(長野市安茂里公民館文化講演会記録、令和元年10月27日)

桐山紘龍               

<講演の概要>

 昨夜お腹が痛くなりました。今日の講演会のストレスだと思うと、家内に言ったら、「あなたでもそんなことがあるんですか」と軽く言われてしまいましたが、そう言われて内心ほっとしたような訳です。
 私は若い頃、自分の考えを他に押しつけるようなところがあり、教育現場では子供達に厳しくと称して、一方的に命令するような指導をして、失敗することが多くありました。また自分のありのままの姿を見せないように、いつも威厳を保つようにして、立派な教師になろうとカモフラージュしていたのではないかと思います。従って迷いも多く、うまくいかないことは全て周りのせいだと決めつけ、争いになることが多くありました。

 このような教育への失敗、失望と反省から、退職してから自分自身を見直してみようと思い、もっぱら禅の修行に打ち込み、本当の教育のありかた、人生のあり方を模索し、いくらかの光明を見出すことができたように思います。在家禅釈迦牟尼会の歴代の会長様方、道友には深く感謝しているこの頃です。
 さて、最初は道元禅師や親鸞聖人のことばから、仏教について基本的なことをお話しし、後半は私が作曲した歌曲歎異抄を、私が少し歌ったり、専門家が歌った録音、録画などがございますので見聴きしたりして、親鸞聖人の言葉を音楽を通して味わっていただきたいと思います。


 

「いいことをすれば気持ちがいいね!」

 これは、10月19日のフジテレビの番組で「クレヨンしんちゃん」というアニメを、何となく見たのですが、そこでクレヨンしんちゃんが言った言葉です。
 これは、これからお話する仏教の中心的な思想である唯識思想に繋がる言葉です。どうしてこのような言葉が出てきたのか、アニメの粗筋をお話しします。
 題は「ねねちゃんが飲んだリンゴジュース」で、ねねちゃんが、とても美味しいプルンプルン、リンゴジュースを飲んだことを、春日部防衛隊の五人に話し、みなも飲んでみたいということになり、正夫さんの家へいってごちそうになりました。
 しかし、ねねちゃんは、私の飲んだのはもっと美味しいうので、今度はスーパーへ買いに行くのですが、どこへ行っても無いのです。さらに自動販売機をあちこち探すが無い。みんなで手分けしてさがせば見つかるかもしれないということになり、それぞれ散らばっていくのですが、みなしょんぼりして帰ってくる。
  

 しかし、しんちゃんだけがなかなか帰ってこない。心配していると「プルンプルン、リンゴジュースあったよ〜」と言って帰ってくるが、グレープジュースを飲んでいる。どうしてリンゴジュースを買わなかったのと皆が言うと、ぼくグレープの方が好き。それでおつりが出るところに、誰かが忘れた50円玉があったよ。といって喜んでいる。
 それは警察に届けようと言って、警察に行くと優しいお巡りさんに褒められ、「いいことをすれば気持ちがいいね」と言って、みんな嬉しそうに帰って行くのです。それで、しんちゃんが見つけた、「プルンプルン、リンゴジュース」がある販売機の所へ行って、皆で飲んだけれど、それほど美味しくない!、不満顔で終わる。


 

いいことをすればどうして気持ちが良くなるのか

 それは誰もが心の奥に、仏性の光をもっていて、自らの良い行為によって自らの仏性が輝き出してくるからだと思います。そして良い行為は無意識の中に記憶され満たされていくと、ますます仏性の光が意識の上に反映され、気持ちが良くなっていく、幸福感に満たされていくということになります。
 また逆に悪い行為が繰り返され、そのときは知られることがなくても、悪い行為をしたという罪悪感によって、心は不安定になっていき、心の奥の無意識に記憶され、そのようなことが続くと、無意識の中は汚染され、さらなる奥にある仏性の光がブロックされ、隠されてしまいます。従って表層意識まで仏性の光が届かなくなるので、ますます暗く、不安定になっていくことになります。
  

 唯識ではそのことを識の転変と言っていますが、意識と自我意識、無意識、さらに仏性の光の転変、いわゆる識の縁起関係(因果関係)ということです。
 仏教では善因善果、悪因悪果、自業自得等と言われますが、良いことをすれば良い結果が、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。良いにつけ悪いにつけ、すべては自分の行いによって結果が生まれるので、自業自得という自戒のことばが生まれたのです。


  

 

<人間の心の構造>

 
  


  

 人間の心の構造は、最上部に自我意識で、その下に無意識、最深部に仏性、汚染されると無意識2になる


 

いいことをしましょう

 その源流は「七仏通戒偈」にあると思われます。それは「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏法」というもので、悪いことはするな、良いことをせよ、そして自らの心を清く保ちなさいというものです。それは仏教の中心的な教えとして、お釈迦さまも含めて、過去7仏によって受け継がれてきたコンセプトです。人間として極めて当たり前のことであるが、最も大切な教えであるとして、道元禅師は正法眼蔵の「諸悪莫作」で詳しく述べられています。 さらに道元禅師は「三時業」の巻で、善悪の報いに三時ありとして、行為の後にすぐ結果が現れるのを「順現報受」、しばらく後に結果が現れるのを「順次報受」、長い時間を経過した後に現れるのを「順後次受」と言い、仏道を学ぶ者はこの最初より、この三時の業報の理を効い験らむることが大切であるとしています。 悪い行いをすれば、その行為は無意識に記憶され、業(カルマ)となって蓄積されていきます。
  

