峰 村 鉄 男                     .

はじめに

 長野禅会が創設(平成3年)されて20年以上が経ったことを機に、「長野禅会のあゆみ」を記録(平成27年)しました。この記録は、長野禅会のホームページや『禅味』(平成27年5・6月号及び7・8月号の「長野禅会のあゆみ」所収)にも掲載し、折にふれ禅会のあり方を展望しつつ、自らの歩みの参照や自戒にもしてきました。


 昨年令和3年1月に釈迦牟尼会本部の指導体制に変化が生じ、それに伴って長野禅会の様子も変わってきたことから、この続きを記録することにしました。今回は、組織の様子とともに、会員の変化や輝きにもスポットを当て、これを★印で記載します。


1.長野禅会25周年関連事業

 山本老師の熱心なご指導の下での修行を続けることができました。こうした中で、長野禅会創立25周年(平成28年)を迎えられました。

@25周年 記念坐禅会―1

 平成28年は、長野禅会が誕生して四半世紀が経過するという節目の年でした。
 これを記念して10月2日と11月6日の2回の坐禅会を、正受老人と白隠禅師のゆかりの寺「正受庵」で行うことにしました。
 長野市近隣の一般の方々にも地方紙等で呼びかけ、10月には参加者17名で長野禅会の主催で実施しました。

 初心の方々の中には、サンライフ長野の主催(実質的には長野禅会主催)で開催している坐禅基礎講座の受講生も含まれていました。
 この受講生を正受庵に迎えることは、会にとっては基礎講座からの広がりを意味し、会員にとっては新たな発見や気づきをもてた機会でもありました。(『禅味』平成29年1・2月号 「地区禅会だより」所収)

@25周年 記念坐禅会―2

 11月6日の記念坐禅会は、開催主催も釈迦牟尼会とし東京道場の方々の参加も得て総勢23名で行われました。20名を越えると会場の雰囲気も変わってきて、適度な緊張感も生まれます。
 今回特筆すべきことは、東京道場からの参加があったことに加え、地元飯山市教育長の長瀬哲先生の講演を拝聴することができたことではないかと思います。
 長瀬先生は、正受庵保存会の責任者をも兼務し、正受老人の研究をライフワークとしている方なので講師としては願ってもない方です。白隠禅師250遠忌という記念の年ということもあり、「正受老人に学ぶ」と題して講演をして頂きました。(講演記録は『禅味』平成29年9・10月号及び平成30年1・2・3月号に所収)

 長瀬先生は、正受老人及び正受庵が飯山市のシンボルとなっているとし、市民の更なる精神的拠り所としたい旨を語られ、この具体の一つとして『正受老人物語』(学習冊子)を研究者として監修し、また、教育責任者として市内の小中学生に無償配布したことも述べられました。

 講演の内容は、「飯山深処使人愁」の飯山という固有名詞を含む白隠の漢詩「香語」や、白隠が大悟した場所として飯山静間の静観庵が描かれている島崎藤村の小説「破戒」などを、資料として用いられたことなどにも言及されました。

★感謝の思い
 正受老人が偉大であったが故に、その徳を慕い多くの方々が幾多の困難を乗り越え、この庵を復興させ護寺してきて下さったので、今なお厳として見事に存続しています。
また、飯山市教育委員会・正受庵保存会・正受庵ボランティアの皆様等が、人知れず正受庵やこの境内一帯を物心両面で整備し支えて下さっています。
 整えられた境内に足を踏み入れ、坐禅堂をお借りして心静かに坐禅をするとき、これらの方々のご努力に対して、我々会員には敬意と感謝の念が自ずと湧いてまいりました。

B正受庵1泊坐禅会

 平成28年は長野禅会の創立25周年であり、併せて平成29年が白隠禅師の250遠諱記念の年でもあることから、記念として白隠ゆかりの正受庵で1泊2日(平成29年9月30日〜10月1日)という形での坐禅会を開催しました。
 この正受庵坐禅会は、東京道場からも多数お出で頂くことになります。
 参加者への宿泊や食事の提供は長野禅会としては初めての経験なので、本番に向けて事前の9月2日〜3日に予行演習を積んで当日の1泊坐禅会を迎えました。(詳細は、『禅味』平成29年11・12月号「禅を生きる我ら衆生」に所収)

