FM善光寺「禅の話」出演録

桐 山 紘 一

 第一回
Q 今週一週間、禅のお話を伺っていきたいと思います。初心者講習会では、本当に初めての人にはどんなことから始められるのでしょうか。
A 私は坐禅を経験してみて、坐禅がこの上なく素晴らしいものであると思っています。それで、これをなるべく大勢の方々にも体験していただこうと思いまして、こういう坐禅会をやっているのですが、定期的には月二回やっています。それで、初心者の方にも坐禅の基本的なことを経験していただこうと思いまして、年一、二回の基本講習会を開いています。
Q 具体的には足を組む姿勢が目に浮かぶのですが、まず形から入っていくものですか。
A 坐禅の仕方にいろいろ決まりがありますが、そういうことはさておいて、とにかく坐ってみましょうということで、私の坐り方を見ていただいてから、自由に坐布の上に坐ってもらいます。経験者もいらっしゃいますし、まるっきり初めての人は足が組めなかったりしますので、いろいろの坐り方がありますから、その人に合った足の組み方を工夫しいただきます。
 次に、正しい姿勢をとります。臍下丹田にキチッと重心を落とし、腰骨をまっすぐ立てて、あごを引き、無理のない自然な姿勢になるよう時間をかけて練習します。姿勢を良くしただけで、非常に気持ちがスッキリしたといって、そこでもう感激する人もいます。
 もう一点、坐禅は呼吸ですから、坐禅の呼吸をどうするか綿密に、実際にやっていただきます。言葉で説明するのは難しいのですが、ゆったりした静かな深い呼吸に心がけていくと心も落ち着いてくる。自分の心身の重心が、いつも胸の方にあるときは自信がなくなったり、健康的にもいろいろな問題が生じてきますので、臍下丹田(臍下約五センチ)に重心を落として丹田呼吸を行います。そうすると気持ちも和んできます。どんな方でも非常に和やかなお顔になって、こういう呼吸良いですねなんて言ってくださる方もいます。このように坐禅の正しい姿勢と呼吸法を練習してから坐禅に入ります。

 第二回
Q 坐禅の最中は目を閉じているのですか。
A 目はいつも開いています。
Q 開いているのですか。なんとなくつむっているというイメージだったんですが。寝てしまう方がいらっしゃるからでしょうか。開いているというのも何か意味があるのですか。
A あります。私たちは四六時中見て聞いて考えています。そういうものをシャットアウトして、別のところに何かを求めるというのはちょっと違うのではないかな。現実の中でありとあらゆるものを見て聞いて考えて生きているというのが人生ですから、坐禅も見えているものを拒否しないで、現実の真っ直中で坐禅をします。その中でありのままの生き方を身につけていくというのが、坐禅の大きな目的ですから、目をつむってしまうと坐禅にならないのです。眠くならないようにという意味もありますが、それ以上に大切なことは、見てみていない、聞いていて聞いていない、考えて考えていない。でもいつも完全に見て聞いて、考えてしまっている。これが禅の真髄だと思います。
Q ちょっと考えさせられますね。
A 目を大きく開けているのではなく、普通に開けて、視線を一、二メートル前方に落としている。見つめていないんですね。でも見えている。そしていつでも反応ができる状態。これが坐禅の大事なポイントだと思います。たとえば運転しているとき、一つ一つ道路を見ているのでなく全体を漠然と見ているのですが、あらゆる状況に的確に反応しながら運転できる。それと少しは似ていると思います。
Q 無意識のうちにそのようになっているということでしょうか。
A そう、私たちは意識で生活しているように見えますが、無意識で行動している面が殆どです。それに目覚めるという意味で、目を開けてやるということがとても大事だと思います。
Q 一つのものを見ていても、何も感じないでただ物体を見ているのと、そう思って見ているのとでは又違うでしょうしね。
A 思って見ている方が左の脳で、何となく見ていて、しかも完全に分かってしまっているというのが右の脳の働きだと言われています。
Q 坐禅を組んでいる間、心の中で思っていることは、人それぞれ違っていると思うのですね。これはとても短時間ではお話できないと思いますが、どういうことを思えば良いのでしょう。
A 思わなくても良いし、思っても良いのです。こういう風に思いなさいっていうのが坐禅ではないのです。その人の今日の心理状態、心の状態によって思い方がみんなそれぞれ違うのです。全ての思いをそのままにして、かといって相手にもしないで只坐るということでしょうか、言葉で言うとそのくらいのことしかいえません。大切なことは、やはり姿勢をきちんと正しくして、呼吸は朗々と落ち着いた丹田呼吸をする。また、数息観といって呼吸に合わせて数を心のなかで数える方法もあります。そうすることによって、余分な先入観やとらわれをはずれることができるのです。
Q 初めて伺うことばかりで勉強になります。