 それは三時の時間差をもって現実の意識上に苦しみの行為となって顕現してきます。反対に良い行為をした時には、その行為が無意識に記憶され、悪い行為によって汚れてしまった無意識を、浄化していくので無意識の下に隠されている仏性の光が、現実の意識まで到達するようになるのです。その働きを七仏通戒偈では「自浄其意」と言っています。 道元禅師は「渓声山色」の中で、次のように言っています。「願わくは、我れ設い過去の悪業多く重なりて障道の因縁ありとも、仏道に因りて得道せいりし。諸仏諸祖我を愍みて業累を解脱せしめ、学道障り無からしめ・・・・。」と、 どのような悪業が多く重なっていていようとも、仏性の大いなる働きは、我を憐愍して業累を解脱せしめ、得道へと導いてくれる、それを仏祖の冥助と言っています。ここまで道元禅師のことばによって、述べてきました。


 

アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイレズニ

 昨夜、講演会に何の話をしたらよいか布団の中で考えていましたら、この言葉がフッと浮かんできました。これはどこにあった言葉か、はじめは思い出せませんでしたが、「雨にも負けず」の、詩の中にあったことを思い出しました。宮沢賢治は「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニイレズ」と歌っているのです。(雨ニモマケズの詩を講師が朗読する)
 この詩は仏教の菩薩道を述べたものですが、最後は「コウイウモノニワタシハナリタイ」と結んでいることは重要です。
 いいことをするということを、仏教では菩薩道を実践するという組織的な形で展開しています。私たち人間は、貪、瞋、痴という基本的な煩悩に覆われているために、常に様々な欲望が渦巻いています。所有欲、名誉欲、生命欲などはその最たるものです。その欲望を満たすために、自分中心に物事を考え、行動しようとします。
  

 そして良いにつけ悪いにつけ、少しでもそのような我欲が働いた行為は、自らの仏性の働きを弱め、あらゆる争いや悪を作り出しますから、安心が得られず、自分自身が苦悩のどん底に沈んでしまうことにもなるでしょう。
 そのようにならないように、私たちは断固とした意思を持って、自らのルールを持つ必要があるでしょう。仏教には沢山の戒律がありますが、少なくとも仏弟子は大乗の十善戒を目標にして、日々の生活に仏道を行じていけば、いつかは必ず菩提心を得ることができるとされています。
 道元禅師の正法眼蔵「発菩提心」には、「設い在家にもあれ、設い出家にもあれ、或いは天上にもあれ、或いは人間にもあれ、苦にありというとも楽にありというとも、早く自未得度先度他の心を発こすべし・・・。」と。


  

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや (歎異抄より)

 道元禅師と同じ事を親鸞聖人が歎異抄の中で次のように言っています。
 仏の大いなる働き(阿弥陀の誓願)は、「罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします」と。
 また親鸞聖人は自らを愚禿釈親鸞と言っているように、煩悩に覆われている人間の、避けて通ることのできない宿命的な悪を見つめ、仏の大いなる働きを信じ、仏の慈悲によって救済されるという信の道を示されたのです。一般の人々に対しても、悪人こそ救われると言っているのは、自らの救われようのない悪心を見つめ、仏の働きに身心を委ねていくことに
  

よって、仏性があらわとなり、その仏の働きである他力によって救われるという教えです。
 それでは次に、歎異抄を歌曲に作曲しましたので、それを聴いていただきながら、親鸞聖人の心の言葉を感じ取っていただけましたら幸いです。
 音楽は理屈では無く音楽経験として楽しむという面が強いので、感性を働かせることによって容易く歎異抄の世界参入できるのではないかと思います。


 

歌曲歎異抄を聴く

 一章から三章までの主要な部分を私が歌いますので、言葉とメロディーを味わって下さい。
 第一節の冒頭部分を講師が歌う、
  「弥陀の誓願不思議にたすけまいらせて〜利益にあずけしめたもうなり」
  「罪悪深重煩悩〜たすけんがための願にてまします」
 第二節の一部分を講師が歌う
  「おのおの十四カ国の境を超えて〜〜問い聞かんがためなり」
  「念仏は〜念仏は〜」(ここはご詠歌のように作曲しています)
  「弥陀の本願まことに〜」(ここは講談や浪曲のような感じで作曲しました)
  

 第三節を講師が歌う
  「善人なおもて往生をとぐ〜」
  「自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたるあいだ、弥陀の本願にあらず〜」
 (何でも自分の思うように生きていけると思っている人を、自力作善の人と言っても良いでしょう。あらゆる苦しみと悪は、そんなところから生まれてきます。)
 では全体を通して聞いてみましょう。

 DVDの映像を見ながら、歌曲歎異抄の全体を通して鑑賞する。
  (これは2019年、3月8日、東京新宿区初台のオペラシティー,リサイタルホールにて、楽譜出版記念演奏会が行われたときの録画)
  演奏;バリトン 鹿野章人  ピアノ 河合良一

     


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