★法恩の再確認
 正受庵は、正受老人と白隠禅師のゆかりの寺です。日本の臨済禅におけるこの二人は、もし、この二人が存在しなければ、法脈が途絶えていたかあるいは変質していたのではないか、と思われる特別な存在です。ここで法を護りながら更に研鑽・挙揚した二人に対しては法恩があります。墓前に花や線香を手向けることも謝恩の一つですが、二人を偶像崇拝するかのように形だけ拝んで済ませてしまっては、禅の本道に反します。
 大燈国師遺誡には、「専一に己事を究明する底は、老僧と日日相見、報恩底の人なり」と、明記されています。山本老師もこの法系や250遠忌のことを念頭において、「白隠和尚坐禅和讃」のご提唱をして下さいました。
 本坐禅会が釈迦牟尼会の主催であること及び山本老師のご出講をたまわってのご指導という目に見える形で実施されたので、会員にとってよい法恩の機会となりました。

C25周年記念式

 長野禅会が25年間に亘り継続して来られたのは、ひとえに山本老師のご指導や釈迦牟尼会本部のご支援の賜物ですが、同時に長野禅会の総括責任者である桐山主宰のご尽力があったこと、及びその下で桐山主宰にご指導を受けつつ協力し支えた会員がいたことも確かな事実です。そこで、関係者への謝恩も兼ねて25周年記念式(平成29年11月)を挙行しました。

★更なる成長を目指して
 長野禅会を一つの家族とみた場合には、桐山ご夫妻は両親に、会員は子どもにあたります。子どもが幼いときは、両親に頼る他はなく、とりわけ親としての桐山主宰には一から十までお世話になってきました。時が経ち、両親が還暦とか米寿の節目を迎えたときには、子どもたちが親への恩返しにお祝いをすることが一般的にあります。
 そこで記念式を子ども達(会員)だけの意思で行ったのですが、親の心(桐山主宰)子(会員)知らずで、山本老師への配慮等が行き届かずに、不十分なお祝いの式になってしましました。長野禅会だけに目が向き過ぎ、本会や老師に対する法恩という意識が薄くなったことが、配慮に欠けることになった要因ではないかと考えています。
 このつまづきの克服は今後の課題としつつも、会員にとってこの記念式は今後の更なる精進を決意し直す場にもなりました。


2.坐禅基礎講座の開設と運営

 長野禅会では、坐禅基礎講座を平成24年から実施してきました。講座開催までの経緯やこの内容等については、『禅味』(平成24年11・12月号)に詳細な報告が記載されていますので、ここでは開催の目的や年次毎の概要及び成果・今後の課題等を記します。なお、昨年(令和2年)からはコロナ禍のために基礎講座の開催ができず、懸念が続いています。

@開催までの概要

 長野禅会が毎月の坐禅会を開催している会場は、長野市(指定管理者)の「サンライフ長野」という中高齢者健康福祉施設です。この会場「サンライフ長野」では、市の広報機関誌で受講生を募集していくつもの講座を開設しています。
 現今の公立の施設では、坐禅を行うこと自体が難しく、まして市が主催となることには難色が示されました。そこで、坐禅講座の開設が市にとってもメリットがあるような(市民の要望に応える講座の開設・施設の稼働率向上・指導及び運営は長野禅会が担当する等)粘り強い交渉で、ようやく開催に漕ぎ着けました。講座名は平易に「誰にでもできる坐禅」とし、受講生募集は市の広報で、参加費の徴収はサンライフ長野でやってもらうことになりました。

A講座の目的
 
 講座のねらいは、次の3点に要約されます。

 ・より多くの一般市民の方々に坐禅への門戸を開き、親しんで頂く

 ・坐禅の呼吸法と姿勢を経験することで、心の安定を得て頂く

 ・坐禅のよさを知って頂いた方は、長野禅会等で継続的に坐禅をして頂きたい

B講座の内容

 3回の開催で、初心者であることを念頭に、次の基本的な事柄を内容としました。

 ・坐禅の作法(道場への退出入・単での坐り方等)を中心に、実習しながら解説を行う
 ・坐禅の実修・坐禅の姿勢と呼吸法・禅と健康についての講話等を行う
 ・坐禅の実修・禅と生活についての講話等を行う