 第三回
Q この坐禅の会には、何名かの方がいらっしゃり、定期的に坐禅を組まれているそうなんですが、皆さんそれぞれいろいろな思いを持たれてされていると思いますが。
A まあ人それぞれいろんな問題といいますか、人生上の悩みとか抱えていらっしゃいます。私もそうですが、今の情報過多の時代に生きていくと言うことは、大変な時代に入っていると思います。そのために鬱になったり、自信がなくなって働くことができない人も多くなっているのではないでしょうか。そんな方たちが何らかの手がかりを求めて、お見えになると思われます。また現役を退いて自分の人生ををもう一度考え直してみたいという方とか、さらに最近、若い人達の中で坐禅がファッションになっていて、お仕事の帰りに坐禅堂へ行って30分位坐って帰るというのが流行っていると聞きます。このように人生上のいろいろな問題を何とかしようという方と、一種のスポーツ感覚といいますか、教養として坐禅やってみましょうという方々がいます。坐禅の丹田呼吸によって血流が盛んになり、心身の調和がとれてきますから、いわばお風呂上がりのような爽快感を味わうことができます。
Q ずっと、じっとしたままなんですけど・・・・・そうなんですか?。
A そのことを申し上げると時間が足りないんですが、呼吸法によって脳内の神経が非常に活性化されて、いろんな脳内分泌物質が盛んになります。たとえば、セロトニン神経というところからはセロトニンという物質が出て、それは精神状態を安定させる物質だと言われています。今、精神医学が大変盛んになりまして、鬱になる人はセロトニンが足りないと言われています。坐禅の呼吸はセロトニンを絶えず放出すると言われています。今、医療では呼吸法によって精神的な病気を治すということが盛んに行われています。坐禅はそういう点では打って付けだと思います。したがって、坐禅をやって帰られると、今まで何でこんなことに悩んでいたのかとか、滞っていた仕事がさっさとできてしまったとか、そういうことを言ってくださる方が沢山います。
Q 動機は皆さんまちまちですけど、そうなんですね・・・・。だいたい何分くらい坐られますか。
A 初めての初心者講習会ではせいぜい二十分間ですね。それで五分休んでまた二十分間坐る。また話し合いをして、さらに良かったら三十分間坐ります。ベテランで定期的にやっている方は四十分間が最小単位です。初心者の場合は二十分間くらいで、坐り方や呼吸を綿密にやります。
Q いろいろな理由で先ほど若い人たちというお話がありましたが、少しずつ広がって良さが分かっていくといいですね。
A そうですね、今東京の方で坐禅ブームのようで、あちこちの坐禅会が盛んなようです。
Q それだけ求められてるのでしょうか。
A 良い傾向だと思います。松下電器の松下幸之助さんが、日本中の人たちが毎日三十分間坐禅をしたら、日本はたちどころに変わるとおっしゃいました。私もそんな風に思います。

 第四回
Q 桐山さんご自身の坐禅との出会いはいつ頃 、またどんないきさつがあったのか、教えていただけますか。
A 私の坐禅との出会いといいますと、三十五年とか大変昔の話になります。職場でいろんな点でいきづまりをおぼえました。健康的にも精神的にも非常に追い込まれた時期がありました。現代社会で情報が多くなってきて、いっぺんに沢山のことを処理していかなくてはいけないとか、そういうことから来るストレスですね。また、自分の理想としている社会や職場でないというようなことに対する憤りのようなもの、さらに人生上のさまざまの問題をかかえて悶々とする日が続きました。もっと本当の生き方があるのではないかと、禅の門を叩いてみたのです。禅はお釈迦様から営々として受け継がれ発展した素晴らしいものであること。しかも非常に科学的で、論理的に説明でき、これこそ生涯かけて学ぶべきものであると思ったのです。
Q それはどなたかに紹介をされたとか、何故坐禅のところに行かれたのでしょうか。
A 私の周りにそういうことを指導してくださる立派な先生がいらっしゃいました。それが大きな原因の一つです。長島亀之助先生とか岡田利次郎先生とか、春原桂次郎先生とか田中繁雄先生とか、禅や宗教に造詣の深い先生方が私の近くにいらっしゃいました。お一人お一人ご紹介する時間はありませんが、そういう方のご指導、影響を受けて禅の道に入っていったのです。その後、私のいろいろな問題が、ほぼ解決できつつあるという現在進行形が禅というものですが、解決した等と自分から言うことではないんですが、私の人生に禅の力が大きく影響しているということです。
 また、坐禅をすることによって、心身ともに健康が増進しました。一つの例を上げますと、私は六十四歳ですが老眼があまり進んでいません。パソコンなんか集中的にやっていると目が急に見えにくくなりますが、坐禅をやるとまた回復します。坐禅によって心身がリラックスして、目の疲労がとれて調和するのだと思います。このように坐禅は「究極のリラクゼイションである」といえます。従って坐禅は忙しいときに、疲れているときに、落ち込んでいるときに、忙しくて時間がないというときに坐禅をすると良いと思います、今までとらわれていたり悩んでいたことが、なんでこんなことで悩んでいたのだろうと思うことがあります。疲れて肩が凝って疲れているとき坐禅をすると、スッと疲れがとれて、また元気よく働くことができます。
Q そういう方とても多いと思いますが、忙しいときこそ思い直していただきたいものですね。

