無相定光老師から二代遡ると西山禾山老師に出会います。この禾山老師が、「般若三昧」は「南無甚深般若波羅蜜多」という仏法の最も簡潔的な要諦を更に集約したものであり、この「般若三昧」一句で在家禅を挙揚しようとしていた、ということが分かります。(詳細は『禅味』平成21年11・12月号参照)「西山禾山老師の在家禅をめぐって」) |
A「ありがとう禅」の導入 | |
「ありがとう禅」の導入は、繰り返しの音声を伴うという意味で「般若三昧」の延長線上にあります。しかし、「般若三昧」が本会の核心的な法燈そのものを音声で唱えるのに対し、「ありがとう禅」は日常生活でよく使われる「ありがとう」という誰もが分かる感謝の言葉を「あーりーがーとーうー」と伸ばして繰り返すので、唱える時の心構えや唱えられた音声を聴き取る時の感じ方が、「般若三昧」の時とは明らかに違ってきます。違いと言うよりも、本会の理長為宗の「理」及び仏法僧の「法」を現代に合わせて具現し助長する、と見た方が適切かも知れません。 |
この輪唱では倍音(オクターブ差のある音階)を斉唱よりも多く生み出すので、絶妙なハーモニーを奏でるとともに体内深く沁み込むこととなります。ちなみに倍音は、自然界で出される音―風のそよぎ・小川のせせらぎ・木々の葉擦れ等―にも含まれているということで、我々にとってはそれに包まれ癒される心地よさに繋がっているように思います。この心地よさが、三昧へといざなってくれるのだと思われます。 |
4.本会の会長交代と長野禅会 | |
釈迦牟尼会創立百周年の令和3年に、本会の第四代会長山本老師から第五代会長飯島老師に引き継がれました。山本老師が会長・師家としての重責を永年担われたわけですが、この功績・労苦に対し心から感謝しつつ、飯島老師の下での新たな体制の出発に祝意を表明し、併せて懇切な指導を宜しくお願いしたいと思います。 |
そうは言っても心の微かな動きが全くなかったということではなく、これを上回る「神対応・大人の対応」で乗り越えられたのだと思われます。山本老師も、本会の全体的な発展のためには、複数の嗣法者が各地で禅会を主宰し指導することを望んでいらっしゃるのではないかと拝察致します。 |
★師家交代後の様相 | |
桐山老師になってからの変化としては、禅会の開催回数が月1回から2回に増えたことが挙げられます。これは、長野禅会の会員の従前からの希望でもありました。 |
提唱も修行者の進捗程度に合わせて行われるため、講本テキスト『無門関』や「菩提薩埵四摂法」は同じ個所を、手を変え品を変えるようにして繰り返し説かれます。また、言葉だけでなく図示もされ直感的な理解を深めるような工夫もなされます。 |
5.師家誕生の基盤とその展開 | |
@桐山主宰の「上求菩提下化衆生」の歩み
・桐山主宰は山本老師の嗣法者の一人ですが、釈迦牟尼会の伝統的法系を継ぐという点において、また、本会の特色である教禅一致の体現を目指しての実践という点において確かな見識と実績があります。これは桐山主宰自身の永年の研鑽努力の賜物ですが、長野禅会での言動や著書『禅を生きる』等を参照にしつつ、具体に即して見ていきたいと思います。 |
★主宰かつ師家の言動から学ぶ会員 ・会員の学びの深まりを記します。例えば、長野禅会の女性会員である斉藤さんが、地元の新聞に「いまだ残る男尊女卑の考え」について投稿(『禅味』令和3年789月号所収)していますが、自分(斉藤さん)自身の心の片隅にもある男女差別の気持ちを率直に綴っています。心情を吐露することは、なかなかできない事ですが、桐山主宰が本音(ありのままに生きる)を大切にしていることに後押しされての表現とみることができます。 |
6.今後への期待・展望 | |
桐山主宰を師家として出発しましたが、長野禅会の目指す基本的方向や本会との関係性について確認しておきたいと思います。先ず、目指す基本は本会「百年の歩み」の会則及び趣意書で明記されていますので、これを遵守することになります。ただ、会則の1条の「理長為宗」をどのように読み取るかによって、各時代に見合った解釈ができる(先師方も、法然・親鸞・道元などに言及している)ようにも思います。時代の息吹を取り込み、会の活性化を図るためだと思われます。このことは、在家禅の挙揚(公案禅を重視)に反しない範囲で、現今の実情に相応しく新しい活動スタイルを模索する根拠になるのではないかと考えます。 |
長野禅会では、桐山主宰が師家としての活動ができる条件を整えて頂きましたから、新たな局面に入ることができました。これは長野禅会にとって有難いことで、当分はこの方式で前進していけると思います。桐山老師も、これまでに機関誌「禅味」や著書「禅を生きる」等で発信してきたことを、師家としての実践指導に移すために、水を得た龍のように奮闘していますが、緒についたばかりです。既に念頭において下さっていますが、室内指導を推進しておられる関係上、本部との更なる密接な連携なども大切だと思います。 |
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