C参加者の感想

 成果と課題を探るために、参加者の主な感想を掲載します。

 ・坐禅の基本の姿勢や呼吸法を教えてもらってよかった、気持ちよかった、
 ・20分間という坐禅の時間に不安があったが、大勢で一緒にやるとできた
 ・坐禅の呼吸は難しい、雑念ばかりが浮かぶ、足が痛くなったりしびれたりする

★講座開設の意義や成果

 ・講座の意義
 坐禅という日本文化としての禅の基本を、一般市民に呼び掛けたことには大きな意義があります。
 また、この講座では初心者を迎えることから、長野禅会の会員にとって初心に戻れる機会にもなります。
 道場への退出入や呼吸法を学ぶ姿勢、また、呼吸法の困難さや足の痛みを感じるという初心者の感想に接しても、自分たちが最初に坐禅にふれた時の初心の一歩に立ち返ることができ、更に真剣な坐禅を自分に課すことができるようになったからです。
 ところで、一般的に禅講座がないという理由は、指導者不在に併せて、禅に関心をもつ人が少ないからだと思われます。少ないですがゼロではありません。その証拠は、禅に似て非なるものですが、ヨガやマインドフルネスには、一時的な流行にせよ参加者が一定程度いるのです。
 禅との違いは、「速効性・即効性」があることと、何時間かの講習を受けた人が講師として多数存在しているからだと思います。
 このようにみると、各種の講座は金の絡んだ商業主義や師範主義にも見えるのですが、同時に本物の坐禅を行う長野禅会の存在が鮮明に見えてくるのではないかと思います。会員も納得です。

 ・講座の今後への展望
 基礎講座の課題は、この坐禅基礎講座が継続し定期的に開かれることです。直近の2年間(令和2〜3年)は、コロナ禍のために講座は中止となりました。今後開催されたならば、参加者が「次の坐禅会にも参加したい」という思いになってもらうことだと思います。坐禅のよさや意義を感じることが出来ないうちに、呼吸の苦しさや足の痛さの方が勝ってしまうためか、止めてしまいます。ただ、受講生の立場で考えたとき、受講の動機やきっかけは様々ですが、講座の中で参加者の疑問や要望に対する答えが3回という限られた講座からは得られないか、もしくは予感出来ないのかも知れません。求めているものが形にならなかったり、年月がかかると分かったりすれば、努力もせずに自分の都合でさっさと止めてしまいます。
 従って、受講生を募集するときの案内文及び受講時のオリエンテーションで、坐禅とは何を目指すのか、どんなことができるのか、等について分かり易く説明することが大事だと思います。同時に、受講の動機等についても対面で語って頂ける範囲で詳細にお聴きし、信頼感や親近感等を始めから感じて頂くこと、また、坐禅が他の諸講座と同じような地平からスタートしながらも、この地平を超えた深遠なものに繋がっているという期待をもって頂くことも大事ではないかとも思います。
 このような時代状況も憂いつつも、坐禅を止めない工夫や継続できる工夫の一つとして、桐山主宰は「音声観」にも光を当てて来ました。


3.長野禅会での工夫
@「般若三昧」の導入  

 長野禅会で西山禾山老師の「般若三昧」(「南無甚深般若波羅蜜多」を繰り返し唱える)の唱和を行うようになったのは、平成20年10月頃からですから、既に10年以上の実績を積んできたことになります。この導入は、桐山主宰の熟慮の末の発案によるものです。桐山主宰の現在の立場や本会を知る前の坐禅経験なども踏まえ、東京や不二の坐禅道場には行きにくい地方在住の参加者に対し、般若三昧によって三昧体験を促進することで禅のよさや深さを感得し味わって欲しいと願い、これを実現したいとの気持ちを強く持っていました。(概要は『禅味』平成21年1・2月号「長野禅会便り」参照)
 東京や不二の道場では、差定の中に観音経や証道歌の読誦が組み込まれていますから、坐禅とともに音声による修行もできます。しかし、地方の施設で修行をする会員は、会場の都合や制約もあり、唯識で言われるところの声の力による熏習は思うようにはできません。「般若三昧」は、これを少しでもカバーするために採り入れられました。つまり、「般若三昧」は、禅定三昧に入ることの困難さを乗り越え、より積極的な坐禅を行うための補強的兼修とも言うべきものです。

