身心一如の教育を


講話 桐 山 紘 一

最近、連日のように報道される青少年の犯罪は、未だ前例のない凶悪なものだけにに教育界では、混迷の様相が著しくなっております。今、子供たちの心や人格形はどうなっているのでしょうか。日々子供たちに接している立場から、その姿を通し考察を加え、教育のありかたを探ってみたいと思います。

テレビゲームに狂(興)じる子供たち
風薫る五月のある日、小学校三年生の子供たちと共に、蓬採りに出かけました。辺りは目映いばかりの新緑で、菜の花畑やリンゴ畑が広がっています。
 列の最後尾についていた私は、出発と同時に始まった子供たちの会話が耳に入ってきました。それは「プレイステーション」というゲーム機を買って貰いゲームを楽しんだ話で、どんなにおもしろく、かっこうよく成果が上がったかを夢中で話ているのです。爆破したとか、やっつけたとかいう言葉からすると、かなりのアクション物のようです。
 あるクラス担任の話では、「朝、家でゲームをやってくる。ゲームの話をしながら学校へ来て、午前中はゲームの話の合間に勉強をして、給食時間はそれで持ち切り。帰りの会では誰の家へ集まるか相談し、一目散に帰っていく・・・・・。」というのです。
 これは少し誇張した話かもしれませんが、少なからず現在の子供たちの生活の中に、テレビゲームが爆発的に浸透していることが分かります。
 ちなみに五年生三十一名のクラスの実態です。(平成12年6月調査)
・ゲーム機を持っている者
 スーパーファミコン16人、プレステが19人、プレステUが2人、ゲームボーイが25人、任天堂64が13人。
・ゲームソフト数
 0〜10枚が9人、11〜20枚が12人、21枚以上が5人、最高50枚位
・パソコンが家庭にある
16人、その内自分がやるは9人。
・何をやるかでは
 インターネットが6人、ゲームが7人、メールが3人、お絵かきなどが5人となっています。

このようなゲームは、10年ほど前から盛んになりましたが、小学校一年生から始めたとして、その子供たちがいま十七歳。最近の青少年犯罪と一致していることは偶然ではないように思います。業界では社運をかけて次々に新しいソフトを開発し、最近は益々刺激的なリアルな映像になってきて、日本のゲームソフトは世界一。ゲームソフト王国日本と言われるようになっています。
 ゲームセンターが廃れ、タマゴッチの時代を経過して、今や高性能ゲーム機と、リアルタイムかどうか区別できないほどの精巧な、しかも残虐でドラマチックなゲームソフトの時代となりました。
 テレビやビデオは、映像として一方的に情報を提供するだけで、見る人の能動性はあまり発揮されませんが、ゲームは指先と感覚だけで刺激的なドラマに参加するわけで、能動的な仮想現実の世界が実現します。自然の実体験が乏しい子供たちが繰り返しこれを行う内に、どのようなことになるか、想像することは難くありません。現実と仮想が逆転し、存在感を失ってゲーム感覚の行動をする少年たちの大量出現となっているのではないでしょうか。

一億総幼稚化の危機」と言われた時代
 35前、東京オリンピックの頃からテレビが普及しました。テレビが子供の成長発達に悪影響を及ぼすと言って、当時盛んに議論されました。特にPTAの研究集会では、テレビに熱中する子供たちへのとまどいや、どのように見せたらよいか、議論が盛んでした。そして「一億総幼稚化」という言葉さえ生まれたのです。
 やがてテレビ漬けで育った子供が親の年代になって、テレビの悪影響を言う者はいなくなり、高度成長と共にメティアは映像化され飛躍的な進歩を遂げました。昭和60年代から平成にかけてビデオが爆発的に普及しました。「となりのトトロ」「アルプスの少女ハイジ」等々のテレビアニメが、いつでも自分の都合の良いときに見ることができるようになりました。忙しい共稼ぎの親たちは、美しいアニメのビデオを見せておけば、豊かな情操が育つというわけで、子供をビデオで育てるようになりました。
 さらに、連続殺人犯、宮崎勤の部屋からは、大量のビデオテープが発見されたのは記憶に新しい。そのほとんどは、アクション物やホーラービデオでした。
 小学校へ入学してくる子供たちの様子が、近年著しく変化しています。「おはよう」と声をかけても、ぼんやり見つめているだけの子供。話しかけられても反応がない、無表情の子供が目につくようになりました。これは明らかにすべてを映像として見てしまい、自分は参加しなくてもよい。したがって教室の授業も映像ですから、聞いていなくてもよい。先生がなぜ注意しているのか分からない。好き勝手の子が多く、友達との関わりがうまくできない。喧嘩が絶えない。
 つい先日1年生のクラスで、喧嘩が多いので話し合いをしたら、キックやパンチは皆が嫌だから、止めようと話し合った。ところがぼくはやめないと主張した子がいた。そして相変わらずその子のキック・パンチが横行して、教室にもいられない、どうしたら良いかというのです。子供病院で診てもらったら「注意欠陥多動障害」という診断です。親と学校で話し合いを進め、指導方針を立てて対応していくようにしましたが困難を極めています。この他にも、学習障害・高機能広汎性発達障害等と診断される子供たちがたくさんいるようで、子供の心理状態を診断する機関の整備が急がれています。
 この様な障害をもつ子供達は明らかに増加していますが、すべてテレビゲームによる影響であるとは言えません。しかしテレビゲームが現代の子供達の人格形成に大きく影響していることは明白であると思われます。

いまこそ身心一如の教育を
 情報メディアの氾濫に、社会全体が翻弄されているようです。すべての情報がデジタル処理され、ネット上で瞬時に大量の情報が飛び交い、政治・経済・教育は勿論、現実の生きる生活や労働から遊離した状況が出現しています。私たちは何か得体の知れない強大な力に押しつぶされそうな危機感を持ちます。
 インターネットやゲームが盛んになるにしたがって、人々は、人間の生きる自然体験から離れてバーチャルリアティーの中に埋没し、ついに現実とバーチャルの逆転した状態が出現し、それがいかに深刻な社会状況にあるか、青少年の凶悪な犯罪をひき起こしている現実をみればわかります。
 子供たちのゲームについては、いかにやらせるべきか、父母と学校で真剣に取り組み始めました。また溢れる情報をいかに選択し、人間らしい豊かな生活を築くか教育界の切実な課題です。小学校では一年生からパソコンの正しい使い方の学習が始まりました。また自然や郷土に関わって体験を通して学ぶことや、子供たちが本来もっている探求心に、教師が傾聴していく新しい教育方法の研究が進んできました。
 文部省は、小中学校の教科時数や内容を減らして、年間115時間に及ぶ総合的学習を打ち出し、子供たちが自ら課題をもって追求する体験的な学習が始まっています。また、学校に観察池などの自然体験ができるような環境整備が緊急課題であるという、答申も出されています。いずれも子供たちの自然体験が不足して心が荒廃しており、それが深刻な状態であることに社会全体が気づいてきた結果だと思います。
 宗教の祈りや瞑想は、自然の身体的認識活動です。したがって身心のバランスを保ち、人間としての主体性を維持しながら情報通信技術を自由に駆使して、人間の創造力を最大限に発揮させることができるでしょう。
 そして今こそ、心身一如・自他一如・一即一切の普遍的真理を禅によって体現し、混迷の社会の一隅を照らして行くことが、私どもの使命でありましょう。

奚仲車を造ること一百輻、両頭を拈却し、軸を去却して甚麼邊の事をか明らむ  




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