 五回目
Q 禅というのはどのようにとらえているのでしょうか、禅の心ですね。
A 私どもはふつう、仏教の言葉で言うと分別心を働かせて生活しています。これが良いあれが良いと、えりごのみして暮らしています。それが偏見であったり、とらわれだったりすると、迷いや悩みが生じてきます。失敗したり落ち込んだり、そういうことがふんだんに起こります。それは自分中心にした分別心によって、自分に有利になるように、良く見せようという形で働きますから、悩みや苦しみが出てくるのです。
 もう一つは仏の心です。赤ん坊がおっぱいを飲んで、つぶらな瞳で母親を見上げているときのような赤子の心です。何も警戒心は持たない、分別心を持たない、そういう心は生まれながらにして誰もが豊かに持っていると、お釈迦様が証明してくださいました。ところが現代社会がこのように複雑になってくると、分別心にばっかりとらわれて元々持っている仏の心が見失われていく、そういうことになっているのではないかと思うのです。坐禅はそのような分別心を一旦離れて、仏心に立ち返る働きがありますから、仏心が開発される、またはそれに気づく、禅的には自覚するといいますが、これが禅の最大のねらいだと思います。そして、仏の心と分別心が両輪のようになって、仏の心が分別心に、分別心が仏の心になって、その人らしさを十分生かしながら、ありのままの自分を基盤にして堂々と生きていくことができるのです。これが禅の心ではないかと思います。
 世界の宗教の大部分は祈りの宗教と言われていますから、絶対者をお祈りして救済されます。ところが、禅の場合は坐禅することによって、元々、本来、自分の中に豊かに具わっている仏心を発見する、自覚するということが中心であり、おおむねの宗教との決定的違いです。
Q さらに修行を深めていくという方は突き詰めていかれるわけですね。
A 私どもの禅は臨済禅で、妙心寺派と同じ系統に属し、公案を使って修行する看話禅です。老師の所へいって、いわゆる禅問答をするのです。じぶんの公案に対する見解を提示して、本当の意味で自覚ができているか、老師に点検していただきながら修行を進めます。老師の所へ行くと、「坐り方が足りない!もう一度坐ってこい」と追い返されることにもなりますが、公案を使ってその人の生き方をや感じ方を開発していくのです。坐り方が上手になると、そういう修行を望んでやっている方も大勢います。
Q 今週一週間伺いましたが、今の世の中に本当に求められている世界かなという気がします。初めてという方はまず一度坐禅を組んでみるというのがよろしいですね。
A 坐禅の正しいやり方がありますから、坐禅会に参加して、基本的なことから直接指導を受けられることをおすすめします。


 FM善光寺「禅の話」についての感想文
田中政男
1.放送を毎朝五日間聞いた感じでは、時間が短く、五回で終了したのではなく、まだまだ続きがあるのではないかという感じが残りました。
2.しかし録音しておいたテープ全体を通して聞いてみたところ、大変インパクトもあり、まとまっていたと思います。  禅というと、一般の人にはなかなか縁が少なく、このようなお話の場合、宗教的トーンが強いと話が硬く難しくなり、一方癒しや効能的なトーンが強いと解りやすい反面、内容が軽くなる傾向があると思いますが、その点ではどちらにも偏らず、全体は短いながらも良くまとまっていたと思います。
3.その他雑感  世の中が、少しずつ物やお金でなく、心や自然に向きつつある昨今、時宜を得たタイムリーな放送だつたと思います。
 


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