 また、この「般若三昧」と釈迦牟尼会とがどのように繋がりをもつのかを見てみます。本会初代会長の無相定光老師から二代遡ると西山禾山老師に出会います。この禾山老師が、「般若三昧」は「南無甚深般若波羅蜜多」という仏法の最も簡潔的な要諦を更に集約したものであり、この「般若三昧」一句で在家禅を挙揚しようとしていた、ということが分かります。(詳細は『禅味』平成21年11・12月号参照)「西山禾山老師の在家禅をめぐって」)
 なお、禾山老師の生い立ち・人柄・修行、また「般若三昧」の出典となる「金鞭指街」などの諸著作などについては、『禅味』平成22年1・2月号、3・4月号、5・6月号、9・10月号の「西山禾山老師の在家禅をめぐって(二)〜(五)」に詳細に掲載されています。
 仏道の第一義である「摩訶般若波羅蜜多」は、三綱領(本会の憲法で、本会の創始者・定光老師が仏道の根本を三つに分けて示したもの)の筆頭にも掲げられています。従って、この「般若三昧」の導入は、本会の正統的にして核心的な法燈の高らかな宣言であるとともに、桐山主宰の深い究明や先見の明であったことなども了解されます。

 桐山主宰の努力は、「般若三昧」を導入以前にも、参加者が目や身体で実感できるようなものを求めて、例えば坐禅会で写経を採り入れようと考えたり、観音経や書き下し文の般若心経を読誦(音読)したり、という模索にも見られます。
 この背景には、桐山主宰が青年教師の頃に出会った先輩教師で仏道に造詣の深い長島亀之助先生や春原桂次郎先生の「素読」のおしえと、主宰自身が確かな手応えを感じた地道な訓えの実践がありました。(詳細は桐山紘一著『禅を生きる』所収の「素読・読誦のすすめ」を参照)この「般若三昧」の継続的な実践は、次のステージである「ありがとう禅」の導入へと繋がっていきます。

A「ありがとう禅」の導入  

 「ありがとう禅」の導入は、繰り返しの音声を伴うという意味で「般若三昧」の延長線上にあります。しかし、「般若三昧」が本会の核心的な法燈そのものを音声で唱えるのに対し、「ありがとう禅」は日常生活でよく使われる「ありがとう」という誰もが分かる感謝の言葉を「あーりーがーとーうー」と伸ばして繰り返すので、唱える時の心構えや唱えられた音声を聴き取る時の感じ方が、「般若三昧」の時とは明らかに違ってきます。違いと言うよりも、本会の理長為宗の「理」及び仏法僧の「法」を現代に合わせて具現し助長する、と見た方が適切かも知れません。
 ところで、「ありがとう禅」は一昨年の令和元年9月の坐禅基礎講座の中で、桐山主宰から説明・提言されたものです。この提言も「般若三昧」の導入がそうであったように、周到な準備の上になされました。
 「ありがとう禅」の発案自体は全国各地で「ありがとう禅」を主宰する町田宗鳳師によるものですが、桐山主宰は町田宗鳳師の下に馳せ参じてコツを習得し、リズムやテンポなどを五線譜に表記し、自ら実際に試すなどの実践・工夫を重ねた上で会員に提示されました。禅会ではその場や人数・音質に合わせた微調整が行われますので、プロセス主義的(計画やここから得られるはずの結果に固執する結果主義ではなく、状況に応じて柔軟・臨機応変に対応し固執しないこと)な試行的進化が今も続いています。

 少し慣れたところで、「ありがとう禅」のバージョンアップとも言える観音禅唱法も教えて頂きました。最初の「ありがとう禅」唱法が「斉唱」だとすれば、観音禅唱法は各自の息の長さに応じた「輪唱」に近いと思います。一斉に「あー」からスタートするのですが、各自の息の続き具合によって「りー」に切り替わる時点がずれて違ってきますが、ずれや違いを保ちながら続けます。

