長野禅会の誕生に至るまで およそ、何かが生まれるには、それなりのきっかけがあります。長野禅会が誕生するときにも、様々な経緯がありました。時代は平成に入って間もない頃でした。釈迦牟尼会の理事会や常参会等では、本会の更なる発展のために、地方禅会の新設や活動等にも話が及んでいました。釈迦牟尼会の道場は、東京の武蔵野市から江東区平野町に移り、師家も3代目の常井龍善会長から4代目山本龍廣会長へ引き継がれた頃でしたので、本会の今後についてや地方禅会の在り方等について、活気と熱気に包まれた話し合いがもたれていたようです。 |
私は、ごくたまに裾野の接心に参加させて頂くだけでしたが、平成3年8月の夏季大接心の帰路、同乗させて頂いた車の中で、桐山主宰から長野禅会の発足についてお聞きする機会がありました。その時のお話の具体的な内容としては |
第1回長野禅会 第1回の長野禅会は、私の知る範囲では以上のような経緯を辿り、遂に開催に到りました。それは、平成3年11月4日(月)文化の日の振替休日の日でした。桐山主宰の努力が報われ、我々にとっては、地元長野に居ながらにして坐禅ができるチャンスを与えられた記念すべき歴史的な日でした。 | この発足時のメンバーの何人かが、四半世紀を経た今でも、参禅されていることは喜ばしい限りです。ただ、参禅者27人という数字は長野禅会発足以来、未だ超えたことがありません。いずれ、この数を超える日がくることを願ってはいるのですが。 |
開催会場の苦難の変更
長野禅会の初期の頃は、長野県勤労者福祉センター(以下県勤福センター)で、開催することができ、しばらくは安定的に運営ができました。県勤福センターで開催できたことが、いろいろな意味で効果が大きかったと思います。公共施設であったため、一般の方々にとっては、宗教界における宗派や格式も気にする必要はなく、お寺などよりも安心感があったと思います。JR長野駅にも比較的近かったので交通の便もよく、また、使用料金の面でも負担が軽かったと思います。 | その効果もあり、県勤福センターの閉鎖も一旦は延期になったのですが、延長期間は2年だけで、最終的には外郭団体削減という県の方針決定で閉鎖されてしまいました。 |
局面の打開とその後の展開 | ・・・したがって、祈るとか、信じるとかの、一般的宗教とは全く違って、禅は宗教ではないと云えるくらいです。・・・ぜひ、日本の文化や思想の元となってきた伝統禅の素晴らしさを、多くの方に正しく体験していただきたいと思っております。また現今、身心を病む方々が大勢おります。安定した姿勢と、坐禅の呼吸を体験し、身心の健康を得て、本来の自分を取り戻していただきたいと思います。・・・」という文面になっています。 |
禅会の運営と指導
長野禅会の運営は、桐山主宰の尽力の上に成り立っています。毎回の禅会は、三炷の坐禅と茶礼が中心ですが、主宰は常に直日を務めながら、講話もされています。坐禅は、他の習い事と違って、その場ですぐには成果が実感できないこともあるだけに、講話は大切になります。 | 長野禅会のホームページでも閲覧できますので、地元長野はもとより、全国に向けても発信されています。主宰は、その深い思索と体験に基づいた知見を裨益しつつ、我々後進を導いておられます。
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特別な会場での坐禅 20年を超える歴史をもつ長野禅会ですので、様々なことがありました。その一例として、特別な会場を借用しての開催がありましたので、列挙します。 A霊閑寺:平成11年7月4日(日) 中野市 関山国師ゆかりの寺
B桐山主宰宅:平成12年10月8日(日) 長野禅会10周年記念
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ホームページの開設
長野会では、インターネットを活用したホームージをもっています。コンピューター時代の文明の利器であるホームページの開設も、発案や全体構想を含め、桐山主宰の力によるものです。ただ、パソコンという電子機器が絡んだ専門的技術を駆使する必要があることから、開設から発信するまでには田中政男氏の強力な支援が必要でした。 | ホームページの開設は、長野禅会にとって多くの意味合いがあります。不特定多数の人々に禅会の存在を知って頂くとともに、禅会開催の日時や場所もお知らせできるので、参加者を募るということも可能になりました。 |
長野禅会の現状 | 坐禅をしている最中は黙って坐っているだけですが、坐禅の後の茶礼はいわば無礼講で、どんなことでも自由に話したり質問したりできる、という良さや楽しみがあります。また、お菓子を食べたりお茶を飲んだりしながらリラックスした雰囲気の中で、思いのままに喋れるということは、解放感や充足感などに満たされる至福の時間である、ということにもなります。 |
今後の長野禅会へ期待
以上のように、約四半世紀に亘って継続してきた長野禅会が、今後も確かな歩みを続けていくためには、更なる努力が求められるように思います。 | どんな家事でも、抵抗なくできること、どんな人にも笑顔で挨拶ができ、困っていたら手を差し伸べることができること、などもその一例かと思います。その気になりさえすれば、今すぐにでもできることです。ただ、現実には、自我がすぐ邪魔をするのですが。 |
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