 この輪唱では倍音(オクターブ差のある音階)を斉唱よりも多く生み出すので、絶妙なハーモニーを奏でるとともに体内深く沁み込むこととなります。ちなみに倍音は、自然界で出される音―風のそよぎ・小川のせせらぎ・木々の葉擦れ等―にも含まれているということで、我々にとってはそれに包まれ癒される心地よさに繋がっているように思います。この心地よさが、三昧へといざなってくれるのだと思われます。

★「ありがとう」の意味と効果
 「ありがとう」という言葉は、一般的には感謝の言葉ですが、これ以上に端的な感謝の言葉は、なかなか見つかりません。
 ところで、「ありがとう」をこの語源からみると、自分という一個の人間がこの世に存在すること自体が、奇跡(稀有)中の奇跡(稀有)であるという意味での「有難し」に由来しています。「人身得ること難し」(道元「修証義」所収)とも言われます。我々が生まれてきたことや生きていることが、今生だけでなく全宇宙世界の深遠で絶妙な働きの中での奇跡なのだということ、つまり、宇宙の万物によって生かされて生きていることなどに思いが至れば、稀有で感謝に満ちた「ありがとう」をいくら連発しても足りないことが分かります。
 「ありがとう禅」を行うということは、自分の力で働くのではない「生命の働き」に気づくこと、あるいはこの働きに呼びかけられて眼を覚ますことでもある、と言えます。「ありがとう禅」と「般若三昧」とは、入口は違っても行きつく先は同じ高嶺です。「ありがとう禅」の効果は、少なくとも長野禅会の会員は、「ありがとう禅」の唱和後に、「日常でこんなにも深く『ありがとう』を考え唱えたことはなかった」や「ありがとう禅を行うとすっきりして気持ちがよい」などと自戒や感謝の念で唱えられる、と言い「ありがとう」を文字通り有難く肯定的に捉えています。


4.本会の会長交代と長野禅会

 釈迦牟尼会創立百周年の令和3年に、本会の第四代会長山本老師から第五代会長飯島老師に引き継がれました。山本老師が会長・師家としての重責を永年担われたわけですが、この功績・労苦に対し心から感謝しつつ、飯島老師の下での新たな体制の出発に祝意を表明し、併せて懇切な指導を宜しくお願いしたいと思います。

 これを機に、長野禅会では桐山主宰が師家としての指導を開始(令和3年)することになりました。地方禅会において、生え抜きの師家が誕生するのは初めてのことです。ここでは、主に長野禅会からの視点で現在の様相や今後の展望を見ていきたいと思います。

 桐山主宰の師家としての活動の開始を、支部である長野禅会の立場から見た場合には、満を持しての登場という側面ももっています。普通は師家が代わることで、修行者も代わることがままありますが、長野禅会の場合には、全く代わることはなく修行を継続しています。
 桐山主宰が桐山老師になり、師家として活動・指導することは自然な流れでありました。従って、師弟の契りである「相見の礼」も公案指導中に相応に組み込まれ、既に醸成されていた信頼感の故もあってか、長野禅会の会員には抵抗感はほとんどなかったのです。

 そうは言っても心の微かな動きが全くなかったということではなく、これを上回る「神対応・大人の対応」で乗り越えられたのだと思われます。山本老師も、本会の全体的な発展のためには、複数の嗣法者が各地で禅会を主宰し指導することを望んでいらっしゃるのではないかと拝察致します。

 ただ、山本老師の願いであるにしても、今後に向けてはいくつかのハードルもあります。主なものは、伝統ある白隠禅師からの法系を護持すること、室内での公案禅の指導法を師資ともに堅守すること、等ではないかと思います。これらが関係者の間で了承された上での実行だと確信致します。また、一般的には相見の礼をどのようにするのかについても、修行者の求道心の深浅を見極める観点も含め、軽視はできないことです。

★師家交代後の様相

 桐山老師になってからの変化としては、禅会の開催回数が月1回から2回に増えたことが挙げられます。これは、長野禅会の会員の従前からの希望でもありました。
 この月に2回開催は、公案禅を修する者、とりわけ無字の公案を拈提する者にとっては、年に4回の入室から年に24回の入室になることを意味し、公案の拈提が短期間に高密度に凝縮され煮詰まっていくことが期待できるからです。独参時の隠寮からは、見解を呈する参禅者の無字の音声が不二道場のそれに勝るとも劣らない勢いで響いています。この勢いは、桐山老師の熱意とこの薫陶を承けた独参者の工夫という協同作業によって醸し出されるもので、初関透過という成果もあり、参禅者の表情が変わってきています。

  提唱も修行者の進捗程度に合わせて行われるため、講本テキスト『無門関』や「菩提薩埵四摂法」は同じ個所を、手を変え品を変えるようにして繰り返し説かれます。また、言葉だけでなく図示もされ直感的な理解を深めるような工夫もなされます。
 このような工夫は、師家が参禅者と同じ地域に常住し、参禅者の性格等を把握し確かな信頼関係を構築した上で指導することができるからであると思います。


5.師家誕生の基盤とその展開

@桐山主宰の「上求菩提下化衆生」の歩み

 ・桐山主宰は山本老師の嗣法者の一人ですが、釈迦牟尼会の伝統的法系を継ぐという点において、また、本会の特色である教禅一致の体現を目指しての実践という点において確かな見識と実績があります。これは桐山主宰自身の永年の研鑽努力の賜物ですが、長野禅会での言動や著書『禅を生きる』等を参照にしつつ、具体に即して見ていきたいと思います。
 桐山主宰には、人生上の苦悩や不安からくる心の渇き等がありました。(『禅を生きる』あとがきにかえてに所収)この難問の解決を求める中で、長島亀之助先生並びにその魂の叫びともいえる「若き教師に訴える」(雑誌『信濃教育』所収の論説)と出会い、また、長島先生から紹介された担雪会岡田利次郎先生を通して坐禅への扉を開かれました。更にこれを契機に苧坂光龍老師の下で本格的に坐禅を開始することになり、光龍老師ご遷化後もこの嗣法者の常井龍善老師や山本龍廣老師の鉗鎚をうけながら禅修行に邁進します。坐禅を修しつつ、併せて教理をも深めていき、本会の法理・法則だけでなく、仏教全般の教理に通じていきます。この教学の成果の一部は「縁起と空」や「唯識と禅」等に纏められ、機関誌『禅味』や著書『禅を生きる』に結実しています。
 また、これらの学識や禅での学びが、桐山主宰の教職での専門分野としての音楽・作曲や実生活での農業運営の活動等に生かされています。この事例は「禅を生きる『動中の禅』」や「禅を生きる音楽表現」として、やはり『禅を生きる』に記載されています。学びを活動に生かすためには、刻苦勉励の経緯がありました。作曲における「一音」の大切さ、車の運転における「即今の自己」への気づき等々の苦悩や葛藤等が、共に禅の力によって克服されたことも記されています。教禅一致への険しい歩みの連続だったことが分かります。
 桐山主宰は、師家山本老師も認めるように行学一如の人で、この全人格をもって長野禅会を永年に亘り主宰として牽引してきましたが、いよいよ師家としての活動が、令和3年からスタートしたところです。この実態を、桐山主宰の薫陶を受けている会員の具体の姿から見てみたいと思います。

★主宰かつ師家の言動から学ぶ会員

 ・会員の学びの深まりを記します。例えば、長野禅会の女性会員である斉藤さんが、地元の新聞に「いまだ残る男尊女卑の考え」について投稿(『禅味』令和3年789月号所収)していますが、自分(斉藤さん)自身の心の片隅にもある男女差別の気持ちを率直に綴っています。心情を吐露することは、なかなかできない事ですが、桐山主宰が本音(ありのままに生きる)を大切にしていることに後押しされての表現とみることができます。
 また、桐山主宰の奥様に対する斉藤さんの寄り添いの姿や愛語にも、感心させられます。斉藤さんは、永年のご労苦で足元のおぼつかなくなった奥様を支えるように寄り添っていることを、「誰もが何時かはそうなるのだから」と言って当然の事としています。奥様も「お手数をかけて悪いけど」と遠慮されつつ、素直に斉藤さんの好意を受け容れています。奥様ご自身にも相当な葛藤があったかと思いますが、今はそこを乗り超えてもいるように見受けます。これも、斉藤さん自身の童話を書く繊細な感受性や生活経験からの学びであるとともに、仏の命の前ではみな平等という桐山主宰の提唱「菩提薩埵四摂法」のおしえの実践化であるともいえます。
・桐山主宰の奥様のことも敢えて記しますが、禅会全体の発展のためにご寛恕かんじょください。奥様は最初から禅会に全面的に協力していた訳ではありません。しかし、主宰の誠意ある献身的行動や説得に、奥様は次第に禅会への理解を深められ、今では会にとってなくてはならない存在になり、杖をつき椅子に坐ってでも参加されています。ここに至るまでの奥様の心の葛藤等は計り知れないものがあったと思います。主宰はこの葛藤等を見抜き、奥様を誠心誠意リードされ説得してこられたと思います。言葉だけではなく行動でも示した結果が、今の麗しい関係を築き上げられたのではないかと思います。傍目には夫婦愛という形にも見えるかも知れませんが、このレベルを超えた桐山主宰の慈愛・慈悲の結実した姿だと痛感致します。「菩提薩埵四摂法」のおしえそのものの具体の姿です。一人の人間に真心で接することとは、このようなことであるという見本です。


6.今後への期待・展望

 桐山主宰を師家として出発しましたが、長野禅会の目指す基本的方向や本会との関係性について確認しておきたいと思います。先ず、目指す基本は本会「百年の歩み」の会則及び趣意書で明記されていますので、これを遵守することになります。ただ、会則の1条の「理長為宗」をどのように読み取るかによって、各時代に見合った解釈ができる(先師方も、法然・親鸞・道元などに言及している)ようにも思います。時代の息吹を取り込み、会の活性化を図るためだと思われます。このことは、在家禅の挙揚(公案禅を重視)に反しない範囲で、現今の実情に相応しく新しい活動スタイルを模索する根拠になるのではないかと考えます。
 長野禅会では、公案禅を重視しつつ、新たな活動スタイルの一つとして、山本老師承認の下で既に先行的に実施させて頂いています。具体的には、上記の西山禾山老師「般若三昧」や「ありがとう禅」の導入で、この効果も見られます。また、茶礼等の談話での場も、参会者からの禅や生き方等についての質問に師家が端的明快に答えるという形態を取りつつ実質的な提唱になっていて、参禅者の励みや力にもなっています
 次に、両者の関係性について記したいと思いますが、本会の師家と地方禅会の師家との役割をどのように位置付けるのか、今は長野禅会だけですが、将来的に他の地方禅会にも師家が誕生した場合にはどうなるのか、ということも今後の検討事項になるのではないかと思います。「百年の歩み」までは、想定されていなかった新しい事態です。

 長野禅会では、桐山主宰が師家としての活動ができる条件を整えて頂きましたから、新たな局面に入ることができました。これは長野禅会にとって有難いことで、当分はこの方式で前進していけると思います。桐山老師も、これまでに機関誌「禅味」や著書「禅を生きる」等で発信してきたことを、師家としての実践指導に移すために、水を得た龍のように奮闘していますが、緒についたばかりです。既に念頭において下さっていますが、室内指導を推進しておられる関係上、本部との更なる密接な連携なども大切だと思います。

おわりに
 この文章を書かせて頂きながら、長野禅会が30年以上に亘って今なお存続し継続して活動することができるのも、また、会員ともどもにこの禅会に参加させて頂けるのも、それこそ所縁の方々のお力や励ましによってであることを、今更ながらに思い知らされました。この法恩に対しほんの僅かに報いたいと思っても、非力の身ではなかなか及び難く、「ただ般若を尊重するが故に日日三時に礼拝し、恭敬して」(「修証義」道元)三宝にすがるほかはないと考えます。多くの方々に感謝しながら、日々にできるはずの仏道への精進・行持を「私に費さざらん」と密かに念じ、なお、できることならば「長野禅会のあゆみ―3」へと繋がることを願うばかりです。(文責:峰村鉄男)




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